【反基地とヘイトと“ナンクル”の知事】(上) “神話”に覆われた沖縄の真実

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「当初は平和的なデモだとしても対立的になり、暴力に発展する可能性もある」――。嘉手納基地内の企業に勤める軍属のシンザト・ケネス・フランクリンによる女性会社員の性的暴行・殺害事件を受け、先月19日に那鶴市で開かれた県民大会の2日前のこと。世界の危険情報を在外アメリカ人に知らせる国務省の公式フェイスブックには、テロや危険なデモとは一見無縁な沖縄で開かれる集会について、こう発信した。東京の在日アメリカ大使館も同日、大会当日に那覇市内に滞在する予定のあるアメリカ人に警戒を促した。「デモ一帯を避け、大規模集会・抗議・デモの近くに来たら警戒を」。大会は、国務省の目には、中東やウクライナのデモと同じように映ったのかもしれない。様々な緊張が高まる中、予定通りに県民大会は行われた。今回の事件を受け、このような集会が開かれるのは、ある意味、当然の流れだ。事件が明るみに出た5月中旬、誰もがアメリカ兵による1995年の少女暴行事件と重ね合わせた。あの時も、残忍な犯罪に世論は沸騰し、保革対立が激しい沖縄で超党派による県民大会が実現。参加者は8万5000人に達した。極普通の高校3年生による「私たちに静かな沖縄を返して下さい」という訴えは、沖縄の人々だけでなく、あらゆる日本人の心を打った。

今回と1995年の県民大会が違ったのは、党派性の有無だ。当日、壇上に立ったのは、知事の翁長雄志率いる政治運動『オール沖縄』側のメンバーばかり。大会を主催するのは、翁長の運動を支持する『日本共産党』・『社民党』・各労働組合・市民団体等からなる団体『辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議』だった。1995年にスピーチした高校生が政治とは無縁だったのと対照的に、若い世代の代表として登壇した学生5人は、オール沖縄を支持する政治団体『SEALDs RYUKYU(シールズ琉球)』のメンバーだ。大会の正式名称は『元海兵隊員による残虐な密行を糾弾! 被害者を追悼し海兵隊の撤退を求める県民大会』。登壇者が基地撤去を訴えると、「そうだ!」の掛け声や拍手、指笛が会場に鳴り響く。追悼の場である筈の大会は、元海兵隊員のシンザトだけでなく、アメリカ政府やアメリカ軍への糾弾と、政治的主張の舞台になった。これを嫌った自民党や公明党は参加せず、結果として、“オール”沖縄による“県民”大会は単なる建前でしかなくなった。注目すべきなのは、翁長が海兵隊の沖縄からの撤退を訴える大会に参加したことだ。「海兵隊撤退は全基地撤去とほぼ同じ」と、『琉球新報』東京支社報道部長の新垣毅は言う。海兵隊基地を撤去すれば、陸海空軍を含めたアメリカ軍基地面積の約75%が沖縄から消滅する。これまで、翁長の公約は普天間飛行場の辺野古移設阻止に留まっていた。「沖縄の自治は神話」。登壇した翁長が引用したのは、今から半世紀以上前、本土復帰前に沖縄を統治したアメリカの高等弁務官による言葉だ。占領を象徴する当時の発言は、今の沖縄の自己イメージでもあるのだろう。続いて翁長は、2度に亘る訪米を自らの成果として挙げた。ワシントンで要人に次々と会い、辺野古移設が見直され始めているという。知事就任から1年半。“アメリカを動かした”という翁長県政の真実を探る為、筆者は今年5月の翁長知事の訪米に同行し、更に翌6月、沖縄の基地の町を訪れた。「アメリカによってマイノリティーとして抑圧された県民」「信念の知事が齎した保革融合」「ワシントンを動かす訪米」――。翁長と沖縄を巡る現在の“神話”は、今回の取材によって次第に崩れていった。

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「キラーレイパーのニガーは死刑!」――。那覇空港からモノレールで20分。市内の閑静な住宅地にある古島バス停で時刻表を見ようとしたところ、油性ペンの落書きが目に飛び込んできた。筆跡からして、最近書かれたことが窺える。“キラーレイパーのニガー”はシンザトを指すのか。人種差別でしかないこの言葉は、県民大会でSEALDsの学生がアメリカに対し、「“人殺しの国”と呼ばれているのをご存知ですか?」とスピーチしたのを連想させる。シンザトの勤め先は民間企業だが、基地内で働いていた為、軍関係者である“軍属”と見做されている。これまで多くの場合、事件を起こした軍属は『日米地位協定』により、アメリカに身柄を引き渡されてきた。たとえ県民が被害者でも日本の司法権が及ばない事態に、基地答認の保守勢力からでさえ協定見直しの声が上がる。協定見直しは、県民が団結できる最低ラインだ。ただ、今回の場合は公務外での犯罪の為、日本側で司法手続きが進んでいる。「日本の捜査当局は今のアメリカバッシングの空気を背景に、シンザトとその家族に厳しい態度を取っている」と、シンザトの弁護人である高江洲歳満は言う。高江洲は琉球検察の公安部長を務め、沖縄の本土復帰後も検事を続けた後、アメリカでも弁護士資格を得た。沖縄とアメリカの表裏を知る存在で、1995年の暴行事件の被告を始め、多くのアメリカ兵犯罪の弁護に携わってきた。高江洲が懸念するのは、日本の司法制度だ。黙秘権を尊重せず、密室で長時間に亘って自白を強要する。日本の司法に不信を抱くアメリカが日米地位協定を改定しないのも、高江洲には理解できる。強姦の量刑は、寧ろアメリカのほうが日本より重い。高江洲によれば、アメリカ兵と県民との関係は必ずしも悪くない。「沖縄の人は、個人レベルではアメリカ兵の友達が多く、アメリカ人が好き」。基地では日本人と仕事をし、休日にはフェンスの内外でバーベキューやクリスマスパーティーに招き、招かれる。公園やショッピングモールでは、子供たちが国籍の隔てなく戯れる。

だが、それは彼らが数年で転属し、沖縄を離れる“余所者”だからかもしれない。基地の外に住んでも、地元と交流があっても、アメリカ兵と軍属、その家族を合わせた4万7300人は、県の人口143万に含まれないアウトサイダーだ。彼らが沖縄を気に入って結婚や転職をして地域に根付こうとした時、県民との越えられない“フェンス”にぶつかることもある。他県に比べてアメリカ人との接触・恋愛・結婚の例が多いにも関わらず、琉球大学の研究グループによる2006年の調査では、県民の3人に1人以上が「外国人は沖縄社会に溶け込めない」と回答した。偏見はアメリカ人だけでなく、彼らと付き合う県民にまで向かう。琉球大学の調査に対し、「自分の子が国際結婚することに抵抗がある」と答えた県民の割合は37.8%に達する。「結婚相手が軍人でなくても、外国人というだけで『何故外国人と』『黒人と』と悪く見る人もいる。特に事件が起きると、一気に噴出する」。海兵隊基地『キャンプコートニー』で働く日本人は、そう嘆く。実際、アメリカ人と交際する女性は“アメ女”と蔑視され、基地外の学校に通うハーフの子供は苛めに遭うという歴史が続いてきた。沖縄のメディアは、日本人である妻の姓を名乗るシンザトを“ケネス”・“フランクリン”とファーストネームで呼び、時に態々“ガドソン”という旧姓を持ち出す。「容疑者がアメリカ国籍で、結婚後に名字を変えたこと等を踏ま た」のが理由だという。アメリカ的な名前に彼を“押し込む”ことで、「シンザトから沖縄の痕跡を拭い去りたい」という意識の表れのように見える。事件は沖縄内部の悲劇ではなく、アメリカと沖縄の対立にすり替えられている。対立の舞台は、飛行場移設問題の普天間や辺野古から、シンザトが勤務していた嘉手納基地に移りつつある。アメリカ兵や軍属が嘉手納基地に出勤を始める早朝。“琉球連邦共和国”という黄色い幟旗の下、男性が車1台1台に親指を下に向けながら、「お前は人殺しだ!」と英語で叫ぶ。ゲート前を陣取り、“全基地撤去”・“沖縄をレイプするな”と英語や日本語で書いたプラカードを手に、車の前に立ち塞がる。1台1台を取り囲み、「人殺し!」「レイプ魔!」と詰る。警察に誘導されてやっと逃れた車中のアメリカ人の表情は、一様に強張っている。憎しみの標的は基地で働く日本人にも及び、「裏切り者!」と怒鳴られることもあるという。早朝から集まった100人余りの参加者を前に、辺野古から駆け付けた反基地活動のリーダーが、「辺野古のキャンプが移ってきた」と興奮気味に語る。辺野古での移設工事を巡る訴訟で国と県とが今年3月に和解して以降、活動に陰りが見え始めた辺野古や普天間から運動家が駆け付けているのだ。『座り込めここへ』・『沖縄を返せ』といった労働歌を合唱するのは、辺野古でお馴染みの光景だ。周りには“脱植民地”・“琉球の自己決定権”・“琉球独立”と、英語や日本語で書かれたプラカード・幟旗・横断幕が翻る。

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「自分たちは“人殺し”・“レイプ魔”なのか」――。排外的な機運に苦しみながらも、地元との共生を模索するアメリカ人もいる。5月28日、沖縄の交通の大動脈である国道58号線沿いに、多くの県民がいつもと違う風景を目にした。気温30℃前後で、強い日差しが照り付ける沖縄の梅雨特有の蒸し暑さの中、100人近いアメリカ人が静かに頭を下げている。手には、沖縄県旗と星条旗をハートに模り、“沖縄のためにお祈りしています”と書かれたプラカードがある。呼び掛けたのはクリスチャン・シアンコ牧師だ。ハワイ出身で、曽祖母は日本人。アメリカ海軍に入隊し、アメリカ本土の基地勤務を経て、2009年から下士官として嘉手納基地に所属した。2012年にプロテスタントの布教の為に除隊している。シアンコの教会は県中部に位置し、日曜日には近隣の海兵隊や空軍の基地から多くの信者が訪れる。嘗てシアンコが所属し、シンザトが働いていた嘉手納基地もその1つ。信者約350人の内、8割は軍人・軍属やその家族だ。「信者と同じ基地で働く男が周辺で起こした事件は、他人事ではなかった」とシアンコは言う。「教会を大い 揺さぶった」。基地周辺では緊張が高まり、反基地活動が激化していた。「教会で祈るだけでなく、事件への悲しみと沖縄への愛を積極的に示す必要がある」と、“沈黙の追悼”を提案したのは妻のリアだ。声を上げること無く、地域社会の一員として、県民と共に哀しみを共有したい。地元の交通を妨げない場所を選び、プラカードを作り、口伝てやメールで信者以外にも参加を呼び掛けた。反基地感情が激化する中、この追悼がどう受け止められるのか。「吐きそうなほど怖かった」とリアは告白する。だが当日、参加者と道沿いに立つと直ぐに不安は解け、涙で目が曇った。車で行き交う県民の多くが手を振り、頭を下げてくれた。態々停車して「有難う」と声を掛ける男性。買い物袋からペットボトルのお茶を差し出す女性。彼らもまた涙を拭っている。「沖縄は私たちの“家”」とシアンコは言う。「“家”で起きたことは、喜びも悲しみも全て、“家族”に直接影響する」。

しかし、彼らの気持ちを許容できない沖縄県民もいる。オール沖縄を支持するメディアが紙面で伝えるのは、そんな声だ。ある地元紙は、「加害サイドの責任を被害サイドの悲しみに紛れ込ませるようなものではないか。基地故の事件の重みをわかっているのだろうか」と追悼を非難する投書を掲載。沖縄在住のフリーライター・渡瀬夏彦は『週刊金曜日』(6月10日号)に寄せた記事で、「むごたらしい犯罪の印象を“哀悼パフォーマンス”で薄められるとでも思っているのだろうか」という県民の声を紹介した。アメリカ政府やアメリカ軍に対してだけでなく、アメリカ人ならばどんな善意も憎み、徹底的に排除する――。こうした姿勢は、翁長が煽る沖縄の“アイデンティティー”と化学変化を起こし、時に排外主義の様相すら帯びる。琉球大学准教授の野入直美は、「沖縄が自らをどう捉えるかが、外国人との共生に強く影響する」と指摘する。本来の沖縄のアイデンティティーは、海に開かれたチャンプルー(混ぜこぜ)文化の筈。特に近代以降は、何万もの県民がハワイやアメリカ大陸に渡り、移住先では「土地や職を奪われる」といった差別を乗り越えてきた。それが1990年代以降、首里城復元やNHKの大河ドラマ放送をきっかけに沖縄ブームが定着。「島内でマジョリティーとして振る舞う中で、マイノリティーの苦労を忘れてしまったのではないか」。野入はそう懸念する。その意味で、今年10月に世界から移民の子孫が那覇に集う『世界のウチナーンチュ大会』は、本来のアイデンティティーを探る絶好の機会かもしれない。翁長が「辺野古問題を説明した」と強調した5月の訪米も、一義的には同大会の宣伝の為だった。実は、翁長とオール沖縄にとって、この訪米は幸先が良くなかった。当初、訪米は2月に予定されていたが、普天間飛行場がある宜野湾市で1月に行われた市長選挙でオール沖縄の支援候補が大敗して断念。再選を勝ち取った宣野湾市長の佐喜眞淳は4月に訪米し、「辺野古が唯一の解決策である」と断言する国務省・国防総省の両次官補代理と会談した。一方、市長より格上の筈の翁長は、アメリカ政府関係者との面談の見通しすら立たない。結局、『世界のウチナーンチュ大会』PRの形を取りながら、ワシントンに立ち寄るしかなかった。昨年の初訪米では、出発前に東京の『外国特派員協会』で会見し、訪米中も多くの日本メディアが動向に注目した。しかし、今回は同行記者も極僅か。帰国後に翁長県政を審判する県議選が控えるのに、追い風は吹かない。結局、アメリカ政府関係者との面会は無く、アメリカの“辺野古一択”という見解も揺るがず、ニュースの扱いは小さかった。

20161024 04
ただ、翁長に同行する沖縄メディアは違った。ワシントンで始まった翁長と有識者との懇談会や議員との面会は非公開。だが、県幹部の伝聞情報の一言一句から、翁長が如何にワシントンを動かしたのかを汲み取ろうとする。激しく競合する地元紙にとって、訪米の成果を“落とす”ことは許されない。事態が一変したのは5月17日夜だ。ワシントンでの日程を終え、1996年に普天間飛行場の返還で合意した元駐日米大使で元副大統領のウォルター・モンデールとの翌日のミネソタ州での会談に備えていた翁長の耳に、「会社員殺害にシンザトが関与した」という情報が伝わった。帰国した翁長は、官邸で首相の安倍晋三に厳しい表情で怒りを伝え、『G7サミット』で来日するバラク・オバマとの面会を求めた。永田町の反応は与野党問わず鈍かった。「全ての基地の撤去ということが、沖縄で現在、普天間の問題について異議を述べている人の総意とは思わない」。安倍・翁長会談直後の『民進党』・岡田克也代表の発言もその一例だ。以前なら、岡田の見解は正しかった。NHKの県民意識調査によれば、長年に亘って県民の多数意見は「基地は本土並みに少なく」。「全面撤去」と「現状のまま」は、其々2割前後に過ぎなかった。だが、事件発覚後は、地元紙が1面トップに大きく“全基地撤去”の見出しを掲げて世論を喚起。翁長の強い抗議でさえ「物足りなさを禁じ得ない」と社説で批判し、「全基地閉鎖要求に踏み込んでほしかった」とハードルを上げていく。事件直後の地元メディアの世論調査では、県民の42.9%が全基地撤去を選択した。その変動は県政に直結し、先月5日の県議会議員選挙で、共産・社民等革新政党主体のオール沖縄側が過半数を維持。そうした議員の大半は“全基地撤去”を支持している。

県政の主導権は、保守出身の翁長から、オール沖縄を構成する革新勢力へと移りかけている。県民大会は、1995年のように超党派からなる実行委員会の主催ではなく、初めから革新勢力が運営の主導権を握った。翁長側が超党派での開催を働き掛け、開催数日前まで出席を曖昧にしても、革新勢力は折れなかった。逆に翁長は、“海兵隊基地撤去”へと自らハードルを上げることになろうとも、大会出席以外に選択肢は無かった。以前は、オール沖縄の生殺与奪権を握っていたのは、老練な保守政治家の翁長だった。父が本土復帰前の立法院議員、兄が副知事という政治家一家の出身。那覇市長時代には人事で革新勢力を取り込み、4期14年の長期市政を実現した。「『向こう側じゃないの』と思われるくらいのバランス感覚」「右でも左でもなくスイッチヒッター」――。翁長は自著『戦う民意』(角川書店)で、那覇市での保革融合を誇らしげに書いている。だが、こうした“コウモリ”のような態度は今や、保革其々に不信と不満を生んでいる。「『基地の人ね。貴方たちがいるから国民の為になっている』と言われ、嬉しかった」。保守系の『基地従業員組合』を率いる執行委員長の島仲正晴は、翁長が以前語った言葉を紹介する。「それが180度変わって、そのまま遠ざかっていった。信じられなかった」。基地の存在を重視する翁長に、同労組は那覇市長選で2回推薦状を出した。だが、知事のポストを目の前にして、翁長は反基地勢力と手を組んだ。「同じ人間がここまで変われるとは。あの人が中心のオール沖縄は全く信用できない」と島仲は言う。翁長に対しては、オール沖縄内でも不満が募る。「革新勢力が期待していることをスパッと言わない」。『沖縄タイムス』東京支社報道部長の宮城栄作は指摘する。翁長とオール沖縄が一致するのは辺野古阻止だけ。高江のへリパッド移設工事を座り込みで阻止しようとする革新勢力と、妨害車両の撤去を求める国に挟まれた翁長は、「交通整理が必要」とはっきりしない態度に終始している。革新勢力の目に、そうした保守政治家らしい態度は危うく映る。「意見が統一されていないところをクローズアップされると、苦しい局面に陥る。オール沖縄という枠組みは、翁長県政にとって両刃の剣」と宮城は言う。全基地撤去に突き進む革新勢力と、煮え切らない翁長。反基地運動は激化し、県議会では革新政党が議席を伸ばす。今回の県民大会以降は、意見の統一すら危うくなった。今月の参院選にオール沖縄から出馬した元宜野湾市長の伊波洋一は、その擁立を巡って財界から反対が出る左派色の強い候補者だ。オール沖縄はより先鋭化し、自公だけでなく、翁長でさえ邪魔になる日が来るかもしれない。既に、オール沖縄内の数少ない保守系議員は居場所を失いつつある。翁長を支持して自民党を除名された那覇市議2人は、先月の県議選に出馬したものの、共に落選。沖縄の有権者は、オール沖縄の保守勢力を峻別し始めているようだ。

20161024 05
「翁長はナンクル(なるように)とテーゲー(いい加減)の親玉」と高江洲は言う。復帰以前から沖縄政界を見てきた彼にとって、翁長は信念の知事どころか、勝ち馬に乗ろうとする典型的な政治家だ。自ら率いるオール沖縄運動の高揚で、皮肉にも居場所を失っていく翁長が頼れる数少ない人物が、ジョージワシントン大学教授のマイク・モチヅキだ。5月の訪米ではワシントンの有識者会議で座長を務め、翁長・モンデールの非公開会談にも同席。モチヅキは以前から、「海兵隊の沖縄駐留は抑止力にならない」との説を提唱。辺野古移設を巡って沖縄が国と争う訴訟の知事陳述書でも、移設不要の理由としてモチヅキの説が採用された。オール沖縄の政財界・労組・市民団体も、永田町よりアメリカへの陳情に熱心だ。それを促すのが、東京都新宿区にあるシンクタンク『新外交イニシアティブ』だ。「ワシントンから永田町を動かす」と、アメリカ政府や議会に働き掛けて日本政府に圧力をかける“拡声器効果”を主張している。会費を募り、“辺野古移設阻止”を訴える為の訪米をアレンジする。モチヅキは同シンクタンク評議員に名を連ね、沖縄とワシントンとのパイプ役を務める。オール沖縄にとって、モチヅキは“辺野古移設阻止”・“海兵隊基地撤去”の理論的支柱。翁長が県民大会で「辺野古唯一ではなくても抑止力の問題はクリアできる」と紹介した提言も、元はモチヅキと『ブルッキングズ研究所』上級研究員のマイケル・オハンロンが米紙に寄稿した論文だった。共同論文ながら、翁長訪米時に開かれた有識者会議で座長まで務めたモチヅキが米紙に示した解決案は、ワシントンの空気と翁長の落としどころを推察する上で重要な論考だ。「知事は、私の考えを日本政府の“辺野古一択”に対抗できる証拠とみている」とモチヅキは明かす。一読すると、それが辺野古移設反対論でありながら、海兵隊3000人の常時駐留・キャンプシュワブ内のへリポート建設・有事の際の普天間飛行場と那覇空港第2滑走路の軍事利用…という“県内移設論”であることに気付く。特に問題は、普天間飛行場を閉鎖・返還せず、運用停止して維持する点だ。維持の理由についてモチヅキは、「代替飛行場無き普天間閉鎖に対するアメリカの国防政策決定者からの強い抵抗」と説明。オハンロンは「危機対応能力とリバランス(アジア重視)」を挙げ、「そのほうが日米両政府は受け入れ易い」と答えた。

アメリカ軍による有事利用が提案された那覇空港第2滑走路は、翁長が市長時代から推進する大プロジェクトだ。珊瑚等といった希少生物の宝庫で、那覇に残る最後の自然海岸の埋め立てに対する革新勢力の反対を押し切って、建設を進めている。そうした経緯のある滑走路をアメリカ軍が使うことを、オール沖縄は許さないだろう。民主党の鳩山由紀夫政権が2010年に迷走して以降、アメリカ発で“辺野古見直し”のサインが報じられる度に、沖縄は期待を膨らませ、失望することを繰り返してきた。2011年、アメリカ上院軍事委員会のカール・レビン委員長(民主党)らがアメリカ軍予算削減を狙い、辺野古見直しに言及。すると、地元紙は社説で「議会きっての知沖派」と評し、同年5月の来県前には「米議会の友へ/レビンさま、米議会を代表するあなた方の訪問を歓迎します」と持ち上げた。歓迎ムードの中で来県したレビンは、普天間飛行場の嘉手納統合案を提示。すると、「嘉手納周辺住民への負担が増す」として一斉に反発が起きた。地元紙の社説も、歓迎から非難へと豹変した。「歴史から学ばず、再び過ちを繰り返そうとしている」「理解不能な非現実的案」と一刀両断。“知沖派”である筈のレビンの提案は頓挫した。それ以降も地元紙は、ワシントンから発せられた有力政治家や官僚経験者の何気ない一言から“辺野古見直し”を喧伝。新外交イニシアティブはオール沖縄に対して、ワシントン訪問を再三促してきた。5月の翁長訪米でも、地元紙では『辺野古“変更できる”』という記事が、女性会社員殺害事件へのシンザト関与のスクープを押しのけ、1面トップを飾った。だが、“辺野古見直し”は記者へのリップサービスか、県民感情を考えたガス抜き、或いは翁長やオール沖縄が拒絶する県内移設のどれかでしかない。“知沖派”モチヅキが発表した“海兵隊常駐・普天間維持・県内移設案”も同じだ。“ワシントンから永田町を動かす”筈が、ワシントンが動かない。女性殺害事件を受けて計画されている翁長知事訪米では、事件の重大さからアメリカ政府関係者が会う可能性はある。地位協定改定で動きがあるかもしれない。だが、移設問題に変化を期待するのは現実には厳しい。革新勢力には翁長ほどの手腕を持つ人材は無く、スポットライトは常に翁長に当たってきた。オール沖縄の本質は、“オール翁長”だったのかもしれない。「翁長知事しかいない。これだけリーダーシップを発揮し、しっかり日米政府に発信できるから」。シールズ琉球のメンバーで大学生の元山仁士郎もまた、翁長に懸けている県出身者の1人だ。今は大学を休学し、新外交イニシアティブで働いている。県民大会で「日本政府が言う“国民”に沖縄の人は含まれているのか」と訴えた元山にとって、“マイノリティーとしての県民”・“信念の知事”・“ワシントンの変化”は神話でなく現実だ。“スイッチヒッター”を自称する翁長にとって、若者の心を掴むのは容易なのかもしれない。ただ、オール沖縄神話が崩壊した時、喪失感に苦しむのは翁長でなく県民だ。高校生が「静かな沖縄を返して下さい」と叫んでから20年余り。沖縄戦が終わった6月23日の慰霊の日ですら政治的な野次が飛ぶようになったこの島で、“沈黙の追悼”が行われる日は来るのだろうか――。 《敬称略》 (取材・文/本誌 深田政彦)


キャプチャ  2016年7月12日号掲載

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