1999年3月17日、悲劇は起きた――義父が初めて語った安室奈美恵母親殺害事件の真相

2018-02-21T00:14:23+09:00

Posted by George Clooney

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芸能

人気絶頂のカリスマを襲った突然の凶行――。マスコミで今もタブーとされるこの不可解な事件の裏では、一体何が起きていたのか? 現場で傷を負った安室奈美恵の義父が、事件後初めて重い口を開いた。 (取材・文・写真/フリーライター 根本直樹)

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12月半ばのある昼下がり。辺りはしんと静まり返り、陰々とした空気が立ち込めていた。空を見上げると、鈍色の雲から小雨が落ちて来て、強風が唸りを上げ始める。人のいない、走る車も疎らな旧国道沿いをうろうろしていると、朽ちかけた琉球家屋の窓から、生気の無い、皺くちゃの顔をした老人がこちらをじっと凝視しているのに気付き、ぎょっとした。那覇から北へ90㎞。名護市を抜けて、車で30分ほど更に北上すると、“日本一の長寿の里”として知られる国頭郡大宜味村に着く。人口は凡そ3000人。西は東シナ海に面し、背後には低い小山が幾つも連なる“やんばる(山原)”地帯。喜如嘉という人口450人程度の小さな集落だ。今から19年前の1999年3月17日、ここで1人の女性が轢き殺された。安室奈美恵の実母・平良恵美子(※当時48)である。それまで恵美子は数週間、娘・奈美恵の世話の為に東京に滞在していたが、事件前日、沖縄に戻ってきたばかりだった。午前10時40分頃、突然、1台のスカイラインが、夫と連れ立って実家前の道を歩いていた恵美子目がけて突っ込んできた。逃げる間もなく、彼女の体はボンネットの上に乗り上げると、後頭部から路上に転がり落ちた。すぐさま車はバックと急発進を繰り返し、2度・3度と彼女の体を轢く。途中、夫の辰信(※当時48)が妻を電柱の陰に逃れさせようと体を引きずって移動させたが、車は執拗に恵美子に向かって突進を繰り返し、何度も電柱に激突。ドン、ガシャンと凄まじい衝撃音が、静かな集落に響き渡った。運転席から飛び出してきた男は鉈を手にし、血走った眼で夫婦を睨みつけ、体をガタガタ震わせている。

「殺してやる!」 。男は、辰信の実弟・平良謙二(※当時44)だった。兄の必死の制止を振り切って、横たわって呻く恵美子に突進。彼女の頭や上半身に何度も鉈を振り落とした。既に恵美子の体は動かない。謙二の顔や上着は赤い飛沫で染まっていた。午前11時48分、恵美子は搬送された名護市の病院で死亡。逃走した謙二は近くの農道で殺虫剤を飲んで自殺した。アーティストとして人気絶頂にあった安室奈美恵に暗い影が射した瞬間だった。「今もこの部屋で恵美子と一緒に寝ているんだ」。目の前にいる辰信は、小さくこう言った。事件で傷を負った安室の義父・辰信は、事件直後以来、口を閉ざしたままだった。複数の住人に所在を尋ねると、「知らない」という声ばかりだったが、「アイツは昔と変わらん場所にいる」という80代の老人に案内してもらうと、事件現場から目と鼻の先に自宅があった。呼び鈴を鳴らしても反応が無いので、思い切って玄関の扉を開けて声をかけると、奥から本人が現れた。「あんた誰?」。突然の訪問に驚いた様子だが、取材で来た旨を伝えると、急に嬉しそうに笑みを浮かべた。拍子抜けするほど気さくでフランク。67歳になっている筈だが、血色は良い。「折角来てくれたんだから、恵美子に線香あげてってよ。さ、どうぞどうぞ」。玄関を入ると15畳ほどの板張りの居間があり、その右側の和室に“恵美子さん”はいた。出窓を仏壇代わりにして遺影が置かれ、その前には花と、大好きだったというカップ酒が供えられている。小瓶に入れられた遺骨があった。 2人の出会いは1990年代の初頭。当時、辰信は那覇で防水工をしており、偶々訪れたスナック『チェロ』で雇われママをしていたのが恵美子だった。「美人だし、豪快な気性に惚れて店に通うようになった。恵美子はバツイチで、3人の子持ちで、まさか結婚できるとは思わなかった」というが、1993年に結婚した。恵美子の著書『約束』(扶桑社)によれば、生まれた時から父親がおらず、母親から「お前は白人との混血だ」と教えられたという。複雑な家庭環境の中で育ち、首里で商売を営む安室家の息子と結婚。奈美恵を含め、一男二女を産んだが、夫の暴力等が原因で離婚。後にスターの母として脚光を浴びることになるが、その人生は決して平坦ではなかった。肌身離さず持ち歩いでいるという家族写真があるという。「これは、奈美恵がここに泊まりにきた時に撮った写真だ。後ろが奈美恵、前にいるのが奈美恵の姉の子供。この頃まではよかったんだが、あんなことになって…」。ここで、事件後に飛び交った殺害の動機を整理しておく。代表的な説は、“逆恨み説”・“兄弟不仲説”・“三角関係説”・“安室マネーを巡る諍い説”の4つだった。逆恨み説とは、当時、犯人の謙二はA子という出戻りの子連れ女性と交際していたが、これを辰信と恵美子に猛反対され、逆上して殺害したというもの。この説は、捜査本部の置かれた名護警察署が正式に発表した犯行理由だったが、事件当時、現地を取材した記者や地元の人間は、「交際に反対されただけで殺すだろうか?」と疑念を抱き、信じていない者も多かったという。有力視されていたのは兄弟不仲説と三角関係説だった。

――逆恨み説は当時の記者たちはあまり信じていなかったらしく、寧ろ兄弟の不仲説が有力だったようですが。
「あの頃、ここらの人間たちは、親戚も含めて、好き勝手に誹謗中傷・デマを吹きまくっていたんだ。それをマスコミの人間がそのまま垂れ流した。兄弟不仲だったっていうのは事実だが、それは交際を反対したからだ。俺は謙二よりも、その女が気に入らなかった。俺と恵美子の悪口を吹聴していたから、そんな女の言いなりになっている謙二が許せなかった。ある時、泡盛2本飲んでべろべろに酔っぱらったら、急に思い出して、いても立ってもいられなくなった。俺はすぐそこにあった謙二の家に乗り込み、停めてあった車をゴルフクラブでぼこぼこにしてしまったなんてこともあったよ。でも、それは弟を思ってのことだったんだ。あんな女と別れて、真面な暮らしをしてほしかった」

――取材した記者によれば、貴男が「所謂酒乱で、酒を飲むと恵美子さんを殴っていた。恵美子さんはすぐ目の前にあった謙二の家に逃げ込んでいた。そんなことから、『あの嫁は夫の目を盗んで謙二に会っている』と周辺で噂になった」ということですが。
「未だそんなくだらないインチキ話をするヤツがいるんですか。確かに酒が入って殴ってしまったことはあるよ。喧嘩もしょっちゅうだった。でも、翌日にはお互いケロリとして、一緒に飲んだり、パチンコに行ったりしたもんです。夫婦仲は良かった。恵美子にしても、酔っぱらった時に『こんなおじさんと別れて、若い謙二と一緒になっちゃおうかな』なんて軽口を叩くこともあったが、そんなのは飲んだ席での冗談に過ぎない。三角関係など絶対に無かった。これだけは断言できる」

――カネを巡るトラブルはどうでしたか?
「妬みだよね。それはあったかもしれない。謙二だけでなく、集落中の人間から感じていたよ。この家を建てた時も『娘のカネか?』と言われたし、恵美子がスナックをオープンさせた時にも『娘の名前を利用して商売か?』とか、その手の話は限が無いくらいある。恵美子の元には奈美恵の事務所から毎月100万円の振込があったのは事実だが、奈美恵の世話で恵美子が東京に行く交通費やら何やらで消えてしまった。俺自身が奈美恵のカネをあてにしたなんてことも一切ない。だって、当時は俺も村営の火葬場で働いていたし、土建のアルバイトもしていたから、月に30万の稼ぎはあったんだ。この家だって、俺が公庫からカネを借りて建てたもの。増築した際、少し奈美恵が援助してくれたが、そんなもんだよ」

――では、事件の動機は何だったと考えているんですか?
「わからない」

――何故、何度も轢き、動かなくなった人間に更に鉈を振り下ろしたんでしょうか? 弟さんが一方的に恵美子さんに対する想いを募らせていたとしたらどうでしょう? お兄さんから殴られ、自分の元に駆け込んでくる恵美子さんに対して特別な感情が芽生えていったとしても不思議じゃないと思うんです。でも、お兄さんの奥さんを奪う訳にはいかない。だから恵美子さんを殺し、自分も死んで…。あれは“心中”だったのではないですか?

辰信の顔色が変わった。ギロリとこちらを睨みつけると、「そんなバカな話、絶対にない」と言った。2018年9月に引退することを発表した奈美恵に伝えたいことはあるか聞くと、「告別式の後は一切連絡を取ってないが、兎に角、立派だ。お疲れさまと言いたい」。母の衝撃的な死は、安室奈美恵の心にあまりにも大きな傷となって刻まれた。事件後、事ある毎に「(芸能人であることを)もう辞めたい」と周囲に漏らすようになったというが、事件から19年間、ひたすら歌手として走り続けた。光が強ければ影も濃いというが、今なお眠る、重く、暗い影を、安室はどう感じているのだろうか? これがカリスマの宿命だとすれば、あまりにも辛い。 《敬称略》


キャプチャ  2018年2月号掲載
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