【アホでマヌケな韓国人】(08) 朝鮮半島回廊論…朝鮮王国の歴史的転換点『乙未事変』の真相

20170809 10
北朝鮮が周辺の迷惑も考えずに、ミサイルをあちらこちらにぶっ放すことに象徴されるように、朝鮮半島がキナ臭くなっているのは誰の眼にも明らかだ。しかし、そうなってこそ見えてくるものがある。朝鮮半島と呼ぶよりも、筆者は“朝鮮回廊”と言いたい。これが、かの地の本質を的確に表わしていると考えられる。よく言われるし、筆者も書いていたことだが、「朝鮮半島は日本に突き付けられた刃である」との認識は間違っていないが、それだけでは不十分だ。日本人は明治以降、この朝鮮半島に進出し、朝鮮半島を足がかりに、大陸にまで勢力を伸ばしたのである。言い換えれば、突き付けられた刃を逆手に取ったのである。朝鮮半島は我々の通り道(=回廊)であったのだ。無論、大陸の勢力が強くなれば、その力は回廊である半島に及び、日本の生存は脅かされる。その構図は明治の時代も現在も変わっていない。この構図が見え難い時代が確かにあった。朝鮮戦争終結以降の冷戦時代である。韓国は自由主義陣営の一員となり、その防衛は自由陣営の代表であるアメリカの義務であった。その義務を遂行する為には、38度線が引かれることが大前提であった。38度線は謂わば、人工的な海のように韓国を大陸から隔てた。回廊は遮断された。韓国は共産陣営である大陸から隔てられ、日本と協同する関係にあった。都合よく、日本統治時代に日本に教育されたレベルの高い軍人や官僚たちがいた。日本語ができる彼らに、コミュニケーションの不自由も無かったのである。

国交の回復までには様々の軋轢もあったが、1965年の『日韓基本条約』締結以降の韓国の経済発展は目覚ましく、“漢江の奇跡”とまで言われた。無論、この発展には、韓国の国家予算を越えるような日本の膨大な資金、先進的な技術の提供が与って力があったのである。1963年に制作された『米』という韓国映画がある。時代背景は、朴正熙政権の初期の頃である。病気の女性が、食べたくても一度も食えなかったコメを口にして死んでいく場面がある。それほどに貧しくて、コメも食えない村に豊作が齎されるまでを描いている。水田を開く為に、統治時代の日本が作って置いた測量図を見つけ出すというのが、我々日本人をニヤリとさせる処だろうか。「日本の協力なくしては我が国は発展できない」という韓国人の本音が見えているのだ。この韓国の経済発展を最も象徴するものといえば、1988年のオリンピック開催だろう。「我が国はここまで発展してきたのだ」という自負のようなものがある。それに嫉妬する北朝鮮の反応が、1987年の大韓航空機爆破事件だった。しかし、この翌年の1989年は、ベルリンの壁が崩壊するという冷戦の終結を告げる年となった。昭和天皇の崩御、台湾における李登輝の総統競任、湾岸戦争というめまぐるしい時代の大転換が、冷戦終結と共にあった。李登輝の総統就任は、国民党独裁から脱却する台湾の民主化を象徴する出来事となった。これ以降、目覚ましく進む台湾の明朗化とは反対に、朝鮮半島は民主化とは裏腹の混迷の時代へと突き進むだけだった。韓国人にとっての冷戦終結とはつまり、昔は宗主国であった中国と再び仲良くなることだと理解したのである。中国との国交樹立は、冷戦終結からたった3年後の1992年である。その翌年には、慰安婦問題を巡る、あの河野談話が発表されている。これは、混迷を深め始める半島情勢に、更なる混迷を齎す悪しき事件だった。ともあれ、中韓の国交樹立は、38度線を軽々と越えて、新たなる回廊が朝鮮半島に再生されたという、日本にとっては不吉なる時代の始まりであったのである。あの時代にそれまでの見通しを持った批評家はいるのだろうか? 2015年に中国が開催した『抗日戦争勝利式典』に韓国の朴槿恵大統領(※当時)が出席した時、まざまざと我々はそれを悟ったのである。事大主義の朝鮮は滅んではいなかった。我々は、釜山の港に将来、中国の軍艦がいつでも寄港する時代が到来することを予想できるのである。人工的な海である38度線は今、まさに消えようとしている。

20170809 08
第2次世界大戦では、日本の一部である朝鮮は、日本と共に連合国と戦ったのが事実である。海外に抗日臨時政府があったにせよ、それはテロリスト集団であった。1939年10月、抗日テロリストで伊藤博文を殺害した安重根の息子は、伊藤博文を記念の為に京城に建立された博文寺で、父が殺害した伊藤博文の息子に涙を流して謝罪しているが、彼が常時住んでいたのは臨時政府がある上海であった。半島に住む大多数の人々は、大陸に向かう日本兵を駅で迎え、日の丸の旗を振って見送った。支那事変が深刻化するほど、志願兵になる朝鮮人も幾何級数的に増えて行った。1938年度の、朝鮮島での日本軍の徴募は400名であった。しかし、応募してきたのは何と2946名もいた。翌年の募集は増えて600名となったが、応募は1万2348名と激増した。更に、1940年と1941年は、募集に其々8万4443名、14万4743名が応募した。1942年は、4500名に対し25万4273名という応募者があった。驚くべき激増ぶりである。これは何故だったのだろうか? 理由は意外に簡単で、日本軍が強かったからである。中国大陸に向かう兵士たちは、その多くが朝鮮半島を経由する。大陸へ向かう強力な軍隊の回廊として、朝鮮半島は機能していたのである。この帰結として、朝鮮に兵役が敷かれることになる。これは実は、民族としての日本人と朝鮮人が平等になるということだった。双方が対等に国防という義務を負うことになるからである。当然、その延長上に朝鮮人の特攻隊員もいたのである。無論、金錫源のように、日本の陸軍士官学校を卒業して、日本軍の将校(※第27期)となっている朝鮮人もいた。彼は満洲事変でも活躍しているが、支那事変が始まると間もなく、京城のパゴダ公園に民衆を集め、「日本国の危機に立ち上がれ!」と獅子吼した。

この公園は、1918年の所謂『3.1独立運動』の発信地点であり、現在はメッカになっている所である。金錫源は、そういういわれを無論知っていたであろう。その上で、「朝鮮人よ、支那事変に立ち上がれ」と叫ぶ姿には、日本統治が始まって27年の成果というべきものが感じられる。しかし、そういう事実は朝鮮の歴史からは葬り去られる。都合の悪いものは無かったことにされるのである。勿論、「大韓民国憲法の前文には『3.1独立運動で建立された大韓民国臨時政府の法統を継ぐ』と言っているのだから、朝鮮外地にあった臨時政府が正統性を持ち、朝鮮内地に起きていた出来事は不正なものに過ぎない」との主張は可能である。しかしながら、日本からの解放後の1948年に制定された大韓民国憲法の起草者である兪鎭午は、朝鮮生まれの秀才で、京城帝大を出てからずっと朝鮮に住み、日本の戦争完遂に協力していた人物である。1944年1月19日は、最初の朝鮮学徒兵が入営する日であるが、兪は『暁闇の感激』というルポを『国民総力』(2月15日号)に書いている。「1月19日の京城駅頭に展開された壮観こそは正に半島の歴史あって以来、初めてみるところのものであったろう」と、その感激を綴っているのである。兪は、朝鮮内地に住む中で教養を磨き、社会を見る目を養っていた人物である。朝鮮自治も総督府の検討課題となっていたその時代に、当時37歳であった彼は恐らく、自治政府の中心となったであろうことは疑いない。しかし、こうした可能性の高い推測も許されず、「朝鮮人は日本の重苦しい抑圧政治の下に呻吟していた」と韓国の教科書では書かれるのである。これは、朝鮮回廊論の文脈から言えば、日本方面からの大陸に向かう動きはあったとしても無かったことにされるという訳であろう。慰安婦問題も同じである。嘘の慰安婦強制連行説をまき散らしたのは日本人が先であったとしても、「日本の朝鮮統治は間違っていた」という見地からは、自らの正当性を主張できる大きな拠り所となるのである。だから、嘘であっても、確かな事実とする為には、シンボルとしての慰安婦像は作られ続けなければならない。目標は恐らく20万体である。それだけの数の若い娘が、そこら中から慰安婦として引き立てられていても、朝鮮の屈強な男どもは何もできない腑抜け者となる奇妙さは、無視しておけばよいのである。妄想は事実を超越するのだ。事実として、慰安婦となった女性のその理由は大抵、貧しさからであり、親から売られたというのが殆どである。そして、売られたというのがわかれば、日本の官憲はそれを助け、保護していたというのが、右上に掲載した記事の画像が証明するように、事実である。「保護送還されてきた」と書かれているが、『満洲日報』は大連に本社があり、「大連港に天津から送還されてきた」という意味である。日本は人権を守っていたのである。1937年当時、学校に行けない児童は80%あったとされており、そういう貧しい家庭の女児が成長して、身体を売る仕事に就きがちなのは無理からぬことであり、貧困の根絶こそが根本的方策であったことを朝鮮総督府は理解していたのである。

20170809 09
李氏朝鮮最後の王妃である閔妃殺害事件(1895年)は、「当時の日本公使・三浦梧楼の使勝によって行われた」との通説が今でも罷り通っているようだ。しかし、三浦は計画を知りながら、故意にそれを止めなかっただけのことである。事件直後、宮廷にやって来た三浦に、閔妃を排除したがっていた義父(※高宗の父)の大院君は、食事を勧め、自ら匙で三浦の口にご飯を運ぶほどご満悦だったと三浦は回顧している。要するに、敵方の家に爆弾を送りつけて殺す事件が起きるような、何年も打ち続く韓国宮廷のお家騒動に、日本が加担せざるを得なかった事件である。三浦は公使を辞めざるを得なくなるが、関係した日本人への罰は重くなかった。これは、「ロシアの韓廷への影響力強化を排除しよう」という日本の国益に関わる事件だったからである。朝鮮回廊を、今度はロシアが伝ってこようとしていたのだ。重ねて言うが、閔妃を殺害したのは日本人ではない。殺害者は、朝鮮に近代軍隊を作る為に日本が設立した訓練隊の隊長である禹範善である。閔妃は、現在もその顔立ちが不明のままの女性で、日本が宮廷内をうろついても、沢山いる女性たちの中から区別できる訳がない。しかし禹は、宮廷を知悉しているのである。事件後、彼は日本に亡命し、日本人女性と結婚して一男・長春をもうけた。事件の噂も静まった1902年、彼は同国人たちとの宴席(兵庫県)で「閔妃の殺害者は自分だ」と告白した。それを聞いていた尹孝定は、自分の栄達を考えて禹を殺そうと画策し、高宗の後妻である厳妃と親しい高永根を誘った。高永根は殺害を承知したが、後に心変わりをして、この計画を日本の警察に垂れ込んだ。その為、尹は国外退去の処分を受けた。

しかし高永根は、この計画を放棄していなかった。日本の警察も禹に警戒を促し、警護を付けたが、禹はこれを断っている。その禹に、高永恨は言葉巧みに近付いて行った。1903年11月14日、禹は当時住んでいた広島県呉市の民家で、高永根とその手下によって殺害された。高永根とその手下は自首し、高永根は死刑の判決を受けた。しかし、翌年2月に戦争が勃発するような日露関係が極度に緊迫している情況である。大韓帝国をロシア側に付かせない為に、日本は高永根を特赦にするという処分にしている。韓国宮廷は密かに宴席を設けて、祝杯を挙げた。呉市の寺には現在、禹の碑が立っている。これはどこか、2017年2月にマレーシアで起きたVXガスによる金正男殺害事件を思わせるような出来事だ。北朝鮮が外国で遠慮なくテロを行うのは、ビルマ(※今のミャンマー)のラングーン事件(1983年)でも知られているが、戦前はこのように日本でも遠慮なく行われていたのだ。金玉均と同盟していた親日派・朴泳孝の殺害未遂事件は東京だったし、金玉均は上海におびき出されて殺された。遠慮なくミサイルを打つように、他国の迷惑を省みずにテロを行使するのは、かの国の伝統である。金玉均を高く評価し、保護していた福澤論吉が、支那朝鮮に呆れ果てて『脱亜論』を執筆するのも、むべなるかなである。日本には、“朝鮮”という言葉を発するだけで朝鮮人差別を意識するナイーブな人たちが今でもいるようだ。嘘の慰安婦強制連行説をまき散らした吉田清治という人は、そうした気の小さい「朝鮮に 悪いことをした」と考える人物ではなかったかと思われる。最近では、大リーグのイチロー選手の練習での激突事件で、それが露呈された。激突相手の選手のロッカーに、同僚の選手が「お前はクビだ。韓国で頑張れ」と貼り紙をした事件である。これを日本国内テレビが紹介する時に、「韓国で頑張れ」の部分を隠して報道したのである。確かに、韓国野球は日米に比べて格下だが、何でこういう配慮を態々しなければならないのだろう? 李朝代々の墓苑がソウル郊外にあり、10年ほど前に筆者は李方子妃殿下の墓参に参加したことがある。その折、偶然だったが、閔妃(明成皇后)の墓の前で土下座している日本人集団に遭遇したことがある。閔妃殺害事件に加担した日本人士族の子孫だった。韓国のテレビ取材クルーも来ていた。翌日の韓国の新聞には、土下座している正面からの写真が堂々と掲載されていた。この人たちも実にナイーブである。主観的な善意は認めるが、こういう行為は日韓関係を決して良くするものではない。例えば、長崎の軍艦島で朝鮮人たちが死ぬまで奴隷のような労働をさせられていたことを信じる韓国人に、自分たちの妄想が歴史上の真実だと思わせる悪い影響を与えるのである。日韓関係がいい時というのは、玄界灘を通して、朝鮮回廊に爽やかな海風が吹き渡っている情況のことをいうのである。

中国を宗主国と仰ぎ、事大主義の腐臭がふんぷんと漂う小中華主義思想の消え去った韓国こそが、朝鮮半島の未来を切り開く可能性を持つ。韓国は、「日本が協力しなければ自分たちは発展できない」と、本音では理解している国なのだ。土下座していた人たちは、それを忘れてはならない。河野談話のような謝罪は絶対禁物であり、さっさと外務省のホームページから削除すべきなのである。禹範善の1人息子である長春は、苦学して東京帝大農学部に学んだ。第2次世界大戦後、彼は朝鮮戦争の終結した韓国に赴き、父の国の戦後復興の一翼を担った。野菜の品種改良や収穫増加に尽力し、韓国人の生活になくてはならないキムチの改良に貢献した。ソウル南部の水原の農業試験場には彼を記念する像があり、釜山には記念館がある。日本人女性(酒井ナカ)を母に持つ彼は、同時に韓国の愛国者でもあったのだ。夫が何故殺されたかを知る母親の教育も立派だったのだろう。韓国軍は、朝鮮戦争で釜山近辺まで追い詰められた。その最前線の多富洞で白善燁将軍は、北朝鮮軍相手に怯むことなく戦い、部下の先頭に立って感動的な突撃を敢行していた。彼は、日本の陸軍教育を受けた満洲国軍出身の韓国の国家的英雄である。筆者は将軍から直接、面と向かって「教育勅語は東洋人全てが理想とすべき道徳です」と滑らかな日本語で言われたことがある。筆者がどれほど感動したかは言うまでもないが、韓国はこのような救国の英雄を親日派だとして既める愚かしい行為をなすべきではない。白将軍は一時期、母国にいたたまれず、アメリカに避難していたことがあったようだ。モンゴル系中国人の楊海英教授は、『日本陸軍とモンゴル』(中公新書)という著書の中で、「モンゴル人と日本人の青年将校たちが織りなす20世紀の歴史は、加害と被害という構図を凌駕したドラマをわれわれに残してくれたのである」と述べられている。五族協和を掲げた満洲国の理想は、現実の中では様々な理由で実現されなかったものが多い。しかし、そのような史実を記し、鏤めながらも、楊教授は、“加害と被害という構図を凌駕したドラマ”をこの本の中で感動的に描いているのである。歴史問題において韓国人がなすべき最大の課題は、愚かしい対日優越感と妄想と願望の歴史に安住することではなく、史実に基づいた真実の歴史に勇気を持って直面することにある。その勇気が無ければ、“加害と被害という構図を凌駕する”ドラマを彼らが作ることは永遠に叶わず、安易で怠情な、中国に振り回されるだけのくだらない国民と成り果てるだろう。朝鮮半島の地政学的条件は永遠に変わることはなく、朝鮮回廊が消えることはない。そうであるならば、彼らがなすべき唯一のことは、大陸に背を向け、胸一杯に爽やかな日本海からの海風を呼吸することである。そうして初めて、福澤論吉が理想とした“独立自尊”の国作りができるだろう。勿論、彼らは日本海を“東海”と呼ぶことに執着するくだらなさにも、盗んだ仏像を屁理屈を捏ねて「自分のものだ」と主張する愚かしさにも、気付くことだろう。 (近現代史研究家 田中秀雄)


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