【平成の天皇・象徴の歩み】(14) 差別の苦しみ、癒やす

20170915 04
天皇・皇后両陛下を乗せて、瀬戸内海を行く高速船が速度を落とし、大島にギリギリまで近付いて行った。2004年10月4日、香川県の小豆島に向かい、高松市に戻る途中だった。両陛下は当初、同市で『全国豊かな海づくり大会』に出席するこの機会に、大島の『国立療養所大島青松園』を訪ね、入所しているハンセン病の元患者と会うことを望まれた。だが、島は浅瀬で高速船が着岸できない為、この2日前、同市内で入所者代表ら約25人との懇談が設定された。其々の手による陶磁器や盆栽を前に、「作ることが生き甲斐になっていますか?」等と声をかけられていた。両陛下はその上で、上陸できないまでも、船上から島の人々に手を振ろうとされたのだった。島の桟橋にも約200人が集まり、日の丸の小旗を振った。肉眼では両陛下の姿を確認できなかったが、入所者の野村宏さん(81)は「波に揺れる船を見ただけで、両陛下の温かなお気持ちが伝わってきた」と振り返る。野村さんが入所した1952年当時、同園では24畳の大部屋で12人が生活していた。職員は予防着と長靴姿。外の病院で治療を受けられず、医師や看護師は目しか出さない格好で接してきた。当時の患者らは、人里離れた地域や島での生活を余儀なくされた。差別的待遇は、1996年のらい予防法廃止まで続いた。

国の隔離政策を違憲とした熊本地裁判決が確定したのは、2001年になってからだ。陛下は、皇太子時代の1968年の『奄美和光園』(鹿児島県奄美市)訪問から、2014年の『東北新生園』(宮城県登米市)訪問まで、半世紀近くかけて、国内14の全ハンセン病療養所の入所者と懇談された。「ハンセン病への誤解や偏見が続く中、両陛下は行動し、理解を広めてくれた」。『全国ハンセン病療養所入所者協議会』会長の森和男さん(77)は、そう強調する。1975年の沖縄初訪問の時も、『沖縄愛楽園』(名護市)に向かわれた。差別と戦争の惨褐に苦しんだ人々と懇談後、車に向かわれた時、船出歌『だんじょかれよし』(※“誠にめでたい”の意)の大合唱が沸き起こった。陛下は、この情景を“だんじょかれよしの歌声の響 見送る笑顔目にど残る(だんじょかれよしの歌声の響き 歌って見送ってくれた人々の笑顔 今も心に残っている)と、沖縄独特の短歌『琉歌』に詠まれた。これに皇后さまが曲を付けた『歌声の響』は、ご結婚40年・50年の祝賀の機会に披露されてきた。2015年にハンセン病への差別撤廃を世界に訴える『グローバルアピール2015』が東京で開かれると、両陛下は来日した各国の元患者代表をお住まいの御所に招き、懇談された。日本政府ハンセン病人権啓発大使で、『日本財団』会長の笹川陽平さん(78)は、この時に案内役を務めた。頬擦りするように顔を寄せ、病気で形が変わった手を握られる両陛下と、目を潤ませて感激している元患者らの姿が、目に焼き付いているという。「家族からも手を握ってもらえない私と握手して下さった。これまでの苦しみや痛みがスッと消えた」。懇談後の記者会見で、インドの『ハンセン病回復者協会』会長のヴァガヴァサリ・ナルサッパさんは目を輝かせた。アメリカ人の男性代表は、「両陛下に会って私は復活した。新しい世界への扉を開けてくれた」と、感謝と喜びの言葉を口にした。


⦿読売新聞 2017年7月2日付掲載⦿
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テーマ : 天皇陛下・皇室
ジャンル : 政治・経済

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