ゾルゲより早くスターリンに対ソビエト情報を流した日本人スパイの正体――日本政府から“エコノミスト”と呼ばれた男は如何にして極秘情報をソ連に流したのか

20160802 03
「【モスクワ13日共同=松島芳彦】太平洋戦争が始まった1941年、日本政府内部に暗号名“エコノミスト”と呼ばれる旧ソビエト連邦の日本人スパイが存在し、日本の対米開戦方針にかかわる重大情報をいち早くスターリンに報告していたことが8月13日までに、ソ連国家保安委員会(KGB)の前身であるソ連内務人民委員部(NKVD)の極秘文書から明らかになった」――。平成17(2005)年8月、共同通信のモスクワ駐在記者が、戦前の日本人スパイに関係するスクープ記事を流した。この記事では、“エコノミスト”が日米開戦に関係する重大情報をソ連側に流した政府内部の人間であることを示唆している。更に記事は、「当時の左近司政三商工大臣が9月2日、要人との昼食で、日米交渉決裂なら開戦となり『9月、10月が重大局面』と明かしたと報告」。では、昼食会で左近司に情報を漏らしたのは誰であったのか。“エコノミスト”の正体を内閣情報局の天羽英二総裁と推論する研究者もいるが、筆者は別人の高毛礼茂ではないかと考えている。高毛礼の名が浮上したのは、1954年2月に発覚した『ラストボロフ事件』の日本側情報提供者として逮捕された時である。当時、高毛礼は外務省経済局経済第2課の事務官で、ラストボロフ事件に関連して国家公務員法違反容疑で逮捕されたが、彼の戦前の顔は、前出の左近司が大臣辞任後に社長になった国策会社『北樺太石油会社』でロシア語の通訳として働き、モスクワ駐在員として3年間務め、帰国したのは日米開戦の1年6ヵ月前であった。ロシア語を学んだのは、ハルビンに置かれていた『日露協会学校』(後のハルビン学院、高毛礼は同校の第1期生)である。彼がソ連に流した情報は、御前会議で允裁された日本の“南選”決定という最高機密を左近司から得たものとされているが、確証は無い。彼は裁判で6年余り戦ったが、その間、自らの無罪を主張し、具体的に「金銭の授受は一切無い。ソ連側の人間と接触したのは事実だが、機密資料等は渡していない」と述べていた。戦前・戦後を通じて“ソ連のスパイ”になったとされる高毛礼。その業績は何といっても、国策決定の最高機密であった「日本は対ソ戦を準備しつつ“対米英戦”を決定した」という極秘情報を、ゾルゲよりも早くスターリンの許に伝えたことであろう。ラストボロフ事件の裁判では、高毛礼の過去は殆ど語られることはなかった。スパイ“エコノミスト”は、実在した日本人であることは間違いあるまい。彼はラストボロフ事件で懲役8ヵ月の判決で服役し、出所後は宗教法人『修養団捧誠会』本部に勤めた。そこで30年余り仕事をして事務局長になり、94歳で亡くなった。 (ノンフィクション作家 斎藤充功) 《敬称略》

■参考資料
『修養団捧誠会25年史』『天羽英二日記』(同資料刊行会編)
『哈爾濱学院史』(恵雅堂出版)
『戦後政治裁判史録』第2巻(第一法規出版)
『警視庁公安外事警察資科 ラストボロフ事件総括』『日米開戦50年目の真実』(拙著、時事通信社)


キャプチャ  キャプチャ
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR