【平成の天皇・象徴の歩み】(13) パラ大会機に支え続け

20170913 02
パラリンピック競泳メダリスト・河合純一さん(42)の職場に宮内庁から電話がかかってきたのは、2000年秋のことだ。「天皇陛下がおめでとうと仰っています」。驚いていると、「是非伝えてほしいと希望されたので…」と突然の電話の理由を説明された。15歳で全盲となった河合さんは、同年10月のシドニー大会で、競泳男子50m自由形(視覚障害1)等5種目に出場。金メダル2個、銀メダル3個を獲得した。バルセロナ、アトランタに続いて出場したシドニーには、期するものがあった。大学を卒業し、公立中教員に採用されて初めての大会で、選手団の主将も務めた。社会人としてアスリートとして迎えた正念場だった。アトランタの時は、他の入賞者らと一緒に皇居での茶会に招かれ、陛下と皇后さまに労ってもらった。「態々電話で祝意を伝えてくれたのは、シドニーが私にとって重要な大会だったと理解して頂いたからだ」と、河合さんは感じたという。天皇陛下は皇太子時代、1964年の第2回パラリンピック東京大会で名誉総裁を務められた。閉会後、「このような大会を国内でも毎年行えれば」と述べられ、翌年に『全国身体障害者スポーツ大会』が始まったことは、よく知られている。関係者によると、陛下はこの時、日本は病院や施設にいる選手が多いが、外国の選手は社会人が大半である点に着目し、言及されたのだという。

同大会の前に開かれる団体種目に、車椅子等の障害者も健常者と対等に競えるアーチェリーが加わったのも、両陛下の尽力があった。新競技が採用されれば、練習場が新設され、障害者の参加機会が増える――。そうした考えを熱心に関係者に伝えられたという。1980年の国体で、障害者がアーチェリー競技に初めて出場した。陛下は、続いて開かれた全国身体障害者スポーツ大会のお言葉で、「私は心から嬉しく思いました」と喜びを口にされた。陛下は、1965年の第1回から即位した1989年の第25回まで、昭和天皇が病で伏した1988年を除き、同大会に全て出席された。選手を見守る役目は、即位翌年から皇太子さまが担われている。同大会は2001年に知的障害者の大会を統合し、『全国障害者スポーツ大会』として続いている。障害者が働き、自立を目指す『太陽の家』(大分県別府市)が創立50周年を迎えた2015年10月。現地で式典に臨んだ後、陛下はトレーニング施設で「ちょっとやりましょうか」と、卓球選手の宿野部拓海さん(25)をラリーに誘われた。角度のある球を次々と返される陛下と“対戦”した宿野部さんは、「真剣にやって頂き、互角の勝負になりました」と振り返る。ボッチャ日本代表の木谷隆行さん(47)には、熱心にルールを尋ねられた。木谷さんは、「両陛下は、ボッチャをスポーツと捉えてくれている」と感じた。翌年のリオ大会で、日本初となる団体戦銀メダルを手にした時、両陛下の顔が頭に浮かんだという。3年後、東京は世界で初めてパラリンピックを2回開催する都市となる。『日本身体障害者スポーツ協会』元常務理事の井手精一郎さん(92)は、「今日の障害者スポーツの発展は、両陛下無しにはあり得なかった。2020年大会は上皇・上皇后両陛下として、成長した日本の選手に声援を送って頂きたい」と話す。


⦿読売新聞 2017年6月30日付掲載⦿
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