“烈侠”加茂田重政の真実――軍団4000人を率いた伝説の武闘派が全てを語った!

嘗て“加茂田軍団4000人”を呼号し、『3代目山口組』組長代行補佐となり、山口組を抜けた後には『一和会』の大立者として、山本広会長らと共に同会を結成。山口組との間に4年半にも亘る“山一抗争”を繰り広げた極道・加茂田重政氏(86)。その加茂田氏が先月、自伝を刊行し、注目を集めている。伝説の侠は今、何を語るのか――。 (取材・文/フリーライター 伊藤万章)

20161018 01
「加茂田重政氏が自伝を出した。これは、戦後任侠史に残る重要な証言がなされたということです。しかも、山口組を出て一和会を結成した側の極道ですから、その肉声が世に出る可能性は非常に低かった。加茂田氏が自らを語ったというのは驚きです」(実話誌編集者)。しかし何故、加茂田氏は自伝を今出すこととしたのだろうか。「高齢ということもあり、『今、自分の思いを伝えねば、極道として自らが何をしてきたのか、“真実”が永遠に埋もれてしまう』と強く思ったのが理由と聞いています」(同)。それにしても、加茂田氏の“戦歴”は凄まじいの一言だ。「お前らが謝るまで撃ち込んだる」「だんだんコトが大きくなってしまうが、それは望むところや」「示威行動は、1回の宣伝で10年はわしらを安泰にさせる。【中略】ものごとの見せ付け方もまた一方で考えとった」。加茂田氏は、3代目山口組の全国進出に非常な貢献をした、組きっての武闘派という顔を持っている。1960年、山口組が大阪進出を果たした明友会事件では、地道行雄若頭の下で敵対する『明友会』のアジトを襲撃し、明友会の解散を導く打撃を与えたが、その後11年間、獄中で過ごさざるを得なかった。また、愛媛県松山市における1977年の第2次松山抗争では組員500人を派遣し、敵対する組事務所にダンプカーを突入させ、更に、1980年には北海道進出を企図し、千歳空港に組員200名を乗り込ませ、北海道のヤクザ団体が連合して結成した『北海同行会』800名と対峙する等、大抗争を繰り広げた。この武闘ぶりも相俟って、3代目山口組の田岡一雄組長には目をかけられていた。「第2次松山抗争や北海道抗争等で如実に示されたように、加茂田組と言えば、山口組の中でもその圧倒的な喧嘩ぶりが名高い組でした。喧嘩の駆け引きが非常に巧みだったのです。どうすれば相手が恐怖心を持つかを冷静に計算し、必要な時に必要な力を全部掛け合いに注ぎ込む。その動き方が非常にスマートだった」(元ヤクザ)。著書『烈侠』(サイゾー)では、加茂田氏の幼少期・戦時中の話・戦後の混乱期に愚連隊として暴れ回った姿等を自ら語っている。更には、地道行雄・山本健一両氏ら歴代の若頭、“ボンノ”と呼ばれた菅谷政雄氏ら3代目山口組の幹部たちについても、加茂田氏独特の視点で語られる。女性を巡って地道若頭と殴り合いをする等して、極道としての人間関係を作っていく…等のエピソードが強烈だ。

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山口組分裂から1年が経つ。『6代目山口組』と『神戸山口組』――山口組が2つに分裂し、双方で対峙している状態だが、この山口組分裂よりも激しかったのが山一抗争だ。1984年に勃発し、4年半の間に山口組と一和会の間に死者29人、逮捕者560人を出した。最終的には、1989年の一和会解散により終結したが、残った山口組側も4代目の竹中正久組長や中山勝正若頭が射殺されるな等の打撃を受けた。きっかけは、山口組のトップとして君臨していた田岡組長の没後、4代目を誰が継ぐのかを軸に、山口組の構造変化の中で勃発した抗争だった。しかし、教科書的な記述としては今のような形になるが、「日本組織暴力史上最大の抗争とも言われる山一抗争が何故発生したのか?」という経緯を、一和会の最高幹部が語ったという意味は大きい。昨今の山口組分裂と山一抗争の比較については、「自分たちは4代目の歪を飲んだわけではない。出ていっただけだから、6代目山口組と神戸山口組の分裂とは話が違う」というのが加茂田氏の主張だ。田岡組長の没後、竹中組長と山本会長、どちらの側につくのか、将又独り立ちするのか、加茂田氏も悩んだ。田岡文子姐の意向と自らの考え方の乖離、一方で山口組の大幹部としてどう動くべきか等、大変な苦労があったことが窺える。そして結局、山本会長の側についた。「山広の説得で一和会に行ったときは、自分で納得して行ったというより、そらもう山広についた人間を助けるために、という気概や」と言うが、3代目没後、竹中4代目も一時は「山口組より独立しようと考えた」と言うほどの流動的な状況で、加茂田氏からすれば「誰が自分を頼ってきたのか?」が、山本会長の側につく最後の判断基準となった訳だ。また、加茂田氏ら一和会の人間からすれば、「大恩ある田岡組長に弓を引いた訳ではない」ということも述べておく必要があるだろう。一方で、加茂田氏からの山一抗争の“総括”としては、「意気込んで加茂田組は一和会結成から抗争までを戦い抜いたが、竹中4代目組長らを殺害するまでの山広組、高知の中井組など一部を除き、抗争を積極的に行わなかった」という物言いもあることから、複雑な思いも覗かせる。更には、山口組分裂よりも前の話だが、「『加茂田組を再興しよう』という話もなくはなかった」とも本書で述べられている。

20161018 03
同書では、芸能界のキラ星たちとの交友関係も赤裸々に語られている。特に興味深いのは、加茂田氏自らが芸能人と交わったという話だけではなく、地元に利益を“還元”していることだ。その一例が旧暦8月、加茂田組が執り行っていた地蔵盆である。「加茂田組の地蔵盆が盛大であったことは、地元の番町でも語り継がれています。菅原文太・梅宮辰夫・錦野旦らが登場し、芸能人が田岡文子夫人や5代目の渡辺芳則組長らと歓談する姿が映像として残っています」(芸能ライター)。現実はともあれ、今でこそヤクザと芸能人の交際が発覚すれば大問題となるが、嘗てはこれほどまでにあけすけに交際していたのだ。また、同書は家庭人としての加茂田氏の姿にもスポットが当てられている。娘の修学旅行に密着し、旅行先で雨に見舞われたクラスの児童全員に合羽を買ってくる、また「カウンタックのラジコンが欲しい」と言った息子に対して、本物のカウンタックを買ってきてしまう…といったことだ。同書掲載の写真でも、ディズニーランドを肩で風を切ってのし歩く加茂田氏ら一団の姿等があり、インパクト大だ。また、神戸・番町を舞台にした和製『ゴッドファーザー』のような要素があり、それもまた同書を魅力あるものとしている。「家族と加茂田氏のエピソードは、名作映画として名高いフランシス・コッポラ監督のゴッドファーザーでのコルレオーネ一家を彷彿とさせます。家族の繋がりが強く、ファミリーの結束を第一にする姿は、洋の東西を越え、人々の心を打つのではないでしょうか」(前出の実話誌編集者)。現在、加茂田氏は関西に在住している。激動の人生を送ってきたが、未だに加茂田氏を慕う人間は多いという。 《文中一部敬称略》


キャプチャ  2016年10月号掲載

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