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【終戦その時】(下) “最強”大和、生存僅か

20190830 06
巨大戦艦の腹に、兵士が鈴生りになってしがみついていた。一人、また一人と力尽きて落下し、飛沫を上げる渦に呑み込まれていく。「もうここで終わりか」。春の暗い海を覗き込み、死を覚悟した。昭和20(1945)年4月7日、小学校の教員から徴兵されて海軍の下士官となった西田耕吾さん(97、和歌山県紀の川市、左画像)は、戦艦『大和』の乗組員として鹿児島県坊ノ岬沖を航行していた。この前日、山口県の徳山港を出港し、作戦の説明を受けた。「これから大和は沖縄へ特攻に向かう。其々、古里の方角を向いて家族と最期の別れをせよ」。戦争だから仕方ない。腹を括った。大和は最強にして不沈と謳われていた。しかし、昭和19(1944)年10月、フィリピンのレイテ沖海戦では姉妹艦『武蔵』が撃沈され、大和も損傷した。「あかんかもしれん」と不安が頭を過った。西田さんは、右舷の高角砲発令所に配置されていた。角度や方角を計算し、敵機に照準を合わせる役割だ。鹿児島県の大隅半島を過ぎ、おにぎり2個の昼食を食べ終わった頃、「敵編隊200機!」という艦内放送が響いた。

「撃ち方始め!」。合図と同時に、「ダン、ダン、グァーン」と轟音が響いた。戦闘が始まって直ぐに、魚雷が命中した。全長263mの巨体は、魚雷による水柱が立つ度に震えた。「総員、最上甲板へ」という声を聞き、慌てて向かった時は、既に左舷は傾き始めていた。先に海に落ちた兵士は、沈みゆく艦が生み出す渦に巻かれて二度と上がってこない。しかし、もう甲板にしがみつく体力は無い。勇気を振り絞って飛び込んだ。渦に巻かれてもがくうち、息が苦しくなった。その時、爆発の振動でふいに体が浮き、海面に出た。辺りを見渡すと、重油で真っ黒になった顔が幾つも浮いていた。木片にしがみついて約2時間漂流した後、通りかかった駆逐艦『冬月』に救助された。『呉市海事歴史科学館』(広島県呉市)によると、大和の乗員3332人の内、生存者は僅か276人だった。徳山港に戻り、燃料所の設営隊で働いていた時に玉音放送を聞いた。海中での爆発が無ければ、そして駆逐艦が近くを通らなければ、ここに自分はいなかったと思った。「大和と共に一度は死んだ身。これからは人の為に生きたい。再び教壇に立ちたい」との気持ちが湧き上がってきた。戦後、教室で子供たちに戦場での体験を語った。「大和が沈んだ時、『人の命とはこんなに軽いものなのか』と思った」。60歳で定年を迎えた後も、地域の小中学校で講演を続け、子供たちは真剣な表情で聞いてくれた。その最後には、必ずこう言った。「死が当たり前になる戦争は、もう誰にも体験してほしくない」。終戦のその時、心の底から願ったことだ。「平和への願いは次世代に託した」と信じている。

                    ◇

坂田元司・後田ひろえが担当しました。


※本文由李的博多居民提供。谢谢。
キャプチャ  西部本社版2019年8月14日付掲載
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Author:George Clooney

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