日本中が絶賛しているけどそこまで凄い作品ですか?――『シン・ゴジラ』は2016年No.1のトンデモ映画だ!

今年の邦画最大のヒット作『シン・ゴジラ』(東宝)。「リアル」「現実の日本を反映している」と評価されている本作だが、本当にそうであろうか? 『シン・ゴジラ』が如何に荒唐無稽な作品であるかを検証した。

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日本人ほど“空気”を読む国民はいない。空気が読めない人を“KY”と誹るように、場の空気が読めることは、基本的には美徳だ。しかし、一面では“付和雷同”ともなる。人と同じことを言っておけば、敵を作らないで済む。どこかの誰かが使った耳触りのいい理屈を借りれば、自らの考えを持たないでもOK。要は、大勢に流され易い国民なのだ。一番わかり易いのが、先日まで開催されていたリオデジャネイロオリンピック。平時はスポーツなど微塵も興味を持たない人たちが、五輪が始まった途端、覚えたての選手の名を連呼し、深夜の衛星中継を熱心に観戦。そんな中で、「ブサイクな女同士の絡み合いなんか見たくないし、金メダル取れなくて号泣されても、更にブサイクになるだけでしょ?」なんて言おうものなら、即“非国民”扱いだ。斯くも“ムード”を重んじる日本人の国民性が、今年の夏は、より一層顕著に見られた。7月29日に公開された映画『シン・ゴジラ』の大ヒット。そして、同作への大絶賛だ。「シン・ゴジラ、ヤバい!」「流石、庵野秀明!!」「ゴジラシリーズで最高傑作!!!」。芸能・芸術の好みは人其々で、評価も賛否割れて然るべき。それなのに、巷から聞こえてくるのは絶賛ばかり。「面白い」と言っておかないと村八分にされてしまいそうなムードだ。このような空気が作られていく過程では、芸能人・著名人の発言が大きな影響力を持つ。「本当に面白い!」(伊集院光)、「震、心、深、新、“シン・ゴジラ”傑作でした」(つるの剛士)、「(監督の庵野秀明へ)やっぱり、あなたは天才です!」(東野幸治)。

オリンピックの話ではないが、日頃は映画のことなど一切口にしない者まで、瞳孔開き気味に「しんごじら、しんごじら」と言い出す始末。大手広告代理店を介して、芸能界お得意の“ステマ”が発動しているのか? そうでなければ、新興宗教の読経を聞かされているようで、全く気味が悪い。『ダウンタウン』の松本人志も“絶賛派”の1人。自身がメインコメンテーターを務める『ワイドナショー』(フジテレビ系)でも、「『初めて、ゴジラを主役にした映画だなぁ』と思った。素晴らしかったですねぇ」とベタ褒め。相変わらずの的外れっぷりは兎も角として、取り敢えずお気に入りの様子だ。MCの東野幸治も含めて『シン・ゴジラ』を持ち上げまくる中、元サッカー日本代表の前園真聖の意見が秀逸だった。「ゴジラなんて、この世に存在しないじゃないですか」。身も蓋も無い言葉に、「そういう人には、まさに“シン・ゴジラ”はお勧め。『本当にいるんじゃないか?』って」(松本)、「ゴジラ以外がリアリティーあるから、『ゴジラの存在が本当にいるんじゃないか?』って思うんですよ」(東野)と力説する2人。それにも、半笑いで「いや…でも、いないっすよね」と前園。いいぞ、ゾノ! 現役時代を彷彿とさせるナイスシュート! 最近では“ご意見番”的な顔を持つ松本人志のご託宣にも、決して流されない“勇者”前園。これに対し、その日のコメンテーターたちは「(前園さんは)映画とか観ないんだね」「映画に興味無いんですかねぇ」とバッサリ。まさに、この言葉と態度こそ、今、『シン・ゴジラ』周辺に蔓延する“ムード”そのものだ。「“シン・ゴジラ”を面白いと思えない者は映画をわかっていない!」と。「日本の怪獣映画の最高傑作“シン・ゴジラ”を観ない者は非国民である」と! 実際、『シン・ゴジラ』は国民的とも言える大ヒット映画となっている。芸能人・著名人たちの絶賛コメントも手伝って、公開以来、入場者は後を絶たず。今月初めの週末には、遂に興行収入60億円超え。小栗旬主演の正月映画『信長協奏曲』(FILM LLP・東宝)が46億円で今年最大のヒットと見られていたが、その記録をあっさりと塗り替えた。名立たる有名人が褒め称え、興行成績でも大成功。『シン・ゴジラ』のヒットは、“空気”でも“ムード”でもないのか?

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これだけ絶賛一色の中でも、酷評をぶつける“捻くれ者”はいる。先ずは、漫画家の小林よしのり氏。「どんな感想があってもいいのだ。正しい感想なんかない」と前置きしつつ、「官僚vsゴジラの構図が感情移入できない」「(内容が)政治的すぎる」「あんな姿の芋虫がゴジラになってはいけない。【中略】もしハリウッドがやったらボロクソに文句言ったはずである」「あんな無敵の光線が出るようになってもいけない。どんどんハイパーになっていったら、いずれ翼が生えて飛ぶこともアリになってしまう」「多国籍軍の核攻撃という緊迫感が全然伝わらない」「大人向けの映画になりすぎていて、新たな子供のファンを増やせない」等々、9項目に分けて個人的な批評を展開している。小林氏の批判的感想は、どれも正論だ。正論過ぎてつまらないくらい。しかも文末では、「一人、一人、別々の感想があってよい」と念押ししている。それでも、一部の絶賛派にとっては許容できない意見だったらしく、当該ブログや小林氏のホームページがアクセス不能に陥るサイバー攻撃を受けたのだとか。いやはや、狂信者の攻撃性というのは恐ろしいものだ。元『週刊文春』編集長の花田紀凱氏は、「これではゴジラがあまりにもかわいそうだ。最新兵器を駆使して、寄ってたかってゴジラを殺すだけの映画ではないか」と批判。また、絶賛派が繰り広げがちな評論にも異を唱えている。「ゴジラに何のドラマもない、と言ったら、いやあれは大災害を表徴しているのだ。庵野秀明監督は東北大震災や原発事故を頭において、その時、政治がどう動くか、政府がどう対処するかを克明に、かつリアルに描いている傑作だと反論されてしまった」。花田氏が反論として聞かされた“東北大震災”やら“原発事故”やら“政府の対処”といった解説は、概ね正しい。映画の冒頭、川を遡上して東京都心へと進む第1形態のゴジラ。その後、一旦は東京湾へと下がり、鎌倉の海岸から再度上陸し、進路上の町並みを破壊し尽くしていくゴジラは、東日本大震災で起きた津波の暗喩であることは間違いない。更に、放射線を撤き散らしながら都心へと進み、最後は“凍結”という形で一応の“停止”をさせられる姿にも、東京電力福島第1原発を思わずにはいられない。“暗喩”と呼ぶのも憚られるぐらいのストレートな表現だ。そんな正しき解説に、花田氏は「それなら、相手は何もゴジラでなくたっていいではないか。台風でも大地震でもいい、その時の政治、その時の政府の対応ぶりを描けばいいのだ」と返している。これまた、極めて正論だ。

絶賛派たちの多くは、「ゴジラという未曾有の事態に対し、日本政府がどのように動くのか、リアリティーを持って描かれている」と褒め称える。先の松本人志は、「ゴジラが主役」と的外れなことを口にしていたが、花田氏の言う通りに、『シン・ゴジラ』ではゴジラが主役にはなっていないのだ。絶賛の多くも、「官僚のやり取りのリアルさ」「高圧縮の情報量」「豊富な伏線やオマージュ」等、“ゴジラ”とは無関係なものばかり。官僚たちによる会議や、日米安保を背景とした政治的綱引きをリアルに描くだけならば、ゴジラを態々引っ張り出す必要は無い。もっと言うなら、怪獣映画である必要すらない。「ただ単にゴジラをなぶり殺すだけなら、ゴジラを出してほしくなかった」という花川氏の憤りも当然だ。継り返しになるが、映画への評価など賛否あるのが当然だ。「“シン・ゴジラ”が面白い? いやぁ、クソつまらない駄作でしょ」と抗弁するつもりはない。ただ、小林氏や花田氏が指摘するように、ツッコミどころが満載で、真剣に見るほど“シリアスなコメディー映画”に見えてくるのも事実だ。先ず、キャストの多さに驚かされる。というより、ウンザリさせられる。総勢328名。どういった狙いでこれだけのキャストを詰め込んだのかわからないが、それなりに名の知れた役者やタレントが一言喋って出番終了という扱いも多数。泥だらけになって避難するカップルの女性が、実は元『AKB48』の前田敦子だったというのも、スタッフロールに名前を見つけて知ったぐらいだ。ウツボのバケモノのような姿で多摩川河口に現れた巨大生物が、数段階の形態変化を経て“あのゴジラ”になっていくのが、本作の見どころの1つだ。ギョロ目でウネウネと体を揺らしながら川を遡上する姿は非常に不気味で、エラ付近から小さな手が生え、2足歩行の形態へと変わるシーン等は、「ここから、どうやって“あのゴジラ”になるのか?」と興奮を覚えた。しかし、一旦海へと帰った“未完成ゴジラ”は、知らぬ間に“完成ゴジラ”に進化し、あっさりと現れてしまった。いやいやいや! その形態変化していく様こそ、過去のゴジラとの最大の違いでしょ? 何故、そこを飛ばす! しかも、2倍の大きさになって現れた巨大生物を、登場人物たちは「大きさが2倍になっている」とすんなり受け入れてしまう。いやいやいや! 見た目が全然違うし、大きさが2倍にもなれば、「別の巨大生物では?」という発想が普通でしょ! 本作『シン・ゴジラ』への絶賛には、“リアリティー”という言葉が頻繁に使われる。それは、緊急事態に対する官僚の行動であったり、会議室の構造であったり、自衛隊の無線交信であったり…。全て、「現実にあるものを、どれだけ現実に近く再現するか?」という意味でのリアリティーだ。そんなものが重要ですか? リアルに再現されていたとして、果たしてそれが褒められるべきものですか? 現実にあるものを忠実に再現することが大事なら、初めからドキュメントでも見ていればいい。重要なのは、虚構の世界をどれだけ現実味を持って描くことができるか。それが、フィクション作品における“リアリティー”というものだ。

20161116 02
だが『シン・ゴジラ』は、実在するものはリアルに描き、実在しないものは矛盾ばかり。そんなギッタンバッコンの繰り返し故、シリアスなコメディーを見ている気分にさせられてしまう。その最たる例が、東京に再上陸したゴジラを“ヤシオリ作戦”で追い込んでいく流れだ。ヤシオリ作戦とは、スサノオノミコトがヤマタノオロチに飲ませて退治した“八塩折の酒”に由来。庵野秀明の代表作『新世紀エヴァンゲリオン』(GAINAX・カラー)における“ヤシマ作戦”のセルフオマージュでもある。体内に原子炉を持つゴジラの自己冷却機能を停止させる為、血液凝固剤を経口投与するというのが作戦の概要だ。…えっ? ちょっと待ってほしい。この時のゴジラは、口・尻尾・背鰭から放射熱線を出す、文字通りの無敵状態に進化している。そんなものの口に、お薬を投与するのが退治法? それだけで充分に荒唐無稽だが、投与方法が更にとんでもない。ゴジラの足元に電車を衝突させると共に、背中に高層ビルを倒壊させ、ゴロンと転倒させる。横になってお口をパカーッと開けている隙に、クレーン車で近寄って血液凝固剤を口からチュ~ッと…って、できるかい! 会議やら無線やらは矢鱈とマニアックに再現しておきながら、怪獣映画のハイライトとも言える対決&退治シーンでは、お飯事かお医者さんごっこかという幼稚さ。この場面こそ、充分な説得力を持って描き切るのがリアリティーというものではないのか。因みに、前述の花田氏は、石原さとみ演じる“カヨコ・アン・パターソン大統領特使”という登場人物像にも非リアルを感じている。元防衛大臣の石破茂氏に至っては、「なぜゴジラの襲来に対して自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解ができない。“シン・ゴジラ”は、全然リアルではない」と、根底から覆す指摘をしている。リアリティーの追求を謳いながら、都合が悪くなると“虚構”や“アニメ的手法”といった“様式の小部屋”に逃げ込んで誤魔化す。本当に追求すべき部分での“リアリティーの欠如”が、『シン・ゴジラ』を世紀のトンデモ映画たらしめている。「台詞が早口過ぎ」「説明テロップが多過ぎ」「小ネタを詰め込み過ぎ」「エヴァに似過ぎ」等、数々の“過ぎる”も欠点に挙げられるが、リアルに描くことを諦めた虚作には、指摘するだけ無駄な話か?


キャプチャ  2016年11月号掲載

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テーマ : 特撮・SF・ファンタジー映画
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