【元少年Aに告ぐ】(02) 『神戸新聞』の事件報道と形骸化した少年法の実態

少年Aから“犯行声明”を受け取った地元紙・神戸新聞。当時、社会部記者として最前線の取材に当たったフリージャーナリストの西岡研介氏が、内側から見た新聞ジャーナリズムと形骸化する少年法を回想する。

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「首や。須磨の友が丘中学校の校門前に、子供の首が置かれとるんや」――。あの日、電話の向こうから聞こえてきたデスクの声は、事件から20年近く経った今でも、はっきりと耳の奥に残っている。1997年5月27日、神戸市須磨区の市立友が丘中学校の正門前で、切断された男児の頭部が発見された。顔は口から耳元まで切り裂かれており、その口には「さあゲームの始まりです」等と記した“犯行声明”が咥えさせられていた。遺体は程無く、同中学校校区の北須磨団地に住み、3日前から行方不明になっていた土師淳君(当時11)のものと判明。胴体部はその日のうちに、中学校から南西に約1km離れた通称“タンク山”と呼ばれる高台の、ケーブルテレビのアンテナ施設の下から発見された。事件発生当時、筆者は地元紙『神戸新聞』の記者で、社会部に所属し、事件が起こる半年前まで、兵庫県警捜査1課を担当していた。その後、神戸市政担当に移ったのだが、この事件の発生で再び“1課担”に戻された。淳君と、彼を殺害した少年Aの双方が住み、殺害・死体遺棄現場となった北須磨団地は、人口約12万人(当時)の『須磨ニュータウン』のほぼ真ん中に位置する閑静な住宅街だった。小さなショッピングセンターや自治会館等の他は、一戸建てかマンションという典型的なベッドタウンである。そんな静かな町で起こった猟奇事件に、神戸新聞は県内支社・総局の若手記者を全て社会部に上げ、聞き込み取材に当たらせた。それは朝日・毎日・読売・産経等の全国紙やNHKも同様で、大阪本社管内の各総局から記者を吸い上げ、現場に投入。民放各局も在阪局だけでなく、キー局から直接、記者を送り込み、北須磨団地は数百人の記者やカメラクルーで溢れ、取材合戦が展開された。当然のことながら、それは地元住民との軋轢を生み、翌年に起こる『和歌山毒物カレー事件』と共に、“メディアスクラム”が社会の批判を浴びる一因ともなった。更に、発生から8日後の6月4日、当時、筆者が勤務していた神戸新聞社に“酒鬼薔薇聖斗”を名乗るAから“挑戦状”が届き、事件は更に劇場化の度を増していったのだが、Aが挑戦状の宛先に神戸新聞を選んだのは“偶然の産物”だった。事件発生直後から、神戸新聞は北須磨団地内の空き民家を借り上げ、そこを現場取材の拠点としたのだが、その空き家が偶々、Aの自宅の近くだったのだ。淳君殺害から1週間も経たないうちに、神戸新聞が自宅近くに取材拠点を構えたことにAは、淳君殺害が「もう自分の犯行だとバレたのか…と焦った」等と、逮捕後の県警の取り調べに供述したという。そういう偶然もあって、Aは神戸新聞の動きを強く意識し、挑戦状の宛先に選んだのだった。

そして、事件発生から約1ヵ月後の6月28日、当時、中学3年生だったAが被疑者として逮捕されるに至って、日本社会は再び大きな衝撃を受けた。更に、Aが“淳君事件”(当時、我々はこう呼んでいた)以外に3件の女児殺傷事件に関与していたことが判明し、事件は“連続児童殺傷事件”に発展。社会を三度、震撼させた。淳君を殺害し、頭部を切断、更にはそれを学校の正門に置くという猟奇事件の被疑者が、当時、14歳の少年だとは正直、予想だにしなかった。それほど、この事件における兵庫県警の“保秘(秘密保持)”は徹底していた。通常、今回のような殺人や死体遺棄事件、また強盗等の捜査は、捜査1課の中でも“強行盗犯”を担当する班が担うのだが、情報漏れを警戒した兵庫県警は、この事件の“本筋”の捜査に“特殊班”を当てた。特殊班とは、誘拐・立てこもり・企業恐喝等の捜査を担当するチームで、同班の捜査員は極めて口が堅く、捜査中には我々、1課担のブンヤは勿論、他の捜査員にもその所在を掴ませないほどだった。更に通常、今回のような事件の場合、1課担の記者は、現場で若手が収集してくれた“コミ”(聞き込み・関東では“地取り”と呼ぶ)の情報を、所謂“夜討ち・朝駆け”という非公式取材で捜査員に当て、裏を取った上で記事化すると共に、警察がどの線を追っているのか、事件の“本筋”を探る。だが、この事件では前述の通り保秘が徹底しており、その“当て”取材もままならなかった為、各紙ともコミの情報を裏取りもしないまま紙面に掲載。この為、「数日前から不審なワゴン車」「南京錠求めバイク男」と誤報・虚報のオンパレードとなったのだが、その間にも1課は着々と被疑者の絞り込みを進めていたのである。まさに、メディア側の完敗だった。これは後の取材でわかったことだが、Aが捜査線上に浮上したきっかけが2つあったという。1つは(これは、これまでもよく報じられている事実だが)、「Aが猫や小動物への虐待を繰り返していた」という情報だった。そしてもう1つは(これは殆ど報じられてないのだが)、Aの“靴”である。淳君が行方不明になって2日後の5月26日、所轄の須磨警察署は公開捜査を開始し、須磨署員を始め消防団・地域住民等150人が捜索に当たった。が、実は須磨署は淳君の両親から捜索願が出された(24日夜)翌朝から、機動隊の応援を得て、北須磨団地周辺の捜索を始めていた。その捜索中に、Aが自ら“聖地”としていた向畑ノ池近くで、(淳君の頭部を持ち歩いていた)Aとすれ違った県警の機動隊員が、Aの靴の先に血痕のようなものが付いていたことを覚えていたのだ。これらをきっかけに、Aが淳君殺害事件の捜査線上に浮かび、被疑者をAに絞り込んだ捜査1課は、逮捕当日の朝、“帳場(捜査本部)”の置かれた須磨署ではなく、中央区の兵庫県警本部で極秘裏にAの聴取に着手。その日の夜に逮捕状を執行するのだが、前述の通り、淳君を殺害し、頭部を切断するという陰惨な事件の被疑者が、淳君と顔見知りの14歳の少年だったことに、筆者も、他の一般市民と同様に驚愕した。が、それと同時にこうも思ったのだ。「これから続報が書き難くなるな…」と。理由は勿論、少年法がメディアに嵌めた“足枷”である。

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ご承知の通り、少年法第61条は、“記事等の掲載の禁止”として次のように規定している。「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のときし犯した罪により公訴を提起された者については、氏名・年齢・職業・住居・容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」。この61条を受け、『日本新聞協会』も以下のような方針を定めている。「少年法第61条は、未成熟な少年を保護し、その将来の更生を可能にするためのものであるから、新聞は少年たちの“親”の立場に立って、法の精神を実せんすべきである。罰則がつけられていないのは、新聞の自主的規制に待とうとの趣旨によるものなので、新聞はいっそう社会的責任を痛感しなければならない。すなわち、20歳未満の非行少年の氏名・写真などは、紙面に掲載すべきではない」(1958年12月16日・新聞協会の少年法第61条の扱いの方針)。だが、当時の筆者が“書き難くなる”と思ったのは、特に少年法の精神を尊重していたからでも、「新聞協会の方針を厳守しなければならない」と思ったからでもなく、新聞記者になった時からの“制り込み”によるもの。即ち、“被疑者が少年=匿名”と機械的に判断したからに過ぎない。これは、別に筆者に限ったことではなく、新聞・テレビを問わず、当時、あの事件を取材していた記者の殆どがそうだったと思う。少年法の理念に特段、忠実な訳でもなければ、殊更に異を唱える訳でもなく、ただ“業界”の慣習に従い、機械的に判断したに過ぎなかった。つまり、あの事件が起こった時には既に、崇高な少年法の精神は形骸化していたのである。よって、逮捕から4日後にAの顔写真を掲載した写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)が発売されても、何の驚きも無かった。それは当然、予想されたことだし、「写真週刊誌が被疑者の顔写真を載せなければ、彼らの存在意義は無い」とさえ思っていた。大手書店やコンビニが同誌の販売を中止し、店頭から回収する等という動きもあったが、正直、その様子を冷めた気分で眺めていた。というのも、Aの逮捕直後から、神戸新聞を含む各紙の記者は、Aの実名や住所を割ることは勿論(逮捕後に家宅捜索が行われたのだから当然である)、Aの小学校時代の写真や中学のクラス写真を入手し、小・中学校の同級生や近所の聞き込みを再開していた。Aの犯行前・犯行後の行動を確認することは勿論、Aの小・中学校時代の生活態度やトラブルを知ることは、続報を書く上で必要不可欠だったからだ。そして各紙とも、逮捕からものの1週間の内に、Aの性格・家族構成・近所での評判・学校でのトラブルまで先を争うように詳報した。

この段階で、Aの同級生やその家族、近隣住民、延いては当時、北須磨団地を含む須磨ニュータウンに住んでいた12万人にとっては、連続児童殺傷事件の被疑者がAであることは最早、“周知の事実”だった。つまり、この時点で既に、61条は形骸化どころか、瓦解していたのである。神戸新聞を含む新聞各紙とFOCUSとの実質的な違いは、“顔写真を掲載するか否か”だけに過ぎなかった。その後、Aは神戸家庭裁判所に送致され、神戸少年鑑別所に移送。少年審判や精神鑑定を経て、関東医療少年院に送られた。2001年には東北少年院(中等少年院)に収容され、2005年に本退院し、再び娑婆に戻ってきた。この間、少年法は刑事処分の可能年齢が“16歳以上”から“14歳以上”に引き下げられ、16歳未満でも家裁から検察への逆送致が可能になった(2000年)。また、18歳未満の少年に対し、無期懲役に代わって課すことのできる有期刑の上限を“15年”から“20年”に引き上げる(2014年)等、改正が進んだ。しかし、1997年当時、そして事件から20年近く経った今も、だ。この世の中で果たして何人が、小学4年生だった山下彩花ちゃんの頭部を(その頭蓋骨が陥没するまでの力を込めて)金槌で殴って殺害し、小学3年生の女の子の腹部をナイフで刺して瀕死の重傷を負わせ、淳君を殺害した後、遺体を切断するような鬼畜が“更生”する等と本気で信じていた、或いは未だに信じているのだろうか。案の定、少年法に手厚く守られ、“社会復帰”を遂げたAは、“挑戦状”を神戸新聞社に送り付けてきたあの当時のまま、いや、それ以上に醜悪極まりない自己顕示欲を肥大化させ、手記紛いの本を出し、ホームページまで開設。被害者遺族・家族の心を踏み躙るだけでなく、彼を守った少年法の精神をも蹂躙し続けている。現在、33歳になった歪んだ承認要求の塊は今頃、自らのホームページへの書き込みを見てマスでもかいているのだろう。が、今の内に精々、残り少ない“社会生活”を楽しんでおくがいい。「古今東西を問わず、自らが善しとする法体系やその精神、それに基づく秩序を正面から破壊しようとする者を決して許さない」というのが国家権力だ。そして、たとえ犯罪を犯してなくとも、“公共の安寧”を乱す者は敵と見做して抹殺する――。これが彼らの習性である。詳細は今後の取材に支障があるので伏すが、当局は既にAの所在(実住所)を割り出し、監視下に置いている。公正証書原本不実記載・有印私文書偽造同行使・道路交通法違反・公務執行妨害…。権力がその気になれば“引きネタ”など幾らでも作れることは、過去に“過激派”のメンバーや『オウム真理教』の信者が逮捕されたケースを例に挙げるまでもないだろう。Aが晴れて実名報道される日も、そう遠くない筈だ。


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