【元少年Aに告ぐ】(03) 『絶歌』出版事件が突き付けた“偽善社会”への刃

罰を与えなかった少年Aを野放しにした“結末”は、被害者を再び踏み躙る自己顕示本の出版だった。嘗て事件の取材に深く関わったノンフィクション作家の門田隆将氏が、日本社会の“欺瞞”を撃つ。

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私は、昨年巻き起こった元少年A(33)による『絶歌』(太田出版)出版事件は、「あらゆる意味で“戦後日本”の宿命であった」と思っている。表面だけの綺麗事に終始してきた日本の社会が、当事者から痛烈な竹箆返しを受けたという点で、まさしくそれは“事件”だっただろう。長く“偽善”に覆われてきた“戦後日本”の在り方そのものに刃が突き付けられたとも言える。私が“『絶歌』出版事件”と、敢えて“事件”という言葉を使う所以がそこにある。これ以上無い無惨な犯罪を引き起こした14歳の少年Aに対して、逮捕当時、例えば朝日新聞の『暗い森』に代表されるような連載が行われ、「Aの心の闇を理解しよう」という同情論が巻き起こった。それは、写真誌にAの顔写真が掲載されたことで頂点に達したとも言える。恰も、Aが被害者であるかのように同情され、涙を流さんばかりにテレビで「Aの人権を守ろう」と訴える女性タレントまで現われた彼ら・彼女らは今、何を考えているのだろうかと思う。そこには、“真の人権とは何か”という根本を忘れ、被害者と遺族の無念や心情をそっちのけにした、浅薄で滑稽な同情論が満ちていた。そして、名前も素性も覆い隠されたまま『医療少年院』と『少年院』で6年余を過ごし、21歳となったAは2004年、世間に舞い戻ってきた。

言うまでもないが、少年院は“懲罰”の場ではない。矯正教育という名の“教育”の場である。医療少年院は、そこに“治療”が加わる。それが、少年犯罪に対する日本のシステムだ。飽く迄も少年院が“教育の場”である為、入所者には職業訓練があり、学力の向上を目的に授業も準備されている。また、刑務所とは違い、前科が残ることもない。Aが入った『関東医療少年院』では、Aに対して「問題性は極めて複雑で深刻」と判断され、収容期間を最長で5年6ヵ月とする処遇計画を纏め、新入時・中間期・出院準備の3段階に分けた教育課程が設けられた。しかし、少年院が“懲罰の場”ではない以上、Aは、極論すれば、真っ正面から罪と向き合う必要は無かったことになる。つまり、“治療”と“教育”だけを受け、罪と向き合うことを強制されないまま、Aは“解き放たれた”のである。愛する我が子を奪われた遺族にとって、それは許し難いことだっただろう。出院後、Aは遺族の前に謝罪に現われることは無かった。被害者の仏壇に1本の線香も上げること無く、Aは雑踏の中に“消えた”のである。被害者の霊に手を合わせる代わりにAが行ったのは、事件を起こした自分を“売り物”にした『絶歌』という本の出版だった。それは、6年余に及ぶ治療と矯正教育が見事に“失敗”したことを証明するものだった。いや、日本の少年犯罪に対するシステムそのものが“間違っている”ことを示すものだったとも言えるだろう。甘やかされ、矯正もされないまま世間に解き放たれたAは、日本の特殊な“偽善社会”が育んだ存在とも言えるのである。ボロボロになるまで徹底して罪と向き合わせ、自分が犯した罪と、失われた命と遺族の無念に対する理解を深めることが無かったAが、『絶歌』のような本を出版するのは、ある意味、必然だったと思う。“酒鬼薔薇聖斗”を名乗り、異常なまでの“自己顕示欲”を示したあの犯行声明文を思えば、それは当然の帰結ではなかっただろうか。事件から18年を経た『絶歌』出版によって、戦後日本が浸っていた“上辺だけの正義”は、Aによって否定され、誤っていたことが突き付けられたのだと私は思う。それは同時に、人間にとって最も大切な真の“人権”とは何であるかを見失った報道や世論に対する厳しい“鉄槌”だったかもしれない。

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1997年5月、私は、『週刊新潮』編集部の特集班デスクとして、事件取材の指揮と記事執筆を担当した。全国の耳目を集めたあの地の光景は、今も脳裡から離れない。神戸市水道局の貯水タンクがあったことから“タンク山”と名付けられた小さな山、そこにあった“板チョコ”に似た形状の通称“チョコレート階段”というコンクリート坂、子供たちの遊び場となっていた向畑ノ池…。事件現場となったその地の光景は、被害者の土師淳君(当時11)や地元の子供たちの日頃の息遣いが聞こえてくる、実に長閑なものだった。しかし事件発生後、街を歩いているのは、日本中から集まったのかと思われるような大人数のマスコミ関係者ばかりで、子供たちの姿は1人も見ることができなかった。異様な空気が、その地全体を覆っていた。それは、私にとって事件の特異性に圧倒された日々でもあった。神戸市須磨区の友が丘中学校の正門前で、小学6年生の土師淳君の切断された頭部が発見されたという事件の猟奇性は勿論だが、その犯行声明文の内容に私は我が目を疑った。「さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを」。淳君の口には、“酒鬼薔薇聖斗”の名前で、そんな犯行声明文が咥えさせられていた。淳君は頭部を切断されただけでなく、口の両端を耳の近くまで切り裂かれ、両瞼にバッテンの傷まで付けられていた。「これは、とんでもない“モンスター”が現われた…」。私は、そう思って慄然とした。猟奇性と異様なまでの自己顕示欲。事件の特徴は、その2点に尽きた。人間は感情の動物であり、恨みや怒りによって、時に人の道を踏み外して、絶対に犯してはならない“殺人事件”を引き起こすことがある。残念ながら、そんな事件が日々、報道されているのが現実だ。

だが、酒鬼薔薇聖斗を名乗った犯罪者が引き起こした事件は、それとはまるで異なるものだった。抑々、被害者の土師淳君が、恨みや怒りを買うような子供でないことは明らかだった。では、そんな少年が何故、あんな無惨な方法で殺されなければならなかったのか。それは、犯人が自ら犯行声明文の中で吐露したように、“殺しが愉快”でたまらなく、更には“人の死が見たくて見たくてしょうがない”からだっただろう。この事件をきっかけに日本中に知れ渡ることになったのが、“快楽殺人”という言葉である。快楽を得る目的で“殺人”を行い、更なる快楽を得る為に遺体の損壊まで行う犯人――。まさに憎悪や恨み等ではなく、ただ“快楽”を得る為に、殺すことだけを目的とした殺人事件を起こし、遺体を損壊する行為者が現われたのである。「犯人は“人間”ではない。“モンスター”だ…」。取材が深まるにつれ、私と同じそんな思いに捉われた記者たちは多かったと想像する。神戸市須磨区友が丘に集まった報道陣は、直ぐにある事実を知った。2ヵ月前には、小学4年生の山下彩花ちゃん(当時10)が金槌で殴り殺され、更にその1ヵ月前には女児がナイフで刺され、重傷を負うという事件が“近くで起こっていた”ことである。そして、惨殺された猫や鳩が発見されることも少なくなかった。地元の人々にとっては、その恐怖の記憶が生々しい中での新たな事件だったのである。「ここには“異常犯罪者”がいる」――。犯人が誰であるかはわからないものの、異常犯罪者、即ちサイコパスが“直ぐ近くにいる”ことだけは、住民にはわかっていた。聞き込みで、地元の人たちは声を潜めて、その恐怖を語ってくれた。私たち取材班は、事件発生から2週間ほど経過した6月上旬、捜査線上に浮かんでいた容疑者凡そ20名のリストを入手した。それは、捜査当局による聞き込みや情報提供、更には前科前歴の照合等々によってリストアップされたものだ。当初は140名ほどが浮かび上がり、段々と絞られてきたものだった。

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リストは、新たな情報提供や実際の捜査によって常に増減していたが、ある時点でのリストを入手できたのである。友が丘中学校正門で淳君の頭部が発見された当初、校門近くで発見された“黒いゴミ袋を持った中年男”や“不審な黒いブルーバード”の目撃情報があり、リストは年齢的には10代から50代に亘っていた。凶悪犯罪で捕まった過去がある少年・精神病歴のある者・元暴走族・子供に暴力を振るって逮捕された経験のある者等々、そこには様々な人物が入っていた。何れも須磨区内の居住者か元居住者で、私は、須磨区とその周辺に、捜査当局が“注目する”これほどの人物がいたことに驚いたのを記憶している。それと共に、そのリストに載っていた殺人を犯した少年が、“2年”も経たずに少年院を出て娑婆に舞い戻っていたことも驚きだった。リストはA・B・Cとランク付けされており、Aランクの人間には、捜査員が4人1組になって24時間体制で、既に張り込みが行われていた。結果的に、14歳の少年Aは逮捕歴も無かった為、リストには入っていなかった。しかし、犯罪予備軍が驚くほど“身近に”いる事実を、私は改めて思い知らされたものである。だが、捜査本部における主力チームは、既にターゲットを“少年A”に絞っていたことを、私は犯人逮捕後に知った。きっかけは、地元の『神戸新聞社』に送りつけられてきた“第2の犯行声明文”だった。それは、淳君の頭部が友が丘中学校門前で発見されて8日後の6月4日のことだった。1回目の犯行声明文と同じく、定規で引いたような字で、しかも、1回日にもあった極めて特徴的な風車のようなマークが、そこには書かれていたのだ。

前回の声明文の“筆跡”と“風車マーク”が一致するその第2の声明文には、こう書かれていた。「この前ボクが出ている時にたまたまテレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて“鬼薔薇(オニバラ)”と言っているのを聞いた。人の名前を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である」。冒頭から、犯人はそう記していた。約1300字もの長文の声明文には、こうも書かれていた。「もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう。やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない。だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない。そこでぼくは、世界でただ1人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、『みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ』。その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである」。そこには、これほど身勝手な論理が記されていた。“誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむこともできた”犯人は、“あなた達の空想の中でだけでも実在の人間”として認めてもらいたかった為に、切断した淳君の頭部を校門前に置いたというのである。

更に犯人は、こう綴っていた。「この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。【中略】ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば1週間に3つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである」。そう記した上で、意味不明なこんな謎の言葉で声明文は結ばれている。「ボクには1人の人間を二度殺す能力が備わっている」(下線筆者)。あまりに理不尽で、手前勝手な論理に、怒りを禁じ得なくなるのではないだろうか。恐ろしいまでの“自己顕示欲”を示したこの声明文を思い出せば、今回の『絶歌』出版が何ら不思議でもなかったことが、理解できるのではないだろうか。元々、贖罪の意識等が皆無のAに、“懲罰”でもなく、“教育”によって更生を図ろうとしても、到底無理であったことは明らかだった。その贖罪意識の無さは、『絶歌』の中でも読み取れる。例えば、「なぜ殺人をしてはいけないか」という少年たちの疑問に対して答える場面で、Aはこう記述している。「大人になった今の僕が、もし10代の少年に『どうして人を殺してはいけないのですか?』と問われたら、ただこうとしか言えない。『どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、“あなた自身が”苦しむことになるから』。哲学的な捻りも何もない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが、少年院を出て以来11年間、重い十字架を引き摺りながらのたうちまわって生き、やっと見付けた唯一の、僕の“答え”だった」(『絶歌』282頁より)。自分自身が苦しむことになるから、“殺人”は止めておけ――。それが、Aにとっては“どうしても人を殺してはいけない理由”なのである。そこには、被害者や遺族の哀しみと無念への洞察も、更に言えば、人間だけが持つ憐憫の情も欠片も感じられない。

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『絶歌』にAは、自らこう記述している。「“少年A”――それが、僕の代名詞となった。僕はもはや血の通ったひとりの人間ではなく、無機質な“記号”になった。それは多くの人にとって“少年犯罪”を表す記号であり、自分たちとは別世界に棲む、人間的な感情のカケラもない、不気味で、おどろおどろしい“モンスター”を表す記号だった」(同書6頁より)。まさに、自らも認めるように、それは人間の感情を喪失したモンスターそのものなのである。実は、直接的にAの逮捕に繋がったのが、先の第2の犯行声明文だったことを知る人は少ない。両方の声明文に描かれていた風車のマークは、Aとその周辺の中学生が描く独特のもので、それに気付いた父兄の1人が警察に届け出たのだ。そのグループの中に、既に動物虐待で浮かび上がっていたAが“いた”のである。決め手となったのは、小学校の卒業文集に書かれていたAの文字と、犯行声明文の筆跡の特徴がぴたりと一致したことだ。捜査本部は、マスコミに盛んに目晦ましの情報を流しながら、Aをターゲットに慎重に捜査を進めた。そして6月28日早朝、捜査本部のある須磨警察署ではなく、兵庫県警本部においてAは逮捕されたのである。それはヒョロッとした細い身体つきに、青白い顔をした中学生で、残虐な手口とはあまりにかけ離れた犯人の姿だったという。その時の衝撃は、今も鮮明に記憶している。14歳という年齢も然ることながら、被害者の淳君はAの弟の友だちでもあり、元々顔見知りだった。Aは3人兄弟の長男で、どこにでもある家族6人の“普通のサラリーマン家庭”に育った少年だった。しかし、犯人が“14歳の少年”だったことから、報道を含めて世論自体が一挙に思考停止し、腫れ物に触るようなものになった。そして、冒頭に記述したように、写真週刊誌『FOCUS』がAの顔写真を掲載したことで、逆に一気にAへの同情論が巻き起こったのである。

『絶歌』には、発売以後、賛否両論が吹き荒れた。その殆どは出版に否定的なもので、本への感想を記す『Amazon』のレビューには、猛然たる非難の文章が次々と書き込まれた。淳君の殺害場面こそ出ていないものの、蛞蝓や猫を殺す場面は、詳細を極めたものだった。「僕は猫の前にしゃがみ、カッターの刃を目一杯に突き出し、猫の両眼を狙い横一文字に切り裂いた。人間の赤ん坊のような抗れた悲鳴が耳を劈く。鳥肌が立った。もうブレーキをかけても間に合わない。猫の左眼は無事のようだったが、まともに刃が入った右眼は水風船を割ったように破裂して眼球の中の水分が飛び散り、もう瞼を開けなかった。激しく暴れる猫に引っ掻かれるのもかまわず、僕は左手で猫の首を掴み、そのまま締め上げた。猫の身体は思いのほか温かく、頸動脈が波打つ感触が掌にしっかり伝わった。足元に落ちていた10センチほどの枝切れを拾い、苦しそうに開いている猫の口に突っ込んだ。そのまま猫を持ち上げて立ち上がり、ブロック堀に猫の背中を押し付け、脇腹の傷をカッターナイフで抉った。猫は苦しそうに手足をじたばた動かし、苦悶のあまり放尿した」(同書62頁より)。あまりに凄惨な描写が続くので、このぐらいで止める。この時、Aは射精をしたことをこう記述している。猫に止めを刺す為に、ブロックを頭の上に置き、何度も踏みつけて頭蓋の砕ける音を描写した後、「ひと踏みごとに興奮が募り、ペニスの芯がハンダゴテのように発熱した。次の瞬間、熱く腫れ上がったペニスに激烈な痛みが走った。尿道から釣り針を引っこ抜いたような痛みだった。射精していた。僕はその場に蹲り、額に汗を浮かべて痛みが治まるのを待った。痛みが引くとゆっくり立ち上がり、猫の顔からそっとブロックをどけた。猫の顔は、もうそれが“猫だった”ことさえ判別できないほどグチャグチャだった」(同書63頁より)。これほどの詳細な描写を行ったAは、淳君の遺体損壊については、「この磨硝子の向こうで、僕は殺人よりも更に悍ましい行為に及んだ」としか触れていない。恐らく、編集者の要望によって“削った”と思われる。射精についての描写は、『絶歌』の特徴をなすものとも言える。それは、Aが自ら転機としたのは、本の中で“祖母の死”に置いていることである。Aにとって、どんな時でも味方で、優しく包んでくれた祖母の存在は、絶対的なものだったようだ。しかし、Aが小学5年生の時に祖母は病死した。

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その死が自分にどんな影響を与えたかを、Aはこう記述している。「眼の前にいるのは確かに僕が愛し、僕を愛してくれた祖母だった。冷たく固い、得体のしれない物体と化した、祖母だった。その口はもう二度と僕の名を呼ぶことはない。その手はもう二度と僕の頬を優しくつねってはくれない。自分の内部から何かがごっそりと削り取られたのを感じた。確かな消失感が、そこにあった。僕はこの時はっきりと悟った。“悲しみ”とは、“失う”ことなんだと」(同書43頁より)。ここで注目すべきは、祖母の死の喪失感と、その亡き祖母の部屋で知った電気按摩を用いた性の快楽である。Aは、初めて射精した時のことをこう記述している。「祖母の位牌の前に正座し、電源を入れ、振動の強さを中間に設定し、祖母の想い出と戯れるように、肩や腕や脚、頬や頭や喉に按摩器を押し当て、かつて祖母を癒したであろう心地よい振動に身を委ねた。何の気なしにペニスにも当ててみる。その時突然、身体じゅうを揺さぶっている異質の感覚を意識した。まだ包皮も剥けていないペニスが、痛みを伴いながらみるみる膨らんでくる。ペニスがそんなふうに大きくなるなんて知らなかった。僕は急に怖くなった。【中略】僕は祖母の位牌の前で、祖母の遺影に見つめられながら、祖母の愛用していた遺品で、祖母のことを想いながら、精通を経験した。僕のなかで、“性”と“死”が“罪悪感”という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった。その後も、僕は家族の眼を盗んでは、祖母の部屋でこの“冒涜の儀式”を繰り返した」(同書47~49頁より)。軈て、その自慰行為が“殺人”へと発展していくのである。逮捕後の精神鑑定によって、Aの“病巣”と事件の“原因”は、こう結論付けられている。「未分化な性衝動と攻撃性の結合により、持続的で強固なサディズムがこの事件の重要な原因である」。性衝動・攻撃性、そしてサディズム――。それは、医学的処置によって“治癒”する可能性が極めて少ないものであることを、私は専門医たちから聞いている。

淳君を標的にしたことを、Aは『絶歌』にこう書いている。「僕は、淳君が怖かった。淳君が美しければ美しいほど、純潔であればあるほど、それとは正反対な自分自身の醜さ汚らわしさを、合わせ鏡のように見せつけられている気がした。淳君が怖い。淳君に映る自分が憎い。淳君が愛おしい。傍に居てほしい。淳君の無垢な瞳が愛おしかった。でも同時に、その綺麗な瞳に映り込む醜く汚らわしい自分が、殺したいほど憎かった。淳君の姿に反射する自分自身への憎しみと恐怖。僕は、淳君に映る自分を殺したかったのではないかと思う。真っ白な淳君の中に、僕は“黒い自分”を投影していた」(同書125~126頁より)。自己陶酔しているとしか思えない表現である。『絶歌』出版による騒動で、Aはその後、どうなったのか。遺族の反発と哀しみが大きく報道され、Aの心境の変化に世間は注目した。しかし、Aは驚くべき行動に出た。出版から3ヵ月経った9月に入って突然、Aはホームページを開設し、更に有料のメールマガジンを始めたのだ(現在はアカウント停止)。それは、『存在の耐えられない透明さ』と題されたもので、こんな書き出しからスタートしていた。「おはようこざいます。元少年Aです。晩秋の朝、御目覚めいかがですか?」。そんな文言から始まったホームページは、Aの自己顕示欲を如実に示すものだった。「たくさんのメールをお寄せいただき、ありがとうございました。ホームページ上にFAQコーナーを設けようかとも思ったのですが、想像に反して真摯な内容のメールが多かったため、誰でも気軽に覗けるホームページ上ではなく、元少年Aとよりディープに、魂の触角と触角が絡み合うようなやり取りができるよう、新たに別な場所を設けることにしました。プライバシーに配慮し、一般の方に関しましては明らかにハンドルネームとわかる場合を除き頭文字表記or任意の呼び名とさせていただきました。すべてのメールにコメントできるわけではありませんので、あらかじめご了承ください。このブロマガは隔週月曜日に発行します(次回発行は10月26日です)」。このホームページでAは、様々な人間からの質問に答えている。時にユーモアを交え、時に先生が生徒を論すような口調で、相談に答えているのである。非難が殺到し、間もなく閉じられたこのホームページもまた、彼の特徴である自己陶酔と自己顕示欲を余すところなく示すものだった。

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一体、酒鬼薔薇事件とは何だったのだろう――。私は、土師淳君の父親・土師守さん(59)が1998年に出した手記『淳』(新潮文庫)の編集に携わった。長時間、土師守さんと私は様々なことを話し合った。それから17年が経った今でも連絡を取り合い、時間を見つけてはお会いしている。「淳は、Aに2度殺されました」。『絶歌』の出版を知り、絞り出すように土師さんが呟いたその一言が忘れられない。あの第2の犯行声明文に「ボクには1人の人間を二度殺す能力が備わっている」と、A自身が書いていたことを思い出したからである。土師さんは、Aが本を出版したことでわかったことについて、「(Aは)更生もしていないし、病気も治ってへんということですよ」と語った。Aは、ベストセラーになった『絶歌』によって、数千万円の印税を得たと思われる。犠牲者遺族に対して、Aは総計2億円余りの損害賠償の責任を負っている。しかし、『絶歌』出版後、Aは現在に至るも新たな賠償は一切行っていない。果たして、そんなことは許されるのだろうか。出版社からの印税は何故、差し押さえられていないのだろうか。不思議でならない。Aが犯行声明文に書いたことで、“現実”にならなかったことが1つだけある。それは、警察に逮捕されても、“吊るされる”ことは“無かった”ということだ。日本は、無惨な犠牲者が出るような凶悪犯罪に対しても、“少年”でありさえすれば実に“寛容”で、どこまでも“甘やかし”てくれる国なのである。それは、日本という国が“犯罪予備軍”の少年たちをつけ上がらせ、その為に新たな犠牲者が生まれ、“守らなければならない女性や子供”の命が危険に曝され続けていることに気付かなかったことを示している。戦後日本は、上辺だけの正義が支配する“偽善”に陥り、“真の人権”をそこまで蔑ろにしてきたのである。その渦中で起こった酒鬼薔薇事件。懲罰として“罪に向き合わせる”こと無く、腫れ物に触るように“包まれ”、そして“育まれ”てきたAによる“『絶歌』出版事件”は、必然の出来事だった。私には、それが日本の少年事件のシステムに対する現実からの“痛撃”であったと同時に、戦後日本の在り方そのものへの“逆襲”でもあったように思えてならないのである。


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