【東京情報】 推定無罪と腰縄

【京都発】ここのところずっと京都で取材を続けていたが、その過程で知り合った元大学教授のM氏が料理屋に招いてくれた。これも、この仕事の醍醐味である。『京阪電鉄』の祇園四条駅で降り、鴨川を渡る。約束時間丁度に店に入ると、既にM氏はカウンターの奥でビールを飲んでいた。「京都も色々変なことが起きてましてな。覚醒剤使用の罪に問われた50代の男が、逆に国を訴えたなんて話もありました。『入退廷時に裁判官と刑務官が手錠・腰縄姿を見られないようにする配慮を怠った』と。それで国に『10万円の慰謝料を払え』と京都地裁に訴え出たそうですわ」。M氏が渡してくれた朝日新聞の記事によると、『刑事収容施設法』では、被告人を法廷に護送する時に逃げたり誰かを傷付けたりする恐れがある場合、裁量で「縄か手錠を使うことができる」と定められている。一方、『刑事訴訟法』は「公判廷では被告人を拘束してはならない」と定めている。この2つの法律について、どう考えればいいのか。訴訟を担当する弁護士は、裁判官に「せめて法廷内の衝立の中で解錠してほしい」と求めたが、裁判官は「外見で有罪の偏見を抱くことはない」と拒んだという。M氏が頷く。「こんな判例も記事に載っています。1992年に大阪市の病院を受診した被告人が、付き添いの刑務官に手錠・腰縄姿で廊下を歩かされた。これを不服とした被告人が訴訟を起こし、大阪地裁は人格権(人間らしく生きる権利)への配慮に著しく欠ける違法な加害行為として、国に10万円の支払いを命令。これは最高裁で確定したようですな」。

「法廷で手錠・腰縄姿を曝すのは、“推定無罪の原則”に反する」という指摘もある。また、裁判員裁判では、最高裁・法務省・『日本弁護士運合会』の協議の結果、「被告人が犯人という予断を与えない為」との理由で、手錠・腰縄姿を裁判員に見せないようにしている。M氏が首を振る。「裁判官が偏見を抱かないのは当然ですけど、一般市民が参加する裁判員裁判で『先入観を持つな』というほうが無理や。それに、警備上の理由もある。実際、法廷から被告人が逃走する事件も起こっとる。つい最近も、神戸地裁姫路支部で被告人が閉廷間際に傍聴席を通って逃げ出し、現行犯逮捕されとりますしね」。しかし何故、被告人の“人格権”が問題になってきたのだろうか。私は、『ロス疑惑』の三浦和義の影響が大きいと思う。彼は、逮捕された後も「報道によりプライバシーを侵害された」と騒ぎ立てた。最終的に留置中に自殺したが、現在、テレビのニュース番組で手錠にモザイクをかけるようになったのは、三浦が訴訟を乱発したからだとも言われている。車海老と烏賊の造りが運ばれてきた。非常にいい。我々は早速、冷酒に切り替えた。店の主人が、八寸の内容を一通り説明した後に訊いてきた。「欧米にも手錠や腰縄はあるんですか?」。以前、私の事務所があったドイツでは、手錠を見かけたことはあったが、腰縄はない。手錠はドイツ語で“hand-schellen”だが、“腰縄”に当たる言葉も無い。ドイツには、手錠に関する細かいルールがある。ドイツのサイトでも、「連行の際に手錠を使用すると、神経障害が発生することがある」「長時間の拘束は親指の神経に作用し、難聴等の症状を引き起こす恐れがある」等と指摘されている。欧米では、安易に手錠を使うと、逆に人権侵害で訴えられるのだ。店の主人が唸る。「人権に配慮しろというわけですな。先程の民事訴訟も、日本の欧米化の流れに乗っておるんでしょう。でも、それが日本人の道徳感情に合っているかどうかは別ですな。日本人は伝統的に犯罪者に厳しいんですわ。死刑制度に対する賛成の多さでもわかりますけど」。

M氏が目を瞑る。「嘗て、京都の守護職に“めあかし”というのがありましてな、官吏が囚人を連れて京都市中を練り歩く訳です。『罪を犯せばお前もこうなるぞ』という見せしめだけではなく、囚人の仲間を見つける目的もあった。囚人が『あいつも仲間だ』と言って逮捕に貢献すると、罪が軽くなる。このように、悪人が仲間を見つけて証言することを“目証”と言ったんです。これが転じて、役職自体が“めあかし”と呼ばれるようになった訳ですな。囚人を連れて歩く時には、縄を使ったという記述も残っとる。腰縄の歴史は、かなり古いんと違いますか」。店の主人が頷く。「終戦直前、私は奈良におったんです。その頃、刑務所に連行される囚人の姿をよう見かけました。手錠に腰縄、そして深編笠を被せられとった。あれは、犯人の顔を人目に曝さない為の配慮やったんでしょうかね?」。恐らく違う。以前、こんな話を聞いたことがある。渋谷の『NHK』の広大な敷地は昔、処刑場だった。明治や大正の時代、朱に染められた服を着て深編笠を被った囚人が腰縄で繋がれて、明け方に連行されていた。終戦後、あの辺りは「朱色の服を着た幽霊が出る」という噂が立ち、タクシー運転手は早朝に近くを通るのを嫌がったそうだ。囚人に深編笠を被せたのは、世間の好奇の目から守る為ではない。逆に、世間の人々が囚人を見て不快にならない為の配慮だった。囚人は穢れた存在であり、それを見ると身が穢されるという訳だ。黒澤明の映画『天国と地獄』(東宝)の最後のシーンでは、刑事が犯人にガチャリと手錠をかける。テレビドラマでも、刑事が犯人に手錠をかけるシーンが多用される。ここには象徴的な意味がある。日本では、一度お縄にかかった人間は、“穢れ”として社会から排除される。そこには、“推定無罪の原則”も何も無い。たとえ法廷が許しても、世間が許さないのだ。逮捕されたら“The end”。諦めるしかない。今日の料理で圧巻だったのは、スッポンの鍋だ。ここまで滋味深く濃厚なスッポンは初めて食べた。店の主人が笑顔を作る。「琵琶湖の天然のスッポンでございます。このサイズの大捕り物は減多にございません」。 (『S・P・I』特派員 ヤン・デンマン)


キャプチャ  2016年10月20日号掲載

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