【教科書に載らない経済と犯罪の危ない話】(21) 石油ビジネスへの進出を阻む業界の慣習と僅かな隙間

日本の暴力団が、先物取引で石油を学び、軈て現物を求めて海外へ進出したのは、前にも書いたように、2004年頃のことだった。筆者が石油を求めて向かったのは、マレーシアの首都・クアラルンプール。ここに、知人から紹介された国営石油会社『ペトロナス』があった。ヒジャブを被った女性に導かれ、ペトロナスツインタワーのエレべーターに乗った時は緊張していた。中東の厳格なイスラム諸国の黒い布とは違い、色鮮やかなスカーフのようなヒジャブの女性は、彫りの深いマレー系で、エキゾチックな顔立ちをしていた。「カネを稼げるだけ稼ぎ、維持できるだけ維持し、与えられるだけ与えるのは男の義務である」――。72階へ向かうエレベーターの中で、“石油王”ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニアの言葉を思い出す。19世紀半ば、ペンシルベニア州で噴出する石油が発見され、ニューヨークで弁護士をしていたジョージ・ビセルがランプ用の燃料として売り出したのが、オイルビジネスの始まりである。それまでの照明は植物油やクジラの油であったが、石油がランプの燃料となった瞬間、文明は明かりと共に大きく転換したのである。軈てロックフェラーは、石油の精製から輸送までを事業化した。これがスタンダード石油の起源であり、石油の世紀の始まりでもある。石油が文明にとって最も重要な資源となったのは、ウィンストン・チャーチルがイギリス海軍の燃料を石炭から石油に転換させた時からである。その結果、1914年に勃発した第1次世界大戦では、兵員と兵器の輸送を鉄道から自動車等、石油による内燃機関に変えたイギリスやフランスがドイツを破り、石油の圧倒的な威力を見せつけたのだ。

これで、「戦争とは、石油の備蓄と供給が勝敗を左右するのだ」と各国は気付いた。それ以後、「石油の確保こそが国家の最重要課題である」という世界の共通認識は、今も変わらない。ロックフェラーと石油の歴史を思い起こしているうちに、エレベーターは72階で音も無く止まり、扉が開いた。長い廊下は無機質なメタルが多用され、外の光を反射して明るい。軈て、女性が目指す部屋の前に立ち、ヒジャブを被った頭を少し振り、筆者に部屋へ入るよう促す。部屋は広く、筆者が入っても、デスクに座った男は立ち上がる気配は無かった。中華系のその男は50歳過ぎの小太りで、如何にも相手を見下したような態度だった。「原油が欲しいのなら、マレーシアへ来たのは間違いだ」。男が筆者に言った最初の言葉は、今も忘れない。ペトロナスは、「日本への原油販売については、大手商社を通してでしか行わない」と言うのだ。それに、「個人のブローカーが、長期間の定期的取引であるターム契約を仲介することは不可能である」とも言った。「扱うならスポットものにしろ」。不遜な態度ではあったが、男は原油取引について詳しく説明をしてくれた。「個人のブローカーが大手商社と競争するには、“価格”しかない。その為には、格安のスポットものを探すのが一番である」ということだった。「安いスポットものは、どこにあるのか?」。今思うと、恥ずかしくなるほど初歩的な質問もぶつけた。「危険なところにある」。男は真面目な顔で筆者に言った。つまり、「大手商社が手を出さない危険地帯や紛争地帯に行け」と言っているのだ。なるほど、“人の行く裏に道あり、花の山”とはそういう事なのだ。21世紀に入ると、“石油の世紀は終わったのか?”というテーマの記事を目にする機会が増えた。だが、この時の筆者は「石油の時代は未だ続く」と確信した。 (http://twitter.com/nekokumicho


キャプチャ  2016年11月1日号掲載
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