【変見自在】 ハイエナが追う

昔は長閑というか、大学4年生の夏、水泳部で言えばインカレが終わった頃が就職を考える季節だった。で、新聞記者になろうと思って幾つか受けた。読売と産経に受かったが、読売は補欠合格だった。それならと産経を選んだ。入ってみたら、実は産経も補欠だった。「まぁいいか」と思ったものだが、それは良い悪いのレベルの話じゃなかった。人間辞めるかどうかくらいの大きな分かれ道だった。何故なら、産経の給料は、憲法の保障する最低限の文化的生活を営むことすら不可能に近い額だった。それで仕事は夜討ち朝駆け。休日も無い。ただ、それは残業手当がカバーすることになっていた。読売や朝日は間違いなくカバーしていて、かなりの額が支給された。独身記者は、「暫く給料袋を破っていない」とか言っていた。朝日の記者は「ほら」と言って、残業手当の入った封筒を横に立てて見せた。産経のそれは、窓から入るそよ風にも舞った。それでも記者は、新橋のガード下でなく銀座辺りのバーに通った。ひたすらの見栄だった。おかげでというか、良い仲になったママもできた。銀座のママは凡そエスポワール系とラ・モール系に分かれることも、そんなママから教えてもらった。2つの店には、吉行淳之介とか山口瞳とか知られた類が通っていた。女の子たちは、誰に付いても話ができるよう、作家の作品は読み込み、新聞の政治・経済面も必ず目を通していた。そんな努力があって、後は『黒革の手帖』みたいにパトロンを得て、どこかに店を出すのが形だった。店がはねた後、ママが「同じエスポワール系のお店に遊びに行く、一緒に行こう」と誘ってくれた。それは『資生堂』本社の近くの店で、入ってびっくりした。コの字型のカウンターの反対側で飲んでいたのは、轡田某とか当時の朝日新聞の知られた記者連中だった。

彼らは誰かの文章について、「あそこは“が”はないね、“で”だね」とか、「あの体言止めはいかんよ」とか、果てしなくやっていた。酒の席の話題にしては辛気臭い。「俺は記者だ」という優等生ぶったやり取りが鼻についたが、それでも彼らは一字一句に拘る記者の佇まいを間違いなく持ち合わせていた。翻って、産経の記者は、記事を云々するより、もう少し世知辛い話題だったように記憶する。ああいう気障ったらしい話を一度はしたかった。そんな羨望を引きずっていたら、先日、その朝日にへンな記事があった。安倍改造内閣で沖縄・北方担当大臣に就いた江﨑鐵磨が、「国会答弁では役所の答弁書を朗読すると記者団に言った」とある。言いたいことはわかる。今村雅弘復興大臣が「東北でよかった」の一言で閣僚をクビになり、稲田朋美が「日報は無い」の発言で辞任に追い込まれた。不用意な言葉が命取りになるから、「ペーパーの棒読みに如くはない」と誰でも思う。それにしても不用意な発言だと思ったら、江﨑の事務所は「地元の私的なオフレコ発言だった」と説明し、それも朝日は紙面で紹介していた。記者には作法がある。オフレコと相手が言ったら書かない。守れないなら聞かない。最低限のマナーだ。それを守らない。おまけに「オフレコ発言だった」と断る神経は何なのか? 江﨑に失点1が付くと、記者は群がる。また失言すれば彼はクビ。安倍の任命責任を問う目論みだろう。案の定、3日後の会見で、女性記者が「北方四島を言ってみろ」と糺した。拒否すれば「旧島民が悲しむ」(女性記者)と叩く。江﨑は、この場は何とか切り抜けたが、今も彼の失言を追って記者どもがハイエナのように追っかけ回している筈だ。昔の記者は、自分の文章の一字一句を精査した。それが記者の大事と教った筈だ。ところが、今の記者は自分のではなく、他人の一言一句を追う。どこで連中は勘違いしたのか?


高山正之(たかやま・まさゆき) ジャーナリスト・コラムニスト・元産経新聞記者・元帝京大学教授。1942年、東京都生まれ。東京都立大学法経学部法学科卒業後、産経新聞社に入社。警視庁クラブ・羽田クラブ詰・夕刊フジ記者を経て、産経新聞社会部次長(デスク)。1985~1987年までテヘラン支局長。1992~1996年までロサンゼルス支局長。産経新聞社を定年退職後、2001~2007年3月まで帝京大学教授を務める。『高山正之が米国・支那・韓国・朝日を斬る 日本人をますます元気にする本』(テーミス)・『アジアの解放、本当は日本軍のお陰だった!』(ワック)等著書多数。


キャプチャ  2017年9月7日号掲載
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