【新米住職ワーキングプア】(03) 寺を見張るのが役員の仕事なのに住職の言いなりだと言われて

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住職を継職してから約1年。振り返れば、思いもよらぬことの連続だったように思います。特に、書類上の名義変更は上手くいっても、実務については必ずしもそうならないという点でのハードルは予想以上でした。自坊のみっともない話で恐縮ですが、先輩諸師へ教えを仰ぎたく存じ、恥を忍びつつ、また反省の念も込めながら、お話を続けさせて頂きます。無論、以下の話は、特定の人物へ向けた批判の類では決してありません。「お寺をどう運営していくか?」という純粋な組織論からの具体的事例です。そこから重要な何かを学び取ることを念頭に置きながら、ご紹介する次第です。扨て、先代住職の下で選任されていた門徒の役員の中には、新しい何かが始まることを、殊更喜ぶに値しないという立場の方がおられました。寺院運営は門徒・檀家の協力なくしてはなりたちませんから、正直、往生しておることでございます。「お前のことは好かん」。直接そう言ってこられる方もありました…。まさに私の不徳の致すところですが、「好き嫌いばかりで何かとクレームをつけられても…」と困惑するのです。老朽化した本堂に手を入れようとした時のことです。築100年を超える物件ですから、配線類も複雑に絡み、漏電の危険が業者から指摘されておりました。その対策と同時に、内陣を少しばかり明るく現代風にする案を門徒さんに語ったところ、件の役員さん(※A氏としましょう)が開口一番、こう仰いました。「そげなことする必要なか。無駄な金ば使うな」。のっけから戦闘モード全開です。

勿論、私も反論します。「内陣出勤される他寺院の住職方から、『明るくしてほしい』という要望があります。住職方々の高齢化もあり、他寺院でもそういう取り組みは進んでいます」。すると…。「自分の知っている寺院でも暗いままのところはある。抑々、暗いことに意味があるとやなかか。坊さんはお経ば覚えとるやろうけん、(暗くても)関係なかろう」と冷笑を浴びせられる始末。結局、最終的には役員会で承認された訳ですが、工事が始まってからまた一騒動が。工事業者についての難癖でした。門徒さんの中に、偶々照明関係で大きな仕事をされてこられたプロがおられ、その方と相談の上、会議でも了解を取り付けて進めた事案でしたが、A氏曰く、「そいつが得をしとるだけやないか」とぶつのです。「役員会で了承を得ていますよ」。そう切り返しますと、「役員は住職のイエスマンばかりやないか」と尚も絡んできます。「最早、これは“怨憎会苦”の延長上での台詞に違いない」――咄嗟にそう直感致しました。哀れみさえ誘う放言に胸が痛みつつ、何とかそうした煩悩の炎が薄まってほしいと願い続けました。「現在の役員さんの選任は、きちんと役員会に諮って決定したことですよね? その中に貴方もおられ、賛成されていましたよ」。表情を歪めたA氏は、「どうせ反対しても無駄と思ったけんたい」と言い放つと、そのまま踵を返し、足早に去って行ったのです。当寺の役員会は5名体制。うち、門徒から3名選出で、何れの方も私が任命した方ではありません。A氏と近い方もおられ、反対しようと思えば十分に否決できる体制でありました。にも拘わらず、こう言うと申し訳ないのですが、誠に不思議な言い分でありました。後日、私はこの件について総代長さんを訪ねました。「何か心当たりはありますか?」「うん、あの人は、住職のことば『あいつは好かん』って言いよりました」「他には?」「『役員の仕事は寺を見張ることなのに、皆は住職の言いなりになってけしからん』とも」「それ以外は?」「『住職は勝手なことばっかりしとる。抑々、門徒会費は門徒のお金だから、使い道は自分たちが決める。寺に権利は無い』とかも」。私が嘆息したのは言うまでもありません。好き嫌いが高じて、住職の発案に全て反対するだけならまだしも、身勝手な理屈で役員会での決定すら認めようとしない訳ですから。これではお寺そのものの否定です。抑々、お寺というのは宗教法人ですから、その法人の名の下に集められた年会費は公費であって、その使い道は議決機関である役員会で審議されるべき種のものです。勿論、うちもそうしています。ですが、正式な会議の場で己の思惑通りに事が運ばないA氏には、「住職が(裏で手を回して)勝手をしとる」と映ったのかもしれません。暫くして、突如、A氏から役員の辞意が告げられました。

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それから間もなくのこと。とある噂が私の耳に入ってきました。「自分が煩いことばかり言うから、住職から無理矢理辞めさせられた」――。A氏がそう吹聴しているそうなのです。実際には、役員会で困った態度を取り続けた揚げ句、他の方々とそりが合わなくなり、「辞めた」と責任を放り出した形でしたので、流石に驚きを禁じ得ませんでした。しかし、この一連のことを通して、私は自らに「あぁ、今また仏さんから課題が投げかけられているのだな」と認識するに至った次第です。一般社会であれば、組織に混乱を齎すこのような人物は、無論のこと、厳しく処せられても仕方ないところでしょう。ですが、私は住職。相手はご門徒。宗教者として応対すべきなのか、或いは宗教法人の長である管理者として振る舞うべきか。難問故のその答えは未だ出ておりませんが、「娑婆で存分に採まれなさい」と笑っておられる仏さんの顔が脳裏に浮かぶのです。一方で、困った発言は相も変わらずだったりするのですが…。当面は新米住職としてありがたく、「これは煩悩の凄まじさというものを改めて教えて頂くよい機会である」と、その方に最大限の感謝をしつつ、受け止めていこうかと思っております。“寺檀紛議”という言葉が示すように、お寺と檀家の間は、ともすれば齟齬や誤解が生じ易いように改めて思う今日です。新米住職としては、先人たちが如何に苦労されて今の形を作られたのか、その足跡に思いを馳せる時、本当に深く感謝するばかりでこざいます。困難をものともせずに、知恵と勇気で乗り切っておいで頂いたからこその現在ですから。私もまた、「護持に邁進し、自坊と仏様を後の世代に無事に繋げなければならない」と気が引き締まります。

扨て、そんな先人方の中で最も身近な師と言えば、やはり先代でありましょうか。うちの父は今年で83歳になります。2年ほど前に脳梗塞を発症し、現在はリハビリで随分回復したものの、お参り等からは既に引退しております。ですが、(永代経等)大きな法要の際は、椅子に座って一緒にお念仏申す等、門徒さんに健在ぶりを示し、大いに喜ばれたりしております。そんな父の後ろ姿を通して、最近甚く感動したことがこざいました。ある日のタ方のことでした。本堂でやおら先代がお念仏を始めました。静かに聞いておりますと、私が数日前に法事を執り行ったお家の方の故人様のお名前が出てまいりました。仏説阿弥陀経・短念仏・回向までが終わり、顔がこちらを向いたので、ふと疑問を口にしました。「先程の方については、数日前に私が法事を済ませてますよ」。すると、「うん、わかっとる。だけど、本当の命日は今日やけんな」と真っ直ぐな目が返ったのです。思わず、体が震えるほどの感動を覚えたことです。誰も見ていないところで、またその話をしなければ、ご遺族すら全く知る由もないにも拘わらず、亡くなったその人のことを思い、その人の為だけにお経を唱えたいという姿勢は、未だ住職になりたてで、法事を“仕事”の延長線上にあるかのように位置付けがちな私にとって、思いもよらぬことだったのです。「仏道を歩むとはこういうことなのか」と目が開かれる思いでありました。また、ある時にはこんなことがございました。日没勤行の後のことでした。父が本堂に向かおうとするので、「お勤めは済ませておいたよ」と声をかけると、「お勤めは自分の為」と一言。「お前は未だお務めを“仕事”と勘違いしている節があるな」と、ガツンとやられた気が致しました。極めつけは、先代が少し調子を崩して病床にいた際のことでした。何の因果か、母も同じ病院に入院することになったのです。母の検査が続く中、父が1枚の手紙を残して病院を脱走しました。「ちょっと出てきます。心配しないでください」。直ぐに病院から連絡が入りました。行く当てもない筈なので、私は取り敢えず自坊に向かいました。案の定、中から念仏の声が漏れてきます。少し安心して、「若しかして、お母さんの為に念仏をしに来たの?」と尋ねると、「うんや」と否定します。「全てご縁。ただ、急に仏様の前で念仏したくなった」とのことでした。仏様の前で無心に手を合わせる。その姿の中にある、言葉では何とも表現できぬズシッとしたものを受け渡されたような気がしたことです。「お医者とお坊さんは経験を積んだ年寄りのほうがいい」とはよく言われることのようですが、何となく最近、少しだけその意味がわかってきたような気がしております。うちの先代に幼少時のことを聞きますと、どうも5歳くらいからお勤めを仕込まれたようです。私の祖父は随分と教育熱心であったようで、父は「お経もそのくらいから暗記させられた」とのこと。爾来、83歳になるまで、実に78年もの間、仏様の前で手を合わせてきたようです。今や往事のように声も出ず、肌も乾き、皺も多く、一見枯れているように見えなくもありませんが、その姿で静かに仏様の前で手を合わす背中をそっと覗き見る時、内面から滲み出る味のあるオーラがはっきりと伝わってまいることでございます。僧侶として独自の哲学を持ちつつ、姿婆世界と柔軟に関わってきた老僧だけが身につけられるだろうそんなオーラを感ずる時、自分はまだまだ全然なっていないことを痛感させられるばかりです。「貫禄が違い過ぎる…」。父を含めた先輩諸師を仰ぎ見ながら、今後も精進させて頂きたく存じます。


水月昭道(みづき・しょうどう) 浄土真宗本願寺派住職・環境心理学者・評論家。1967年、福岡県生まれ。九州大学大学院博士課程修了。博士(人間環境学)。著書に『高学歴ワーキングプア “フリーター生産工場”としての大学院』(光文社新書)・『他力本願のすすめ』(朝日新書)・『お寺さん崩壊』(新潮新書)等。


キャプチャ  2017年7月号掲載

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