【中外時評】 国連活性化への道は――新総長、大国に物申せるか

来週決まる次のアメリカ大統領がホワイトハウス入りする来年1月。ニューヨークのイーストリバーに面した国連本部ビルでは、新しい国連事務総長として元ポルトガル首相のアントニオ・グテレス氏が着任する。国連と言えば、気候変動や貧困問題への対応等で成果をあげているが、紛争や安全保障問題の解決の場としては、このところ影が薄い印象だ。米中露3大国等の立場や思惑を調整できず、シリア内戦や北朝鮮の核問題等喫緊の課題で有効な手を打てていない。グテレス氏は、国連の難民高等弁務官事務所もトップとして10年間率いたベテラン政治家だ。安全保障理事会で圧倒的支持を得て選ばれ、加盟国からの信任は厚いとされる。存在感が弱いと言われる潘基文事務総長を引き継いで発足する新体制の下、国連を活性化し、世界の懸案解決に今より役立つように強化できるだろうか。国連事務次長を長く務めた『国際文化会館』の明石康理事長は、「国連無力論はいつの時代もあった」としたうえで、事務総長をトップとする事務局が危機脱出に向け、“信頼できるアドバイザー”として果たす役割は大きいとみる。歴代の事務総長で明石氏が「一番優れたリーダーシップを発揮した」と評価するのは、2代目のダグ・ハマーショルド氏だ。スウェーデン出身の同氏は、イギリス、フランス、イスラエルがエジプトに軍事侵攻した1956年の『スエズ危機(第2次中東戦争)』に際しての機敏な行動で知られる。カナダ外務省のレスター・ボールズ・ピアソン大臣と共に練った国連初の平和維持軍案を総会に提示し、これに基づいた部隊派遣が紛争の収拾に貢献した。俳句も詠む教養人だったハマーショルド氏は、国連事務総長の役割に対する評価を高めた。1961年に出張先のアフリカで飛行機事故で亡くなり、死後にノーベル平和賞を授与されている。冷戦終結後の1992年に就任したブトロス・ブトロス=ガーリ氏(エジプト出身)も、強いリーダーだった。『国連平和維持活動(PKO)』の改革等を推進したが、アメリカとの関係が悪化して再任を阻まれた。

事務総長が如何に信念を貫こうとしても、飽く迄も「国連の主人公は加盟国」(明石氏)だ。とりわけ、米中露英仏5ヵ国の権限は強い。安保理の常任理事国として拒否権が与えられ、この内の1ヵ国でも反対すれば話は進まない。70年余りの国連の歴史で、拒否権行使の回数はロシア(前身のソビエト連邦を含む)とアメリカが圧倒的に多い。この10年でみると、殆どがロシアと中国だ。最近はシリア情勢等を巡り、ロシアが拒否権を行使するケースが目立つ。これからは、中国が国益を盾に立ちはだかる場面が増えるかもしれない。では、拒否権を廃止したほうが紛争は解決しやすいかとなると、そうとは言えない。大国が紛争の当事者だったり、特定の関係国を強く支持したりする場合、安保理の決定を不服として国連を脱退してしまえば、国連の問題解決能力は一気に低下する。拒否権は、大国を国連に繋ぎ留めておく手段になってきた面がある。国連を舞台にした国際協調でカギを握るのは、やはり第一にアメリカだ。アメリカと国連の距離は、時の政権によって揺れ動く。バラク・オバマ政権で国務長官を務めたヒラリー・クリントン氏は、国連の重要性に一定の理解があるだろうが、ドナルド・トランプ氏が次の大統領になったら予測は困難だ。国連がスエズ危機の収拾に成功した1956年は、市民の蜂起をソ連が軍事介入で鎮圧した『ハンガリー動乱』が起きた年でもある。丁度60年前の今頃だ。この時、国連は総会で非難決議を採択したが、ソ連を相手にそれ以上の行動は取れなかった。歴史の教訓を踏まえつつ、国連は、この60年の間に平和維持活動を拡充し、更に環境問題・途上国の開発・人権問題等、広範な分野で取り組みを進めてきた。制約を冷静に受け止め、乗り越えながら可能性をどう広げていくか。グテレス氏には、狭い国益を押し付けようとする大国に物申す役回りも求められる。スエズ危機と同じ年である1956年12月18日、日本は終戦から11年を経て国連加盟を果たした。外務省の重光葵大臣がこの日、国連総会で憲法の前文を引きながら、「国際社会において、名誉ある地位を占めんことを念願」すると演説している。国連とどう関わり、活性化に貢献していくか。日本の責任も重い。 (論説委員 刀祢館久雄)


⦿日本経済新聞 2016年10月30日付掲載⦿
スポンサーサイト

テーマ : 国際政治
ジャンル : 政治・経済

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR