【電通の正体】(12) 「今の電通は買い被られ過ぎ」――フリージャーナリスト・田原総一朗氏インタビュー

フリージャーナリストの田原総一朗氏は著書『電通』(朝日新聞社)で、1984年のロサンゼルスオリンピック・ローマ法王の招聘・大阪万博の開催等を仕掛けてブームを生む力を、畏怖の念と共に記した。その後、電通と付き合いを重ねるうちに、電通の印象はどう変わったのか。田原氏に電通の今昔を振り返ってもらった。 (聞き手/本誌 後藤逸郎・池田正史・大堀達也)

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――執筆のきっかけは?
「東京12チャンネル(現在のテレビ東京)に勤務していた1974年に起きた原子力船“むつ”の放射能漏れ事件だ。事件後、原子力発電について取材し、筑摩書房の雑誌“展望”で連載したところ、事件を巡り原発に反対する市民運動が起きた一方、原発を推進する市民運動も起きた。調べるうち、推進運動のバックに電通がいることがわかった。このことを雑誌に書いたら、電通が東京12チャンネルに対し、『こんな連載を手掛ける人間のいるメディアにはスポンサーを出せない』と言ってきた。東京12チャンネルは困って、最終的に私に『連載を止めるか会社を辞めるか』と迫った。その為、退職の道を選んだ。この時、『いつか電通をテーマにした本を書こう』と決めた。企画を持って様々な出版社を回ると、話には応じてくれるものの、『できない』と2~3社に断られた。結局、週刊朝日で連載をさせてくれることに決まった」

――当時の電通の印象は?
「1984年の執筆当時、電通は“築地編集局”・“築地CIA”と呼ばれていた。日本のあらゆる媒体の編集局や編成局が築地、つまり電通にあると言われた時代だ。嘗てあった“第9連絡局”は政府や公共団体を担当し、その広報・宣伝活動を手伝う。単に広告事業だけでなく、任された事業には企画段階から携わっていた筈だ。面白かったのは、週刊朝日が電通に原稿を見せたということ。そのくらい影響力があった。当時、『電通にエレベーターが絶対止まらない階がある』と言われた。本当は無いのだが、そういう伝説は一杯あった。だから、逆に伝説ができると電通も過大評価され、『オリンピックでも何でも全部、電通が絡んで仕切っている』と」

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――電通に“闇の力”があるのか?
「中曽根康弘元首相とレーガン元大統領の首脳会談等、電通は政府とアメリカの交渉を仲介したこともある。9代目社長の成田豊氏は、改革開放路線に転じた中国の当時の最高指導者・鄧小平氏の相談を受け、それまで広告そのものが無かった中国の大学に広告学部を設けた。中国という大きな国に広告というビジネスや概念を持ち込んだのは電通とも言える。電通は、裏でそういう様々なことをしてきた会社だ。しかし、そうした力は段々薄れてきていると思う」

――テレビで電通の圧力はあったか?
「例えば、“サンデープロジェクト”(テレビ朝日系)は電通が代理店を務め、東京電力がメインスポンサーだった。番組で原発を取り上げることを東電と電通に伝えたら、東電がその回だけ『スポンサーを降りる』と言ってきた。つまり、『東電がスポンサーをしているから、テレビ番組で原発をテーマに取り上げることができない』というのは全くの嘘だ。番組では何度も原発を取り上げた。同じく、東電がスポンサーの“激論!クロスファイア”(BS朝日)も、福島第1原発事故が起きた翌週に東電問題を取り上げた。その回も東電はスポンサーを降りたが、番組のスポンサーから全面的に降りたのは、事故の1ヵ月くらい後だ」

――『週刊金曜日』取材班の『電通の正体』は、田原さんの奥さんが亡くなった際、葬儀委員長を電通の成田氏に頼んだエピソードを紹介し、「電通と田原氏が深い関係にある」と指摘している。
「週刊朝日の連載中に電通とやり取りするうち、信頼関係ができた。私は元々、周囲の人と喧嘩をせずに巻き込んでいく“ドロップイン”の考え方で人間関係を築いてきた。電通だけが特別ではない」

――今の電通をどう見るか?
「エネルギッシュな力が薄れてきていると思う」

――上場の影響もあるか?
「上場するということは、全てをオープンにしなければならないということだ。それを電通はわかっていなかったのではないか。上場後は直接、お金や商売にならないことをあまりしなくなっている。嘗てはフィクサー的な社員や、そういうことが好きな連中が多くいた。しかし、そんな時代はもう終わったのではないか」


キャプチャ  2016年8月23日号掲載

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