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【令和時代の人生百年計画】(15) “萌える”ロマンスの条件



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私たちは人類史上、これまで誰も体験したことのない“とてつもなく豊かな時代”に生きている。先進国では生存への不安(※食ベるものが無くて餓死するかもしれない)は無くなり、性愛への肥大化した欲望だけが残った。こうして、男はポルノトピア(※ポルノのユートピア)を、女はロマントピア(※ロマンスのユートピア)を夢見るようになった――というのが前回までの話だった。ロマンスとは、ヒロインを巡って(ヒエラルキーの頂点に立つ)アルファや(第二順位の)ベータの男が争う物語だ。そして、ヒロインとアルファの男が結ばれ(情熱的なセックスをし)、ハッピーエンドに至る。ところが日本においては、ロマンスは特徴的な発展を遂げた。それが『やおい』と『宝塚歌劇団』だ。文化社会学者である東園子氏の『宝塚・やおい、愛の読み替え』(新曜社)によれば、やおいとは“女性を主な対象に男同士の恋愛的な関係を描いた創作物”で、オリジナルの要素が強く商業作品として流通するものをボーイズラブ(※BL)と分類することもある。やおいは“(物語の)ヤマなし、オチなし、イミなし”の頭文字をとった日本独自の用語で、漫画同人誌の二次創作として始まった。やおいやBLを好むのが腐女子(※婦女子の捩り)で、女性オタク文化の主流とされる。やおい愛好者が作品を評する時の基準が“萌える”だ。やおい・BLの登場は、1970年代の少年愛漫画にまで遡る。竹宮惠子の『風と木の詩』や萩尾望都の『ポーの一族』等が代表作で、本誌の読者も懐かしく思い出すだろう。

ここで興味深いのは、アメリカでも1970年代末に『スラッシュ小説』というサブカルチャーが誕生したことだ。『スタートレック』シリーズのファンの女性たちが書き始めたものとされ、“K/S”のように2つの頭文字でスラッシュを挟んだ。これは、宇宙船『U・S・Sエンタープライズ号』のカーク船長(※Kirk)と、副長でヴァルカン人と地球人の間に産まれたスポック(※Spock)のことだ。スポックは常に論理的&理性的で、感情を殆ど表に出さないが、だからこそ熱血漢のカーク船長との“男同士の友情”がシリーズの大きな魅力になった。K/Sのスラッシュ小説では、2人の友情がセックスを伴う愛情(=同性愛)へと発展していく。スラッシュ小説とやおいの構造は全く同じだ。やおいの典型のひとつが新撰組の土方歳三と沖田総司で、自らの理想が破れつつあることを覚悟した歳三と、結核で死につつある総司の友情が性愛へと発展していくことに、読者は“萌える”。日本とアメリカで独立に、それもほぼ同じ時期にやおいとスラッシュ小説が成立したのは何故だろう? それは“女の本性”に訴えるからだと私は考えている。スラッシュ小説が英語圏で、やおい(=BL)がアジア圏で急速に広がったのは、どちらもそこにロマンスを読み取ることができるからだろう(※“Yaoi”は今では英語にもなっている)。現代的なロマントピアの物語の金字塔である『風と共に去りぬ』が映画化されたのが1939年で、それ以降、小説、映画、テレビ、漫画等で大量のロマンスが制作された。1970年代になると消費社会は更に成熟し、ベタなロマンスに飽食する女性たちが現われた。文化的な感度の高い彼女たちは、ロマンスの原型を維持しつつも、より抽象度を上げた物語を求めるようになった。これが、やおいやスラッシュ小説だ。この仮説によって、宝塚というやはり日本が産んだ洗練されたサブカルチャーも説明できる。宝塚は女性のみによって構成された歌劇団で、男役と娘役に分かれて(『風と共に去りぬ』のような)ロマンスを演じる。ヒーロー(=男役)も女優であることで、ロマンスの抽象度が一段階上がっている。だが東園子氏によれば、最近の宝塚ファンは公演に疑似恋愛を求めているわけではないという。例えば、2000年に雪組で上演された『凱旋門』という演目は、ドイツから亡命した青年医師のラヴィックと失意の女優志願の娘の悲恋物語として制作されたが、ファンが熱狂したのは(男役のトップスターが演じる)ラヴィックと(男役の二番手が演じる)亡命者仲間のボリスの“男の友情”だった。物語の終盤にラヴィックが強制収容所に送られ、見送りに来たボリスと「戦争が終わったらまた会おう」と固い約束を交わして別れる場面がある。実は、この公演の直前、ボリス役の二番手の男役は組替えによって(特定の組に所属しない)専科に移ることが決まっていた。宝塚ファンは、ラヴィックとボリスの友情を、これまで2人で雪組を支えてきた男役同士の友情と重ね合わせて観ていたのだという。ここでは、男役を演じる女優同士の関係を、舞台の上の“男同士の友情”を通して読み取るという、極めて難易度の高い鑑賞態度が要求されている。そして、この抽象度の高さに“萌える”のだ。

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やおい愛好家と宝塚ファンは完全には重ならないが、だからといって全く別の存在でもない。どちらも、生身の男と女のベタな恋愛物語から離れ、抽象度を高めた二次的・三次的ロマンスに“欲情”する――。やおいや宝塚を安易に“性欲”と結び付けることはできないが、“萌える”という言葉には明らかに性の含意がある。何故、ロマンスの抽象度を上げなくてはならないのか? それは凡庸な物語に飽き飽きしたからであり、“純愛”を感じる為でもある。ヒロインが生身の男女だと、嫉妬の描写やセックスの場面等があまりに生々し過ぎて、純粋さが失われてしまうのだ。BLが美少年同士の恋愛を描くのは、ゲイが好きだからではなく、読者である女性から最も遠い存在だからだ。宝塚で女優が男役を演じるのは、生身の男よりも純粋な恋愛を表現できるからだろう。どちらも現実にはあり得ない女性の夢、即ちロマントピアの進化した姿なのだ。やおい愛好者や宝塚ファンは、男の友情に“萌える”という。男同士の絆は、女を排除したところで初めて成立する――。固い絆で結ばれていた2人の男の間に女が割り込んで友情が失われるというのが物語の定番だ。“生死を共にする男の友情”を女は手に入れることができない(とされている)。だからこそ、男同士の絆を性愛に読み替えることに、背徳的な欲望(=萌え)を感じるのではないだろうか。因みに、男の“萌え”は生身の女をアニメキャラ等の二次元に抽象化することで原理は同じだが、こちらはポルノトピアの進化型で、そこには如何なるロマンスも無い。


橘玲(たちばな・あきら) 作家。1959年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。『宝島社』の元編集者で雑誌『宝島30』2代目編集長。2006年、『永遠の旅行者』(幻冬舎)が第19回山本周五郎賞候補となる。『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)・『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス)・『朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書)等著書多数。


キャプチャ  2019年8月15日・22日号掲載
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