中森明菜の名曲『少女A』誕生に纏わる“黒い噂”――「歌舞伎町ラブホテル殺人事件の被害者少女がモデルになった」というのは真実か否か
デビュー2枚目のシングル『少女A』が大ヒットを記録した中森明菜。この1曲で、彼女は松田聖子と肩を並べるアイドルへと羽ばたいていった。しかし、この曲のモチーフとなったのは、当時の未解決事件であった『歌舞伎町ラブホテル殺人事件』だったというのだ。果たして真相は――。 (取材・文/フリーライター 加藤明典)

昭和56(1981)年、新宿区歌舞伎町で発生したラブホテル連続殺人事件を皆様は覚えているだろうか? 日本一有名な歓楽街のラブホテルで3人の女性が次々と殺害されるというあまりにもセンセーショナルな事件故に、ご記憶の読者も多いと思われる。結局、犯人は逮捕されず、事件は未解決のまま時効を迎えた。驚くべきことに、この忌まわしき殺人事件が中森明菜の大ヒット曲『少女A』のモチーフになっているという噂が、一部で実しやかに囁かれている。3人目に殺害されたのは、当時17歳の少女であった。事件の性質上、被害者でありながら実名が伏せられていた、文字通りの“少女A”である。この被害者=少女Aこそが、明菜の『少女A』のモデルだというのだ。業を背負う度に輝きを増す明菜とはいえ、余りにも余りな噂である。普通に考えれば、アイドルが実際の殺人事件を題材にした楽曲を歌う筈もなく、荒唐無稽な与太話で済まされるのだが、この『少女A』に纏わる噂に限っては、単なる都市伝説と一笑に付せない事情があるのだ。歌舞伎町ラブホテル連続殺人の被害者が『少女A』のモデルだったとの禍々しい噂の出処は、平成8(1996)年に上梓された『赤い雨 錯びたレール』(飯倉書房)という1冊の書籍。桑原孝雄氏の自伝的ノンフィクションである。その著作の中で桑原氏は、「歌舞伎町ラブホテル殺人事件が中森明菜の“少女A”のモデルである」と語っている。前述したように、アイドルの楽曲としては本来あり得ない設定なのだが、ここでポイントとなるのが桑原氏の経歴である。実は、この桑原氏、タダモノではない。嘗ては泣く子も黙る某組織の創設者として、その名をアウトローの世界に轟かせ、著書の出版時には芸能界にも幅広い人脈を誇っていた人物だったのである。更に、件の歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件第3の被害者――即ち少女Aの交際相手であり、連続殺人の容疑者として警察に勾留されていた事件の当事者の1人なのだ。そんな桑原氏が「明菜の“少女A”は、歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件がモチーフになっている」と主張するからには、何らかの理由・裏付けがあったことは想像に難くない。実は、今から10年以上前、筆者は桑原氏本人から直接話を伺う機会があった。その時、桑原氏が語った内容は以下の通りだ。「ビジネスで中森明菜が所属しているレコード会社の関係者に会った際、先方から『例の事件が“少女A”のモチーフになっている』と告げられた。そこで、時効(※当時は15年)が成立した1996年に出版した自伝で取り上げた」。勿論、これは桑原氏が一方的に語っているだけであり、明菜サイドが噂を肯定した訳ではない。だが、桑原氏の特異な経歴や辿ってきた数奇な運命を鑑みると、単なるファンタジーと切って捨てる訳にはいかないのも事実である。果たして、真相は如何に? 読者の皆様は、どのようなジャッジを下されるだろうか――。


昭和56(1981)年、新宿区歌舞伎町で発生したラブホテル連続殺人事件を皆様は覚えているだろうか? 日本一有名な歓楽街のラブホテルで3人の女性が次々と殺害されるというあまりにもセンセーショナルな事件故に、ご記憶の読者も多いと思われる。結局、犯人は逮捕されず、事件は未解決のまま時効を迎えた。驚くべきことに、この忌まわしき殺人事件が中森明菜の大ヒット曲『少女A』のモチーフになっているという噂が、一部で実しやかに囁かれている。3人目に殺害されたのは、当時17歳の少女であった。事件の性質上、被害者でありながら実名が伏せられていた、文字通りの“少女A”である。この被害者=少女Aこそが、明菜の『少女A』のモデルだというのだ。業を背負う度に輝きを増す明菜とはいえ、余りにも余りな噂である。普通に考えれば、アイドルが実際の殺人事件を題材にした楽曲を歌う筈もなく、荒唐無稽な与太話で済まされるのだが、この『少女A』に纏わる噂に限っては、単なる都市伝説と一笑に付せない事情があるのだ。歌舞伎町ラブホテル連続殺人の被害者が『少女A』のモデルだったとの禍々しい噂の出処は、平成8(1996)年に上梓された『赤い雨 錯びたレール』(飯倉書房)という1冊の書籍。桑原孝雄氏の自伝的ノンフィクションである。その著作の中で桑原氏は、「歌舞伎町ラブホテル殺人事件が中森明菜の“少女A”のモデルである」と語っている。前述したように、アイドルの楽曲としては本来あり得ない設定なのだが、ここでポイントとなるのが桑原氏の経歴である。実は、この桑原氏、タダモノではない。嘗ては泣く子も黙る某組織の創設者として、その名をアウトローの世界に轟かせ、著書の出版時には芸能界にも幅広い人脈を誇っていた人物だったのである。更に、件の歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件第3の被害者――即ち少女Aの交際相手であり、連続殺人の容疑者として警察に勾留されていた事件の当事者の1人なのだ。そんな桑原氏が「明菜の“少女A”は、歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件がモチーフになっている」と主張するからには、何らかの理由・裏付けがあったことは想像に難くない。実は、今から10年以上前、筆者は桑原氏本人から直接話を伺う機会があった。その時、桑原氏が語った内容は以下の通りだ。「ビジネスで中森明菜が所属しているレコード会社の関係者に会った際、先方から『例の事件が“少女A”のモチーフになっている』と告げられた。そこで、時効(※当時は15年)が成立した1996年に出版した自伝で取り上げた」。勿論、これは桑原氏が一方的に語っているだけであり、明菜サイドが噂を肯定した訳ではない。だが、桑原氏の特異な経歴や辿ってきた数奇な運命を鑑みると、単なるファンタジーと切って捨てる訳にはいかないのも事実である。果たして、真相は如何に? 読者の皆様は、どのようなジャッジを下されるだろうか――。


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