【中外時評】 貿易を悪役にした米政治――変化への対応支援こそ

アメリカ大統領選挙まで2週間余りだが、今回ほど貿易が悪役になった選挙戦は、歴史を遡っても見つからない。過去に結んだ『自由貿易協定(FTA)』のせいで製造業の雇用が奪われ、賃金も下がった。得をしたのは大企業だけ。そうした認識を前提に、どちらがアメリカの労働者の味方かを競う争いになっている。そんなムードの中で、政治家の非難の的になっているのが、工場を海外に移す企業だ。2工場のメキシコ移転を今年2月に発表した中堅エアコンメーカーの『キャリアー』(インディアナ州)もその1つ。計2100人を雇う工場の閉鎖を冷然と伝える幹部に従業員がブーイングを浴びせる映像が、動画サイトの『YouTube』で流れたこともあって、格好の攻撃対象になった。共和党大統領候補のドナルド・トランプ氏が「どうぞ美しい工場を造ってくれ。メキシコから輸入したら35%の関税をかけてやる」と脅せば、当時、未だ選挙戦に残っていた民主党のバーニー・サンダース氏も「北米自由貿易協定(NAFTA)が如何に労働者にとって災難かを示す象徴だ」と声を張り上げた。民主党大統領候補のヒラリー・クリントン氏は一歩遅れたが、「キャリアーのような会社には、過去に受けた減税分や補助金を返済させる」と批判した。だが、地元では戸惑いの声が聞かれる。「キャリアーの決定に人々が心を痛めたのは確かだが、NAFTAやグローバル化でインディアナ州が苦境にあるというのは大間違い」と語るのは、地元弁護士のピート・モース氏。「日本企業等、海外からの投資拡大で雇用は増えており、今の問題は寧ろ人手不足」という。製造業が盛んな同州だが、失業率は全国平均以下の4.5%。3年でほぼ半減した。抑々、貿易問題を重視する有権者は少なく、世論調査ではFTAに好意的な見方が多かった。『ピューリサーチセンター』の2014年の調査では、59%が「FTAはアメリカにとって良いこと」と答えた。だが、今夏の調査では支持派が50%に低下。悪いと見る人は30%から42%に増えた。政治家が繰り返す“諸悪の根源は自由貿易”というわかり易い議論が、少しずつ浸透しつつあるようにも見える。「ワシントンが庶民の不満に長年鈍感だったことが招いた現象」と元商務次官のグラント・アルドナス氏は見る。

技術変化の波の中で消える仕事。地域の相互扶助機能の低下――。痛みがわからぬ政権や議会への反発が、エリート批判と反自由貿易を重ね合わせる政治家への支持に転化してしまったという。識者の中には、「これまでの政権が自由貿易のプラス面ばかり言い過ぎた」との声もある。一部で話題になったのは、2001年の中国の『世界貿易機関(WTO)』加盟に伴って増えた中国からの輸入で、100万人の製造業雇用が消えたと分析する“チャイナショック論”だ。論者の1人であるマサチューセッツ工科大学のデヴィッド・オーター教授は、「打撃は南部地域や、家具・ゴム等特定業種に集中した。変化の急激さと大きさに誰も気付かなかった」と説く。この見方には賛否あるが、オーター教授も含めた専門家の見解が一致するのは、国の壁を高め、貿易や海外投資を抑えても解決には繋がらないという点だ。技術変化やグローバル化の中で敗者になってしまった人を支える安全網の強化こそ必要だ。新しい技能の取得支援や税制による所得の下支え策等を急ぐべきだ。既に地方は動いている。インディアナ州は、州政府・企業・大学が連携して職業訓練を強化している。「昔の製造業には戻れない。プログラマーやエンジニアを始め、企業が求める人材像に即した訓練内容にし、雇用と直結させて実効性を高めている」と同州のビクター・スミス商務長官は強調する。通商政策については、「貿易戦争になりかねない政策を掲げるトランプ氏勝利なら兎も角、下馬評通りクリントン氏が勝てば、反FTA的な姿勢は変わる」との期待感はある。同氏が重視するアジア外交は、安全保障政策だけでは成立しない。「経済面からアジアへの関与を強める上で、環太平洋経済連携協定(TPP)は欠かせないパズル」との声もワシントンでは聞かれた。ただ、貿易を悪者にしてしまった選挙の後遺症は、容易には拭えない。「労働者にとって良いものに変えた」との形を作らずに、新政権がTPPを承認するのは困難。現政権下で批准できる可能性も低い。アメリカは当面、ダンピング輸入や外国政府の為替操作の阻止等、“公正な貿易”確保を重視する姿勢を強めることになろう。自由貿易の旗振り役として再び指導力を振るうまでには、時間がかかりそうだ。 (論説副委員長 実哲也)


⦿日本経済新聞 2016年10月23日付掲載⦿
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テーマ : 国際政治
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