【財務省大解剖】(02) 安倍政権の“陰のキーマン”加藤勝信の大蔵省時代とその来歴

安倍首相の女房役として時に豪腕を発揮し、存在感を示す菅義偉官房長官。だが、永田町や霞が関で“陰のキーマン”と目されているのが、1億総活躍担当の加藤勝信大臣だ。大蔵官僚から政界に転身し、“政官界の人間交差点”とも評される加藤氏のルーツを探る。 (取材・文/フリーライター 千葉哲也)

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長期安定政権が見えてきた安倍内閣において、いつも首相の影武者のように寄り添う側近がいる。昨年10月の内閣改造で1億総活躍担当大臣に起用された加藤勝信氏のことだ。「全く目立たず、誰からも悪い評判を聞かない。野心を見せるでもなく、失敗もしない。あれほど透明な人も珍しい」。そう語るのは、ベテランの官邸記者だ。出る杭は打たれる政治の世界では、色気を出すこと無くきっちり首相に忠誠を誓うことが、長く重要ポストに置かれる条件になる。その意味で、加藤氏はうってつけの存在だ。ネーミングからしてかなり評判の悪い1億総活躍担当大臣を淡々と引き受ける、その完璧なまでの影武者感ぶりは、大蔵官僚出身という来歴と無関係ではないだろう。現在、1億総活躍担当大臣の他、再チャレンジ担当・拉致問題担当・国土強靭化担当と幾つもの肩書きを持って入閣しながら、全く自己アピールの無い加藤氏とは、どんな人物なのだろうか。

加藤勝信氏は1955年、岡山県倉敷市生まれ。その後、東京で育った。後に触れるが、加藤姓に変わったのは結婚後で、旧姓は“室崎”だった。父の室崎勝聰氏は島根県江津市出身。『日野自動車』の専務取締役を務めた。「室崎勝聰氏の父、勝信の祖父に当たる室崎勝造氏は、水産会社を経営しながら島根県の県会議長を務めた。謂わば、地元の名家です」(前出の記者)。東京都立大泉高校を卒業後、東京大学経済学部に入学。そして、1979年に大蔵省へ入省した。同年の大蔵省入省組と言えば、前例の無い“同期から3人の事務次官”を輩出した逸材揃い、“花の昭和54年組”として知られる。即ち、2代前の次官である木下康司氏、前次官の香川俊介氏(故人)、そして現在の事務次官である田中一穂氏は全て同期入省。そして今、官邸の中枢にいるのが加藤氏という訳である。大蔵省に入省後、郵政省に出向。1984年には、実家に近い鳥取県の倉吉税務署長に就任した。そんな室崎勝信氏が、国土庁長官や農林水産大臣を務めた加藤六月氏の次女と結婚したのは、大臣官房文書課課長補佐時代の1988年である。「経緯については諸説あるのですが…」と前出の記者が語る。「息子がいなかった加藤六月氏が、娘と大蔵官僚を結婚させたがっていた。当然、結婚相手は将来、選挙に出馬することになる。そこで、加藤六月氏と同じ岡山県出身の室崎氏が指名されたのは、自然の流れだったのかもしません。ただ、加藤六月氏には2人の娘がいて、最初は長女のほうと結婚することになっていた。しかし、理由はわかりませんが、突然、長女がハーバード大学に留学し、結婚が破談になった。そこで、NHKの秘書室に勤務していた妹の周子さんと結婚したのです。勿論、それが加藤六月氏の強い意向であったことは言うまでもありません」。30年ほど前の出来事とはいえ、ここまで露骨な“政略結婚”は珍しいが、兎も角、室崎勝信氏は加藤家に婿入りすることになった。因みに、この時にアメリカ留学した長女の加藤康子氏(財団法人『産業遺産国民会議』専務理事)は、昨年7月より内閣官房参与として安倍政権のブレーンを務めている。

扨て、披露宴が開かれた『新高輪プリンスホテル』には、900人もの招待客が参列。加藤六月氏と言えば、“安倍派の代貸し”とも言われた政治家で、そうなると媒酌は当然、自民党幹事長(当時)だった安倍晋太郎夫妻。室崎家と同じ島根県出身の竹下登・中曽根康弘・福田赳夫といった歴代首相も顔を並べ、財界からも豊田英二(『トヨタ自動車』会長)・磯田一郎(『住友銀行』会長)等、錚々たる面々。こうなると最早、結婚披露宴というより、将来の“立候補”の為の政治パーティーと言ったほうが近いような雰囲気である。その後、加藤勝信氏は主計局主査や農林水産大臣秘書官(大臣は義父の加藤六月)を務めた後、1995年に退官。義理の父である加藤六月氏の秘書となり、本格的に政界転身への足固めを開始する。だが、その後の政治家への道程は、決して平坦なものではなかった。1998年の参院選で岡山選挙区から立候補(自民党)するも、敗退。2000年の衆院選では比例中国ブロックから出馬したが、又も落選。漸く初当選したのは2003年の衆院選(比例中国ブロック)で、大蔵省を退官してから実に8年の月日が流れ、その間に古巣は“財務省”と名前を変えた。義父の加藤六月が安倍晋太郎に仕えた関係は、その下の世代にも受け継がれる。安倍晋三首相にとって、加藤氏は決して裏切ること無く、自分を脅かすことも無い存在だ。「加藤六月と安倍晋太郎の関係のみならず、両氏の夫人は今も尚健在で、親戚以上の深い関係にあることはよく知られています。加藤勝信氏は首相の寵愛を受けても、決してそのことを自慢したり鼻にかけたりすることが無い。それも重用される大きなポイントになっている」(前出の記者)。加藤氏は、第1次安倍内閣において内閣府政務官となり、また保守系議員連盟である『創生“日本”』の事務局長にも起用された。財務省(大蔵省)出身だが、役人の論理を持ち込むこと無く、その一方で古巣の仲間とも上手くパイプを繋ぐ。昭和54年大蔵省入省組は頻繁に同期会を開くことで知られているが、加藤氏の出席率は高いと言われる。政治家でありながら、徹底した調整役を演じ続ける高い実務能力は、やはり官僚出身ならではのポテンシャルである。「加藤氏は自民党額賀派に所属していますが、額賀派のドンで今も政界に大きな影響力を持つ青木幹雄氏とも、腹を割った話ができる。その意味で、官邸とすれば何かと使い易い人材であることは間違いありません」(同)。

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安倍首相の加藤氏に対する“信頼”をはっきりと証明したのは、2014年に創設された『内閣人事局』の局長人事だった。中央省庁の幹部人事を一元管理するという同局の出現は、戦後長らく続いてきた政と官の関係性を大きく変えることになると見られていたが、当初、そのトップである内閣人事局長に就任すると見られていたのは、警察庁出身で事務方トップの杉田和博官房副長官(73・当時)だった。「実際、一度は杉田で内定と報道されたのですが、直ぐに官邸の一声で覆され、加藤氏が初代局長となった。『飽く迄も政治家が官僚人事を掌握する』というメッセージです。この時は、安倍首相よりも菅官房長官が動いて人事をひっくり返したとも言われますが、何れにせよ、官邸が加藤氏を高く評価していることは間違いない。霞が関としても、元官僚の加藤が内閣人事局長なら不幸中の幸いというムードがあった。その後、局長が萩生田光一にバトンタッチされた時には、『何をされるかわからん』との声が彼方此方から上がりましたからね」(全国紙政治部記者)。凡そ自己主張というものが無い加藤氏だが、「野心の無い政治家なんている筈がない」と見る向きもある。そんな界隈から立ち上がっているのが、“参院選後の官房長官就任”という説だ。「長く官房長官を務める菅義偉氏は、『次の幹事長を狙っている』とも囁かれる。あわよくば、ポスト安倍に躍り出たい。そこで、加藤が官房長官にスライドする。しかしその場合、『1億総活躍とは一体何だったのか』という批判が生じることは確実。逆に、菅官房長官が留任なら、政治家としての加藤氏はもう“上がり”となる可能性も十分にある」(同)。政治家との閨閥関係から政界入りした加藤氏は、ある意味、典型的な“昭和型大蔵官僚”である。大きな流れに抵抗せず、命運を受け入れ、父の代から続く安倍家との深い繋がりを守る人生には、全く食み出したところが無い。加藤氏には4人の娘がいるが、その内の1人が2014年、『フジテレビ』に入社したと伝えられた。因みに、安倍首相の甥(岸信夫議員の息子)もフジテレビに同期入社しており、ここでもまた安倍家との“接点”は続いていることになる。連綿と続く世襲と閨閥の政治を象徴する“安倍・加藤”の蜜月は、暫く終わりそうもない――。


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