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【知られざる戦国武将の真実】(59) 鳥居元忠――三河武士の鑑と言われた家康の重鎮

20190531 10
松平家の家臣・鳥居忠吉の三男として、三河国碧海郡渡郷に生まれた鳥居元忠。忠実な徳川家臣として有名である。家康の3歳年上ということで、家康が竹千代と呼ばれていた幼少の頃から、側近の一人として近侍していた。徳川の家臣というと、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政等の徳川四天王が有名であるが、鳥居元忠は“三河武士の鑑”とまで言われるほどの家臣であった。家康も、自らが人質として今川家に身を置いていた辛い日々を共にしていた元忠だけは、特別な存在だと思っていたに違いない。家康が当主となってから、有名な戦いである姉川の戦い・三方ヶ原の戦い・長篠の戦い等でも活躍。天下人まであと少しとなった家康は、慶長5(1600)年、会津で家康に反乱を走こした上杉景勝を討伐する為に挙兵する。家康は伏見城の守りを元忠に下命。元忠は4万の兵に対し、僅か3000の兵で半年間も篭城し、時間を稼いだが、遂に元忠を炸め武将達も皆、討死することとなった。この時の元忠や家臣らが自刃した建物の血痕の残る床板が、供養の為に京都等の寺の天井に貼られており、“血天井”と言われている。このような“忠義の人”元忠であるが、主君の家康に生涯で一度だけ嘘を吐いたことがあるという。家康が馬場信春の娘を側室にしようと、元忠に探してくるように命じた。しかし、元忠はその娘を正室にしようと考えた末、家康には「見つかりませんでした」と嘘の報告をすることに。後に家康にもこの嘘はばれてしまったが、「抜け目ない男よ」と高笑いで許したという。 (編集者 子尾新)


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