【元少年Aに告ぐ】(05) 「ニセモノの正義を見破るのがジャーナリストの仕事」――元『FOCUS』編集長・山本伊吾氏インタビュー

14歳・少年Aの顔写真が掲載された写真週刊誌『FOCUS』(新潮社・現在は休刊)が発売されたのは、1997年7月2日のことである。あれほど残虐な猟奇事件を起こした酒鬼薔薇聖斗が中学3年生だったことに日本中が驚いたが、逮捕から僅か4日後に、同誌が少年法では禁じられている“顔写真”掲載に踏み切ったことで、少年Aを巡る報道は一気にヒートアップした。本誌は2005年、事件当時、同誌の副編集長を務めていた山本伊吾氏(後に編集長)に、写真掲載の過程と意図について取材した。今回は、当時のインタビュー(『戦後ジャーナリズム事件史』掲載)の一部を再掲した上で、改めて元少年Aが昨年出版した手記について、山本氏に語って頂くことにする。 (聞き手/本誌編集部)

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“酒鬼薔薇聖斗”こと少年Aの顔写真が掲載された写真週刊誌『FOCUS』1997年7月9日号は現在、各種図書館でも“閲覧禁止”か、当該部分が削除された形で置かれていることが殆どである。まさに“現代の禁書”とも言うべき措置が取られている訳だが、実際にはインターネット上で同誌からの転載と思しき“顔写真”を、割合簡単に見つけることができる。記事は読めなくとも“写真”なら直ぐに見ることができるという状況は、当時の騒動の意味を考えると皮肉と言う他ない。「あの時、『少年Aの顔写真を掲載すべきだ』と編集部で一番強く主張したのは、私です」。そう語るのは、当時、FOCUS副編集長だった山本伊吾氏である。“禁じられた写真”はどのように掲載されたのか、改めて振り返ってみる。「写真そのものは割合、簡単に手に入りました。少年A逮捕の日の夜遅く、記者から編集部に『写真を入手した』と連絡が入った時点で、僕は当時の田島(一昌)編集長に、『この事件に関しては、顔写真も掲載する方向で検討すべきだ』という意見を伝えて、家に帰ったのです」。切断した児童の首を校門横の扉の上に置き、新聞社に脅迫状を送りつけるという猟奇事件。少年A逮捕の第一報が流れたのは、1997年6月3日(土)の20時前後。そして、「容疑者は14歳の少年」という続報が日本中を震撼させることになった。尤も、当時、現場を歩いた記者たちの証言では、少なくとも周辺一帯では、逮捕前から“少年A”の名が挙がっていたという。「Aのアルバム写真は、ある少年グループが“逮捕される前に”用意していた」と証言する記者もいる。ともあれ、写真を入手したのは逮捕当日の土曜夜。FOCUSの最終締め切りは月曜の昼過ぎだった。

「私は『掲載すべきだ』と編集長に進言しましたが、私が帰った後、デスククラスの2人の大ベテラン――私よりも大分年上の方たちですが、田島編集長に対し、『この写真は絶対に載せるべきではない』という意見を伝えたようでした。これを掲載したらどういう反応が起こるか。要するに、『大騒ぎになるぞ』ということですね」。この反対意見は、「少年法に抵触する行為だから」という理由ではなく、「この写真の掲載に踏み切った場合、FOCUSという雑誌が受けるダメージが大き過ぎる」という懸念から来るものであった。「勿論、写真を掲載したらどのような事態が巻き起こるかは、私も承知していましたよ。年齢が14歳であれば、東京法務局からの回収勧告もあり得る。しかし、それでも掲載する意味のある写真だと考えていました」。翌日、山本氏が編集部に行くと、既にゲラが上がっていた。レイアウトに組まれた少年Aの写真には“目隠し”が入っていた。「私は、『中途半端に目隠しを入れるぐらいであれば、写真は載せないほうがいい。このケースはオールオアナッシングだ』と、また編集長に主張しました。編集長は熟慮に熟慮を重ねていました。反対意見の編集幹部たちとも話し合ったようです。しかし、最後は私の意見を採ってくれたのです」。こうして、少年Aの写真から目隠しは外された。大騒動の始まりだった。田島編集長は、写真掲載の翌週号のFOCUSで、こう書いている。「少年の写真を記事中に使おうと決めたのは、締切ギリギリの月曜日、昼過ぎだった。方法としては写真に目隠しをすることも出来る。だが、それはしないことにした。写真でものごとを伝える。それなら写真を使うか使わぬか、どちらかだと考えた。少年のやったことは、少年法の枠を踏み越えている。伝えるなら、その少年の顔をキチンと伝えよう」(1997年7月16日号『“14歳少年” 禁じられた写真の呪縛』)。田島氏は編集長として、「掲載判断は自分の判断」とはっきり書いている。編集長としては当然だが、実際のところは相当な逡巡があり、寧ろ一貫して“掲載”を主張し、田島氏を説得したのは副編集長の山本氏だったようだ。「掲載に当たっては、編集部の総意を諮るというようなことはしていません。編集長を含め4~5人が意見を出し、最終的には編集長が判断するのです。写真を掲載するかしないか、田島編集長があの時、どういう考えだったのか…。私ははっきりと言葉で聞いた記憶はありませんが、迷っていたことは確かだった。掲載すべきかどうか、その狭間で気持ちは相当揺れ動いたのではないか」。

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扨て、山本氏がこれほど“掲載”を強く主張した理由は何だったのか。「私は、少年犯罪の全てについて『実名報道をするべきだ』とは全く考えていません。しかし、あの事件に関して言えば、当時の少年法の枠からは大きく食み出していた。警察に挑戦状を送りつけ、校門に切断した首を置く…。その手段の猟奇性や異常性、世間に与えた衝撃の大きさ、更に、この事件の前にもハンマーで女児を殺害する等、少々荒っぽく言えば、『これは少年法で守られるべき事件じゃない』と私は考えたんです。たとえ14歳と雖も、です。『全てを少年法で括って、名前も写真も出さないというのはおかしいじゃないか』。これが私の主張ですね。一方、反対の立場の意見は『少年法というのは法律である。その法律を守らない雑誌を売るとは何事か』という主張ですね。『お前たちが法律ではないだろう』と。確かに、FOCUSは法律でも何でもない。しかし、それに無条件に従うのではなく、監視する役目を担っているのがジャーナリズムだと思う訳です。記者クラブの弊害もあります。“お上”からの情報を横一線で垂れ流す…。これがジャーナリズム・ジャーナリストと言えるでしょうか? 彼らは『悪法でも法は法だ』と言うのでしょうが、私は『悪法は悪法である』という立場ですし、その時、敢然と打って出るのがジャーナリズムの仕事だと考えています」。この写真掲載におけるポイントは2つあった。1つは、何故“目隠しあり”では駄目なのか。もう1つは、“顔写真”は掲載しても“実名”は出さなかった理由である。山本氏は人間の顔、特に“目”にある情報量について、こう語る。「この顔写真、特にその目を見た時、私は彼の考えの底にある部分――この犯罪のかなり大きな部分を理解できたように思いました。『1枚の写真を見ただけで、その人間の内面のかなりの部分がわかる。そういうことが実際にあるのが写真の持つ怖さだ』と、私は思っています。それから、実名を出さなかった理由(写真のキャプションは“14歳中学3年生だった酒鬼薔薇聖斗”)は、『この時の顔が、この時の犯罪に繋がっているんだ』という意味なんです。顔は変わっていきますが、名前は一生残りますしね。事件の背景を理解するのに、実名は絶対に必要な条件とは言えなかった。だから報道しなかったんです」。因みに、同じ『新潮社』発行の『週刊新潮』は、少年Aの写真を目隠し入りで掲載している。しかし、少なくとも“世間”のレベルでは殆ど問題にならなかったことは、この“目隠し1本”の差が如何に大きなものかを雄弁に物語る事象であった。

扨て、“写真掲載”されることがわかった発売前日から、山本氏の当初の予想通り、大騒動が始まる。新聞社・テレビ局を中心に、書店・コンビニエンスストア・キオスク他、販売店に「FOCUSを販売するかどうか」といった取材が殺到。『神戸弁護士会』も新潮社に対し、少年法違反に抗議する旨の申入書を送った。「発売日の水曜日は、数十台あった編集部の電話が鳴りっ放しですよ。その殆どが抗議か、或いは『書店に置いていないが、どこで買えるのか? 売ってくれ』というものでした。まぁ、電話をかけるのは抗議と相場が決まっていますが…」。結局、大方の書店・キオスク・主要コンビニは販売を差し控え、販売した書店では即完売状態となった。東京法務局も動いた。発売翌日、目隠し入りで写真を掲載した週刊新潮と合わせ、両誌を回収し、再発防止の具体策を取り纏めて公表するよう、新潮社に勧告したのである。法務局が“回収”まで踏み込んだ指導を行うというのは、初の出来事だった。急遽開かれた記者会見で田島一昌編集長は、「新潮社に30年近くいるが、販売中止は初めてではないか」と話し、改めて事態の異常さがクローズアップされる。また、『日本弁護士連合会』も「少年法の精神を踏み躙るもので、如何に報道の自由を尊重するにせよ、絶対に許されるものではない」との声明を発表。新潮社を擁護する同業のマスコミ各社も、極少なかった。「回収には従いませんでした。勿論、店頭の雑誌は完売なのですから、現実的に回収の意味が無いということもありましたが、一番の理由は、『私たちは正しいと思って掲載した』ということなんです。一部の報道で『雑誌の売り上げを伸ばす為に、通常より多く印刷した』だとか、商業主義と結び付ける向きもあったのですが、そんな事実や意図は全く無かった。仮に、この号だけ完売したって、そんなものは社にとって殆ど影響は無いですから。第一、増刷などする時間的余裕などありませんでしたからね」。当時、新潮社に寄せられた“識者”の批判で多かったのは、「現行の少年法への問題提起という意図があったのなら、もっと用意周到に行うべきだった」というものである。「確かに、そうすればよかったのかもしれない。しかし、私はその後、様々なジャーナリスト・新聞記者・編集者らに、あの時のFOCUSの判断について意見を聞いて回りました。そうしたら、全く同調しないまでも、あれだけの凶悪犯の氏名や写真報道が無いことに関して疑問を感じている人は、かなりいたんですよ。また、読者からの手紙――これは飽く迄もFOCUSの読者ですけれども、圧倒的に支持する声が大きかった。世論の賛否はもっと拮抗している筈なのに、何故あれだけ一方的な論調になってしまうのだろうか。そこに欺瞞は無いのだろうか。声がでかいだけのニセモノの正義が、FOCUSを押し潰したではないか。そう思っています」。

写真を掲載した翌週、FOCUSは児童作家・灰谷健次郎氏の論文『“フォーカス”が犯した罪について』を掲載している。「例えばこういうふうに考えてみてほしい。あなたの子どもが、突然消えてしまったとする。永遠に――」と始まる文章の中で、灰谷氏は痛烈に新潮社を批判している。「一個人が、一編集部が、一出版社が、1つの出来事をとらえて、法の枠を超えていると判断する権利も権限もあるはずはない。きわめて自明のことが置き去りにされている」。この文章を発表した後、灰谷氏は新潮社から自著の版権を引き上げた。「この灰谷氏の原稿掲載に関しては、僕は反対しました。『戴せるべきではない』と。新潮社は文芸出版社ですから、作家に対し慮ったところもあったのでしょうが、ただバランスを取るようでね。何度も言うようですが、『法の枠を超えて判断することもジャーナリズムにはあり得る』というのが私の考えでした。ですから、何故我々が写真掲載に至ったかを説明する記事には賛成しました」。この事件の後、少年法を議論する機運は高まり、それは2001年4月施行の『改正少年法』へ繋がっていく。「もっと昔に遡れば、4人を射殺した永山則夫や、現行犯とはいえ浅沼委員長を襲った山口二矢等、少年犯罪であっても当時の新聞に写真も名前も出ている訳ですね。どこで現在のようになってしまったのか」。改正少年法後も、少年・少女による殺人事件は相次いでいる。また、1988年に起きた『綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件』の犯人(当時は少年)が、2004年に再び逮捕された事件では、“名ばかりの更生”という現実を突きつけられた。「あの綾瀬事件の凶悪犯である神作譲が、『少年時代に犯罪を犯していた』という過去があるという理由だけで、新聞報道では匿名になる(※産経新聞だけは実名報道)。これってどこかおかしいと、私は思う。ただ、今になって振り返ってみると、我々の主張というものは完全に封殺されている訳ではなくて、それなりに問題提起の意義を果たしてきたとは思います。最近も、週刊新潮が19歳のリンチ殺人犯の実名・写真を掲載しましたが、あの時のような凄まじい反応は起きていないですよね。これは世論の変化とも言えると思うんです。当事者であった私が言うとどうしても口幅ったくなりますが、今ある法律だって、それが果たして正しいのか。監視して、考えていくという姿勢ですね。そこについては、週刊誌なりの覚悟を持ってやってきた訳です。方法は批判されましたが、後悔はありません」。FOCUSは2001年に休刊。20年の歴史に幕を降ろした。最後の編集長であった山本氏は、こう語る。「何も我々が立派なことをやってきたとは言いません。ただ、『本音のジャーナリズムでしか物事を伝えられない、変わらないということだってある』と私は信じています。少年Aには、これから長い人生が残されていますが、今後、彼が何かしでかさないとは誰も言い切れない。その時、誰がどうそれを報道するのか。そう思いを巡らせると、『未だ、あの時の問題提起の意味は失われていない』と思いますね」。

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ここからは、改めてのインタビューである。10年前に「少年Aが今後、何かをしでかさないとは誰も言い切れない」と指摘した山本氏であるが、刑事事件こそ起こしていないものの、昨年の手記出版は、関係者や被害者遺族にとって、それに匹敵する“事件”だった。「Aの手記は読みました」と山本氏が語る。「私がAの出版の件で一番よくないと思うのは、幻冬舎の見城徹氏ですよ。どうしても出版したいのであれば、自分のところでやればよかっただけの話ですからね。それを太田出版に押し付けておいて、後から色々弁解じみたことを言うのはよくないと思います」。見城氏はAに対し、実名での出版や、遺族への事前連絡を“条件”として提示していた。「それなら、とことんAを説得して、遺族にも筋を通して、その条件に近付ける努力をすべきだった。若し、そこまで信念を持ってやるんだったら、未だ『出す意味はあったんじゃないか』と思いますけどね。このように、条件をクリアできないまま丸投げし、被害者にも印税が渡っていないというのであれば――尤も遺族はそれを受け取らないとは思いますが、Aが儲かるだけの最悪の結果になってしまったのではないか」。若し、この原稿が自分の手元に入ってきたら、山本氏であればどうしたか。「編集者としては、『どうすれば出版できるか?』という方向で考えたでしょうね。実名での出版や、被害者遺族への説明が条件となるのは、私もそう思います。しかし、それができないのであれば出さない。だから、私だったらAに『こちらの条件を飲まない限り、出版はできない』と言います。大体、33歳にもなって匿名で本を出すなど、あまりに卑怯ですからね。それから、この本は内容にも問題があります。一言で言えば、Aの“自己満足の書”にしかなっていない。読んだ後に何が残るかといえば、『また同じことをやりかねない』という懸念ですよね。たとえ前述の問題がクリアできたとしても、内容面で真に罪と向き合い、被害者の疑問や国民の疑問に答えるものになっていなければ、形にして世に問うことはできないですよ」。

Aが手記を発表した後、『週刊ポスト』(小学館)は「Aの写真と実名を公開する」として、事件直後にFOCUSが掲載したのと同じ顔写真(及び当時の名前)を掲載した。しかし、それらは既にインターネット上に幾らでも出回っている情報で、嘗てのようなハレーションは全く起きなかった。改めて、1997年に少年Aの顔写真を掲載した時の意図を、山本氏が回想する。「被害者遺族の方々も、私たちがやったことを決して好ましく思ってはいなかったでしょう。ただあの時、私は『たとえ14歳という年齢であっても、こんな残虐な事件を起こした人間が、短期間の治療なり教育なりで真面な人間に戻ることができるのだろうか?』という思いが拭えなかった。少年法の前に思考停止するのではなく、重大な事件を起こした少年Aについて『相応の報道をすることこそが公益性に繋がる』と信じて、写真を掲載したのです。その後、時代も変わりましたよね。私らが事件直後に『法の枠を超えても顔写真を掲載するんだ』と踏み込んだ時と、今公開するのでは、同じ写真を掲載するのでも意味が違うと思います。1つ言えるのは、『誰かが初めに行動を起こさなければ、おかしいと思える状況を変えることはできなかった』ということです」。Aが手記を出版した後、被害者遺族からは犯罪加害者の一方的な出版を法規制する要望書が提出された。「これは非常に難しい問題で、『一旦、法規制するとどんどん拡大解釈され、適用範囲を拡大されてしまうのではないか?』という恐れはあります。私は法規制には反対の立場を取りますが、だからこそ、著者や出版社で働く人間の良心というものが問われてくる。元々、良心の欠片も無いAという男が『出版したい』と言ってきたら、後は出版社の判断にかかってくる訳ですからね」。神戸連続児童殺傷事件は、メディアと報道の在り方にも大きな影響を与え続けた事件であったが、山本氏は「法によってジャーナリズムの枠組みが規定されるべきではない」という考えだ。「嘗て、少年の顔写真を掲載した私が“絶歌”を批判すれば、『お前だって同じような金儲け主義者だったではないか』と言う人もいるでしょう。実際、FOCUSは世間からは大きな批判を浴びましたし、私も記者会見で吊るし上げを食らいました。しかし、世間の声というものは、往々にして時の空気に流されがちです。あの時、FOCUSを批判していた人々の多くが、今はAの“絶歌”を批判している。それは全然、不思議なことではないんですね。だから、ジャーナリストはニセモノの正義を見破らなくてはいけない。私は、いつもそう思っています」。33歳になった元少年Aと、14歳少年Aの“顔写真”――。少年法とジャーナリズムの“歪み”を象徴する1枚の写真は、今も漂流を続けている。


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