【創価学会vs日本共産党】(19) 古今東西のスターで振り返る日本共産党94年の“茨の道”

20161031 04
俗に、「右翼には勉強しなくてもなれるが、左翼には勉強しなくてはなれない」と言われる。例えば、大正6(1917)年の『ロシア革命』において背骨となった“マルクス=レーニン主義”は、その典型だ。ロシア革命の動きを受け、日本共産党が結成されたのは、旧ソビエト連邦が国家として成立した大正11(1922)年だった。当初は、ウラジーミル・レーニンが設立した『コミンテルン(国際共産主義者のネットワーク機関)の支部であった。当時の日本政府は、国際共産主義を“危険思想”と判断し、特別高等警察等の思想警察を使って弾圧した。コミンテルンは“君主制の廃止”を唱える機関で、日本では“天皇制の廃止”となった。何故、弾圧される存在だったのかといえば、国家の転覆を本気で考える革命政党だったからだ。不穏分子の集団として、昭和3(1928)年には治安維持法違反により、日本共産党に対する一斉検挙が行われた。その後も検挙は続き、一時は壊滅状態に追い込まれる。党の再建を目指した田中清玄は、コミンテルンから武器を輸入し、官憲と銃撃戦を行う。検挙を逃れたその他の幹部は、査問によるリンチ事件で死者を出す(後年、日本共産党は「リンチではなかった」と否定する)。当時は、一旦検挙されれば獄中で転向を迫られた。そんな中で、最後まで非転向を貫いた代表的な人物が、戦後に合法化された日本共産党の骨格を作った宮本顕治である。1961年の“綱領”と“規約”は、彼が主導したものだ。そこに至る過程では、暴力革命を志向していた徳田球一等の幹部は離脱せざるを得なくなる。というのも、前衛政党(大衆を一段高いところから教え導く)を自任していた日本共産党は、脱落した仲間には厳しく、分派活動も認めず、反党分子に対しては容赦無く反撃した。いつしか、異端審問官のような“絶対的存在”となる。現在の日本共産党は武力闘争を否定するが、本質はマルクス=レーニン主義に基づいた革命政党である。革命の本質とは、内乱を起こすことも辞さず、権力闘争で勝って政権を奪取することにこそある。そういうルーツを持つ政党だからこそ、60年安保や70年安保では若者の支持を集めたのだ。元参議院議員の筆坂秀世氏は、こう指摘する。「今日、共産主義にロマンを抱くことは難しい。消費増税に反対だからといって、それだけで日本共産党に入る人はいない」。日本共産党は、中々激しい道程を歩んできたのである。


キャプチャ  2016年6月25日号掲載
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テーマ : 日本共産党
ジャンル : 政治・経済

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