想定外の激震に2度見舞われた熊本の寺院――「地震は無い」と信じていた矢先の震度7、突然の被災に住職は何をしたか

死者・安否不明者合わせて50人、関連死20人と大被害を齎した熊本地震。余震は1ヵ月で1400回以上、建物損壊は8万2884棟、600ヵ寺以上が被災し、寺院住職にも疲労が蓄積している。

20160731 01
「何とか声は出せたけん。『助けてぇ、助けてぇ』と呼んだんよ。近所の人と後から消防団の人が来てくれたけん、生きとうとよ。朝5時くらいに何とか出らてねぇ。『住職とお姉さんが未だ庫裡にいるから』と一緒に探して。そん時は、住職は大丈夫だったんだけどねぇ」――。瞳を潤ませてそう語る60代女性のAさんは、2度目の強震が襲った4月16日未明、熊本市西区の白川沿いに建つ浄土真宗本願寺派常通寺にいた。同寺には、住職(71)とその姉(76)の2人が暮らしていた。Aさんは2人の友人で、普段から草取り等お寺の手伝いをする間柄だった。15日は、前日に襲った震度7の地震の後片付けに終日、本堂の掃除に当たった。老齢の住職姉弟だけでは不安だろうとお寺に泊まり、漸く眠りに就いた。そこに再び震度7の地震。Aさんが休む客間の屋根が降ってきた。気が付くと、畳と梁の間にできた僅かな隙間の中にいた。奇跡的に怪我は無かった。客間の隣の庫裡に寝ていた住職の姉は、廊下の柱か梁かに両足を挟まれた状態で発見された。膝から下が赤黒く鬱血し、水泡だらけになっており、福岡県の病院に緊急搬送された。住職が休む奥の客室も倒壊寸前だったが、住職に大きな怪我は無かった。だが、間口六間の本堂を支える十寸超角の梁は真っ二つ。山門は倒壊寸前、井戸の屋根も全壊。庫裡や客間は音を立てながら、日に日に傾きを増していった。宗派は避難するように勧めたが、住職はそれから10日間以上、車の中で寝起きを続けた。その為、遂に臥してしまった。

4月14日21時26分、熊本県上益城郡益城町を最大震度7の地震が襲った。3時間後の15日0時3分にも最大震度6強の揺れがあったが、多くの人々、そして家屋も、これらの揺れには何とか耐えた。だからこそ、殆どの被災者が翌朝から1日中、自宅や寺院でも片付けに当たったのだ。だが、1日中働き詰めた後の16日1時25分、追い打ちをかけるように震度7の本震が襲った。これが決定的となった。震源地の益城町や熊本市内の木造家屋は、ミシリミシリと不快な轟音を響かせ、次々と倒壊。震源地付近にある寺院の墓石は半数以上が倒壊した。人的被害は死者49人、避難所生活で心臓疾患等を原因とする関連死の疑いが20人、安否不明者1人。避難者は、本震から1ヵ月たち、尚も1万人を超える。車中泊を続ける避難者が多いことから、エコノミークラス症候群と診断されて入院した患者は51人になる(『毎日新聞』5月18日付)。家屋倒壊等の建物損壊は8万2884棟(『読売新聞』5月14日付)。死者の多くは、家屋倒壊による圧死という。一夜の安堵の後に暗闇を襲った本震は、「また大きな揺れがあるのでは」「夜眠るのが怖い」と被災者の心の傷になっている。1400回を超える余震が続いているのも、その不安を増長する。更に、一度基礎がやられてしまった建物は、震度3ほどの余震でも大きく損傷してしまう。日一日と“倒壊し続けている”建物も多かったという。では、お寺の被害はどうだったのか。九州各県では600ヵ寺以上が被災したが、被害が集中した熊本県下の伝統仏教寺院に限ると、被害報告があるのは全990ヵ寺の内、528ヵ寺。半数以上のお寺が被害に遭ったのだ(5月18日時点)。宗派別ではどうか。最も被害寺院が多かったのは、浄土真宗本願寺派。冒頭の常通寺も同派だ。被害寺数は315ヵ寺(全4661ヵ寺)。天台宗は15ヵ寺(全15ヵ寺)、高野山真言宗は約40ヵ寺(全46ヵ寺)、真言宗智山派3ヵ寺(全3ヵ寺)、曹洞宗9ヵ寺(全123ヵ寺)、浄土宗40ヵ寺(全98ヵ寺)、真宗大谷派80ヵ寺(全119ヵ寺)、臨済宗妙心寺派4ヵ寺(全12ヵ寺)、日蓮宗22ヵ寺(全108ヵ寺)。真言宗豊山派は熊本県下に寺院が無い。住職・寺族から死者は出ていないという。被災寺数は、本堂全壊等甚大な被害があった寺院から、位牌が落ちる程度の軽微な寺院も含む。軽微な場合、宗派に報告していないお寺もあるようだ。また、現地を取材した限りでは、震源地付近や川沿いに建つ寺院、川を埋め立てた土地と伝わる場所に建つ寺院が大きな被害を受けたようだ。無論、寺院の建築様式や年代、震源からの距離にもよるだろう。専門家や各宗派の調査報告を待ちたい。それでは、実際に被災した寺院住職たちの生の声を聞こう。

20160731 02
①お位牌は諦めるしかなかろう  浄土真宗本願寺派専壽寺
被害が集中した上益城郡益城町木山にある浄土真宗本願寺派専壽寺。間口六間の本堂や庫裡は倒壊し、高さ約2mの石垣も崩れ落ちた。西側の道路沿いには、その瓦礫が積み重なっている。周辺民家も古い木造建築が多く、同様の被害を受けた門信徒も多い。高千穂義静住職(71)は、落ち着いた語り口で心境を語った。「まぁ、見ての通りのこんな有り様ですよ。お寺に来る度に屋根が落ちてきててね…」。棟木が剥き出しになり、相次ぐ余震の影響で徐々に沈んでいく本堂を前に、高千穂住職は呆然と立ち尽くす。家族は全員無事だった。16日以降、車中で2泊過ごしたが、その後は避難所やアパートにいるという。勿論毎日、お寺に足を運んでいる。境内右手には、唯一原形を留めた納骨堂が建つ。堂の西側の壁が落ち、そこから回収できた一部の過去帳や遺骨は、同派熊本別院に移した。だが、至る所に罅割れが目視できる。倒壊寸前だ。扉は外されて堂内が見えるが、中はぐちゃぐちゃのままだった。「納骨堂に残されたお位牌やお骨はそのままです。何とかしてあげたいが、いつ崩れるかわからん。中に入ったら、命を無くすかもしれない。住職として『これを取り出してくれ』とは、解体業者の方にもよう言えんのです。ですから、辛いが、もう諦めるしかなかろうと」。専壽寺から南に300mほど下ると、東西に秋津川が流れている。高千穂住職は、「お寺の前の道も、その昔、秋津川の支流だったという話もあるよ。若しかしたら地盤が緩かったのかもしれんねぇ」と呟いた。

20160731 03
②赤紙を貼られてしまった本堂  日蓮宗道安寺
その専壽寺から直線距離で400mほど、最も近くにある寺院が、益城町宮園に建つ日蓮宗道安寺。益城町役場の直ぐ裏手のやや高台に構えている。昭和55(1980)年に建てられた鉄骨2階建ての本堂兼庫裡は、外観からは倒壊の危険は無さそうだが、屋根には全面ブルーシートが被さっている。本堂外壁には、応急危険度判定で瓦・外装材が落下する危険があると“立ち入り危険”の赤紙が貼られていた。これは、建物の全壊や半壊といった公的支援を受ける為に不可欠な“罹災証明書”の為の調査ではなく、人命に関わる2次災害を防止する為に行政が緊急的に行う調査判定。被災宅地等の危険度を赤(危険宅地)・黄(要注意宅地)・青(調査済宅地)に分け、判定されるのだ。竹本義隆住職(52)は言う。「本震から3週間以上、地域住民10人ほどとお寺の駐車場で車中泊しました。周囲の木造の家屋は殆ど倒壊。地震生時は兎に角、逃げるだけで精一杯でしたよ。生きた心地がしなかった」。本堂の屋根が損壊し、ブルーシートを張ったが、風に飛ばされてしまった。17日以降の大雨では、堂内でも傘を差しながら片付けを続けた。だが、赤紙が貼られるとボランティアは中に入れない。インフラは、電気が本震から1週間後、水道は5月13日に漸く復旧した。周辺の民家で本震から3日後にはライフライン全て復旧したところもあるもあるというから、同じ地区でも大きな差がある。水が出ない期間は拭き掃除ができない。「また大きな揺れが来るかもしれない」という不安があり、飲み水を掃除に使う訳にもいかない。片付け作業にはマスクは必須だった。幸い、下水は大丈夫だった為、トイレは益城町役場から給水を受けて使えていたという。復旧に向けては動き始めたばかりだ。だが、今後の問題は大きい。本堂の基礎部から損傷しているのか、堂内は歩いて感じられるほどに傾いている。「建て直すにしろ、修復するにしろ、費用はどうするのか。まさかと思い、地震保険には加入していなかったし、『鉄骨建築を見る業者は、検査代だけでも相当費用がかかる』と聞いている。檀信徒の7~8割は近隣住民で同じく被災しており、寄付をお願いできる状態じゃない。まだまだ先が見えませんね」と竹本住職は話す。

20160731 04
③子供の為のテント生活続く  日蓮宗正立寺
大被害の熊本城から南西に1kmほど、熊本市中央区横手にある日蓮宗正立寺は、墓地の約200基の墓石の7割ほどが倒壊し、境内の堀が全壊、本堂の壁は剥落、本堂と庫裡の間には5㎝ほどの隙間が空いた。約350年の歴史があるという鐘楼門が目を引くが、それもブルーシートで覆われている。位牌等の倒れ易いものはバラバラに飛び散った。被災して直ぐ、副住職の友人がポリタンクに詰めた水・ガスボンベ・カップ麺を届けてくれて、急場を凌げた。トイレは井戸水を汲んできて下水に使っているが、上水は配管に被害があり、本震から3週間経って漸く完全復旧した。住職と奥さんは、比較的被害の小さかった庫裡で生活しているが、塩田義照副住職の家族は、境内で6~8人用の大きなテントを張って過ごしている。庫裡支関前にテーブル・椅子・カセットコンロ等野外生活を送る為のキャンプグッズが一式並ぶ。数年前から趣味で始めたキャンプに、9歳・5歳・2歳になる子供とよく出かけていた。今回は、その道具が役立ったのだという。子供たちは、テントをまるで“秘密基地”のようにして楽しく過ごしているように見えた。だが、塩田副住職は現状をこう語る。「一番下の子は『一緒に寝て』とせがむようになってしまいました。『家の中のほうが怖い』と言うので、テント生活を続けているんです」。子供たちも平穏な日常を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうだ。

20160731 05        20160731 06

20160731 07
④70人余が保育園を避難所に  浄土真宗本願寺派光輪寺
熊本地震で特徴的なのは、余震が止まず、被災者が“車中”避難を余儀なくされたことだろう。お寺の境内や駐車場で車中泊する人たちも多い。その一方、寺院そのものが避難所になったという話は聞かない。ある住職曰く、「寧ろ、お寺が一番危険だったから、避難しようなんて人はいなかった。瓦が落ちるかもしれないし、木造だから余震があると軌む音がする。寺の人間でも怖いくらいだったから」。そんな中、熊本市東区に建つ浄土真宗本願寺派光輪寺には、本震のあった16日夜から多くの地域住民が集まって来て、共に夜を明かしたという。だが、秋津川北岸に建つ同寺の本堂は全壊、庫裡も損傷したというのだ。実際、避難所になったのは、隣接して建つ光輪保育園だった(右写真背後の建物)。40年ほどの歴史ある園だが、数年前に鉄筋コンクリート造の2階建てに新築したばかり。14日の前震で周囲の木造民家に大きな被害があったが、唯一無事だったのだ。そこで山田敬史住職(43)は、直ぐに避難所として開放することを決断。翌15日、近くに住む門徒10人ほどと協力し、3室ある保育室のピアノや壁掛け等全てを1室に移し、1室を空っぽにした。その夜、20人ほどの門信徒や地域住民が保育室に泊まった。そこに震度7の本震。近隣民家は壊滅的被害を受けた。住職の素早い判断が、住民の命を救ったのだ。その後も門信徒を問わず避難者は増え、最多時には70人以上、5月2日まで避難所として機能し続けた。行政の定める指定避難所ではない為に救援物資は来なかったが、山田住職の友人が協力して物資を届け続けた。住職の母はこう語る。「住職の友だちが保育園に一緒に泊まってくれてね。勇気付けてくれた。それに、保育園を開放したのもそんな大それたことじゃないですよ。1人でいるより皆でいたほうが怖くないし、安心できるからですよ」。到壊した本堂の解体には、全国各地から駆け付けた同派僧侶が数人ずつ、毎日入れ替わりで助けてくれた。解体で運び出された土嚢は5000袋、約50トンになる。その殆どを手作業で行ったのだから驚きだ。また、宗派を超えた応援もあった。山田住職と普段から交流のある真宗大谷派の僧侶や、曹洞宗の僧侶も活躍。「業者が解体すると全部瓦礫にされるけん。こんな時は僧侶が頼りになる」と、誕生仏や仏具が解体の最中、大事に“発掘”された。3週間ほどで基礎部が見えるまで進んだという。

20160731 08
震災被害の原因究明は、専門家の判断を待つ必要がある。では、「お寺が熊本地震で教訓とすべきことは何か」と住職たちに訊ねると、異口同音に「『地震に備えよ』ということに尽きます」とのことだった。誰もが知っている当たり前の話であるが、震災現場だけに実感がこもっていた。それに、専門家は「大地震が起こる可能性があった」と言うが、取材時に最も多く聞かれたのは「地震対策をしていなかった」という話なのである。この認識のズレは大きい。ある僧侶は、「熊本で自然災害があるなら水害か噴火。次に大きな地震が起こるのは関東か東海、南海トラフだろうと思っていた。熊本は地震の無い土地だと信じていた」と語った。同様の話は、多くの僧侶や被災者から聞かれた。歴史的には、熊本市中心部を襲った大地震の記録はある。明治22(1889)年にはM6.3、死者20人。また、寛永2(1625)年の地震は、熊本城天守閣付近の石壁や城中の石垣に被害があり、死者約50人との記録もある。400年も遡れば、日本で地震の起きていない土地など無いかもしれないが、では何故「地震など起きない」と信じてしまったのか。全国各自治体は『地域防災計画』を策定している。この計画は、災害時の避難場所や行政の対応を定めたもの。が、益城町の計画は全93頁中、水害対策に57頁、地震対策には僅か7頁しか割かれていなかったという(前掲の読売新聞から)。事実、地震発生時の避難所として2000人収容できる筈だった益城町総合体育館は、天井が崩落。通路や駐車場に人が溢れる事態になった。布田川断層帯が横断する地域でありながら、少なくとも行政側の“備え”が万全だったとは言えない。阪神淡路大震災のように複合災害としての大火災が起きなかったのは、まさに不幸中の幸いだったかもしれない。とはいえ、熊本県民の地震に対する危険意識が特別低かった訳ではないようだ。火災保険の参考純率や地震保険の基準料率を算出し、保険会社に提供している『損害保険料率算出機構』の平成26(2014)年の統計を参考にすると、熊本県の地震保険の世帯加入率は28.5%。全国平均が28.8%なので、平均とほぼ同値だ。最も加入率が高いのは宮城県で50.8%、次いで愛知県の38.7%、東京都35.6%と続く。つまるところ、当然だが、天災はいつ何時、どこでも起こり得ることなのだ。全国各寺も教訓として、今一度、自坊を鑑みる必要があるだろう。では、被災後の支援活動はどうだったか。益城町では19日以降、急激に水や食料が届き、多くの宗派でも4月末日には物資支援を打ち切るほどだった。また、多くの僧侶が“東日本大震災の教訓を活かし”、一般ボランティアと協働してスムーズに支援を行う姿が光ったのは特記できるだろう。次からは、そんな各宗派の僧侶の活動をリポートする。

20160731 09
■地震直後に物資供給や炊き出しに奔走した僧侶が得たもの
水・お米・トイレットペーパー等、支援物資は息つく暇も無く寺院に運び込まれ、忽ち本堂が一杯になる。僧侶たちの額には汗が滲む。物資の種類と数量は、逐一管理することも重要だ。1つひとつメモを取りながら、物資毎に纏めて仕分けていく。そこに、「水が不足している!」と一報が入る。直ぐに車に詰め込んで手分けして運ぶ。地震直後、瓦礫が散乱する悪路には、バイクに跨り、1人でも多くの被災者の許へと物資を届ける――。こうした光景が、被災地熊本の寺院では繰り広げられた。右写真は、そんな熊本市の浄土宗西福寺での一幕。被災地支援は、先ず最初の72時間が一命を取り留める為のデッドラインと言われる。そして、時間経過によって必要とされる支援は、炊き出し・瓦礫の撤去・足湯・傾聴と長期的な支援へと変わっていくものだ。震災の中心地から離れた場所で、或いは震災地のど真ん中で、青年会組織や有志で、又はボランテイアと協働して…と様々な形で支援が行われたが、その一部を紹介しよう。本震翌日の4月17日昼、逸早く炊き出しを開始したのが、熊本市内から北西に車で約1時間、玉名市にある真言律宗蓮華院誕生寺だ。東日本大震災の被災地支援の時から関係のあった上益城郡益城町にあるNPO法人『九州ラーメン党』と協働し、被害が集中した益城町内で温かい汁物を提供したのだ。「自坊の被害が小さかったこともありますが、『直ぐに支援に向かわなければ』と。結果、直接繋がりのなかった団体も、人伝でボランティアに来てくれた。支援したい思いを抱える人たちの受け皿になれてよかった」と川原英照住職(63)は語る。事実、18日以降、同寺は真言宗・曹洞宗僧侶・『シャンティ国際ボランティア会』・信者、そして全国から駆け付ける支援者たちの一大活動拠点になった。拠点となった理由には、同寺が真言律宗の九州別院であり、庫裡等に100人ほどが泊まれる大寺院であること。震源地から距離があり、被災は石塔が数基倒れただけで済んだこと。素より、被災地支援等積極的に行ってきた同寺のNPO『れんげ国際ボランティア会』の人脈があったからだ。宿坊の廊下には、全国各地から届いた食料・水・衛生用品が山のように積み上げられ、中には米1俵を届ける支援者もいた。

20160731 11
炊き出し需要が減った5月7日まで、熊本市東区の東野中学校や秋津小学校等の避難所を中心に提供した食事は、何と計8000食。早朝6時から、炊事場には生鮮野菜を刻む包丁の音が響く。ボランティア・寺族・信者・近隣住民・僧侶たちによる食材の仕込みだ。支援の要望に変化が出てきた5月2日からは、各避難所で足湯ボランティアも開始。九州看護福祉大学の淀川尚子講師とその学生が中心に行う。学生ボランティアは、被災者の本音を聴き出す傾聴活動が得意だ。同寺内観研修所所長の大山真弘師(68)は話す。「今後は宗教者としての傾聴活動も求められます。しかし先ずは、避難所生活者が今、何を不安に思っているのか、何を必要としているのかを知りたい。特に、高齢者にとっては若者相手だからこそ本音を話してくれることもある」。ボランティアは其々の活動報告を、毎朝7時に同寺で開くミーティングで共有する。お寺の支援方針の参考になり、これで避難所への弁当配達を始めた。求められる支援は変化していくが、同寺は今後も熊本支援の拠点となるだろう。「○○寺様がオムツ(M・L)が不足しているとのことでしたので余裕があればお願いします」(15時43分)、「紙おむつしかないですけど良いでしょうか」(15時57分)、「よかです!!」(15時58分)――。僅か15分間で不足する物と場所、余分に持つ人が繋がる。これは、スマートフォンで利用できる無料携帯アプリ『LINE』による熊本県曹洞宗青年会のやり取りだ。LINEは、利用者間で特定のグループを作り、そのグループ内のメンバーが同時に会話のようなメールをやり取りできる機能がある。電話だけではこうはいかない。行政が管理する指定避難所では、「A中学校では水すら不足しているのに、B中学校では温かい食事が提供される」という支援物資の格差が問題になった。各宗派の地元僧侶は、その状況に敏感に対応した。このLINE機能を利用して、素早く情報を共有したのだ。各宗派や檀信徒からお寺に届く支援品を、物資が足らない避難所や、中々支援物資が受けられない避難者に対して配ったのだ。結果として、この活動が被災地での支援物資の格差を埋めていく働きをしていった。若者たちを中心に普及しているLINEが今後、災害に緊急時に大きな力を発揮することがわかった訳である。そして、各宗派の青年会の活動も活発だった。

     20160731 10        20160731 12

熊本県曹洞宗青年会は、本震発生直後の4月17日と18日、同会会長である熊本市中央区の玄宅寺・永野英寿副住職(42)を中心に、熊本市や上益城郡の被災寺院の片付けに当たった。翌19日から29日は、約400人が避難する熊本市中央区の砂取小学校と同区の出水中学校を中心に、連日夕食の炊き出しを行った。これを可能にしたのが、全国3200人の会員を擁する『全国曹洞宗青年会』だ。同青年会が東日本大震災以降、災害時用に全国5ヵ所(岩手県・福島県・静岡県・長野県・三重県)の寺院に備蓄していた食材や物資が役立った。アルファ米(熱湯を注ぐと15分で50人前が炊き上がるご飯)・鳥そぼろ缶・水・炊き出し道具一式・簡易トイレだ。同会副会長で長野県上田市日輪寺の坂井泰寛副住職は、18日には長野県からアルファ米600食を含む物資を載せ、車で翌19日朝に現地入り。拠点の玄宅寺に届けている。各地から支援に来た同宗青年会僧侶は、東日本大震災での復興支援の経験者が多く、調理の手際がいい。同日夜には、砂取小学校で500食分の炊き出しを開始。避難者は各食、パンかおにぎり1つずつだったところ、汁物やおかずもある定食が出されたのだから喜んだことだろう。その後も毎日、メニューを替えて提供した。永野会長の5歳になる息子は、夜眠るのを怖がるようになり、1人でトイレに行けなくなった。だが永野会長は、自坊や家族も心配だが「自坊よりも先ず支援を」と連日の炊き出しや、宗派や檀家等の寄付によって各寺に集められた物資を配り続けたのだ。この物資の配布は情報共有が上手くいき、順調に進んだ。ただ、熊本県青年会事務局長で人吉市・永国寺の紫安敬道住職(40)によれば、「敢えて問題点を挙げるなら、情報を得た数時間後には物資が不要になっていたことがあった」と話す。物資不足の情報に直ぐに対応しても、別の団体が既に届けていたということがあったのだ。それほどに物資支援は迅速だった。それでも、「少しでも足りないところに確実に届けたかった」との強い思いがあるのだろう。紫安住職は、「もっと上手く配布できるよう、日頃から情報管理の方法を考えたい」と加えた。

20160731 13
17日以降、“瓦礫撤去班”と“支援物資班”の2つに分かれて作業したのが、浄土宗青年会の有志だ。瓦礫撤去班は、応援が必要とされるお寺や、近隣住民宅の片付けに当たった。支援物資班は、檀家や寄付、また宗派を経由して、全国から同寺に集まった物資を配布。だが、本震から数日後になると、指定避難所は、物資の数や量が揃わないと物資自体も受け取ってもらえなくなったという。その為、昼夜を問わず一時避難所になっている可能性がある保育園や老人ホームを電話帳で調べて、片っ端から電話をかけた。「あの保育園に20人いるぞ」とわかれば、直ぐに必要な物資を車一杯に詰め込み、配布に向かう。移動の無駄を省く為、帰り道でも車中避難者たちに声をかけながら必要な物資を配ったという。こうした宗派の活動の拠点となったのが浄土宗西福寺。熊本市中央区の坪井川と白川に挟まれた地に建つ。とりわけ、2度目の大揺れとなる16日に襲った地震で、本堂基礎部の柱は定石からズレて、柱に罅が入る等の損傷、墓石の倒壊や壁の剥落、それに庫裡の屋根の被害も大きかった。そんな状況下、吉田徹秀住職(33)は、教区長から青年会として「宗派の物資の集積所となってくれ」と依頼されたのだ。被災中心地の寺が支援活動の拠点となるのは容易なことではない。ただでさえ、檀家からお墓の問い合わせだけでもひっきりなしに電話が鳴る。24時間体制での支援活動が続き、1週間以上真面に眠れぬ日が続いたという。3週間ほどで漸く緊急的な支援のピークは過ぎたが、「これで終わりではない」と吉田住職は言う。「避難者に限らず、被災者の心は疲弊している。家族間の喧嘩が増えているという話もある。宗教者としての本領は、これからだと思う。今後はメンタルケアや傾聴活動に力を注いでいきたい」。

20160731 14
青年会を中心としながら、宗派の有志が一丸となって活動しているのが真宗大谷派だ。17日の昼には、福島県二本松市から真行寺の佐々木道範住職が到着し、宇土市の緑川保育園で炊き出しを行った。東本願寺熊本会館仏青会長で熊本市南区の光顕寺の尺一聡住職(39)は、「青年会等の組織で動くと会議や予算組み等が必要になり、どうしても活動が遅くなる。その点、有志で動くほうが素早く必要な支援を行える」と話す。その必要な時に必要な支援を行うのが、同派の“チーム熊本”。青年会の有志とチーム熊本は、他教区の支援チームを加えて、仏青や個人で集めた支援金を使い、一度に300人分の汁物を作れる大釜を購入。連日の炊き出しにフル稼働した。有志で動く強みは、フットワークの軽さにある。吹き出しも1ヵ所で行うのではなく、支援の要望が入ればどこにでも向かう。日毎に場所が変わり、他教区の団体の支援に加勢する場合もある。“被災地支援をする”という共通目的で動いているからこそだろう。5月6日の益城町保健福祉センターで行われた炊き出しには、浄土真宗本願寺派の僧侶も参加した。同派は他宗派に比べ、被災寺院が圧倒的に多かった為、お寺への支援に力を割かざるを得ない状況にあった。「それでも支援を」という本願寺の気持ちを、大谷派の僧侶は快く受け入れた。宗派を超えた活動は、被災地で益々重要になっていくだろう。72時間の初動支援も重要だが、瓦礫の撤去等、中・長期的な支援も欠かせない。熊本県水俣市に建つ浄土宗西生院の濱田智海住職(61)は、一般社団法人『ボーイスカウト熊本県連盟』の理事長。『アーユス仏教国際協力ネットワーク』の会員でもある。水俣市にある自坊でも大きな揺れを感じたが、幸い目立った被害は無く、支援に動いた。濱田住職がボーイスカウトの受け入れの為、行政と土地の折衝をして現地入りしたのは、本震から10日後の4月26日。ボーイスカウトの支援キャンプ地となった菊池郡菊陽町の光の森公園には、50張ほどのテントが犇いている。熊本市や益城町へも車で15分の立地。大型連休には、全国から延べ200人以上のボーイスカウトが支援に訪れた。ボーイスカウトの本部テントには、ヘルメット・シャベル・軍手・長靴・合羽等、現場作業用の道具が何でも揃っている。 ロープワークや野外活動全般に長けた支援チームだけに、文字通り“何でも屋”として菊陽町役場も大助かりだという。行政活動のバックアップから肉体労働作業、支援物資の管理と活動は多岐に亘る。車中泊者にはテントの貸し出しも行う。濱田住職は言う。「できることをできる人が行えばいい。大事なのは支援を継続すること。ここでは、8月末までは行う予定です」。東接する大津町や阿蘇町の役場からの支援要望もあり、今後は支援地を拡大していく予定という。

僧侶の寝る間も惜しむ奉仕活動は、被災者たちに少なからぬ勇気を与えていることだろう。本誌で取り上げなかった各宗派においても、同様に支援を継続していることは言うまでもない。青年僧の活躍は、行政が行う物資の偏りを是正する働きとして確実に機能した。が、活動に尽力した筈の多くの青年僧から、「それでも物資を届けられない人たちが沢山いた」と悔やむ声が聞かれたのは印象的だった。浮き彫りになったのは“情報格差”だ。物資の不足等の情報を発信できる人がいる避難所には極めて迅速に物資が届けられたが、高齢者ばかりが避難する場所では抑々、避難者が支援を待ち望んでいることすら伝えられなかったのだ。これは飽く迄も行政の問題かもしれないが、「事態を理解していながら救援のしようがなかった」「もっと上手く支援できた筈だ」と語る僧侶の言葉は、またいつ起こるとも限らない災害の為にも一考の余地があるだろう。だが、飽く迄も宗教者の支援の本領は、これから訪れる筈。仏教界を挙げて、被災者の心を癒やす為にも長期的支援の必要があろう。


キャプチャ  2016年6月号掲載




スポンサーサイト

テーマ : 地震・天災・自然災害
ジャンル : ニュース

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR