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【ときめきは前触れもなく】(01) 心が動くという奇跡

“ときめきは 前ぶれもなく 冬薔薇”。5年前に作った拙句である。もう二度と起こらないだろうと思っていたある感情が頭を擡げてきたことに気付いて、戸惑っていた。3.11の起きた年から右足首、次の年に左足首、その明くる年に左手首と、3年連続で“首”を骨折した後だった。1年毎のあまりの間の良さに落ち込むどころか、笑ってしまった。足首は単純でギプスが外れると直ぐ元に戻ったが、手首は神経が細かく張り巡らされているので、1年近くかかった。手術を勧められたのに、忙しいことを理由に、リハビリだけで治すことにしたからだ。その間に思いがけぬ出会いがあった。治療中に「おや?」ということが何度かあった。私が思っていることをさり気なく言い当てられる。しかも、心の奥にしまっておいた筈のことを。何度か「そんな筈はない」と首を振る。何故わかるのだろう? 結論として納得した一つは、“触れる”ということだった。痛んだ手首に触れることで通じるものがあったのだ。今はクリニックでも大病院でも、医者は患者に触れることは殆どない。脈も測らず、手も握らず、況して体に触れることはない。ひたすらその日は机の上のデータ画面に釘付けである。

検査結果の数字を見ながら、患者の顔を見ることもなく、様々な宣告がなされる。「先生! 私の目を見てよ」と何度言いたくなったことか。「リハビリだけで完全に元通りになるかどうかは五分五分ですね」。教えられた通りに自分で出来る宿題をこなすことも大事だが、手首を他人の手に任せている時の心地良さ。触れ合いの中から生まれる感情。残念ながら、健康保険での治療は20分以内と決められていて、あっという間に刻が過ぎる。「整形外科ぐらい様々な診断がされる所はありません。私のもその一つだと思って聞いて下さい」。押し付けがましくない言葉も頷けた。そんな中でふと気付いたときめき。何の前触れもなくやってきた。まだまだ捨てたもんじゃない。冬の名残りの薔薇は、朽ちていく中だけに、一層美しい。“いまこの庭に 薔薇の花一輪 くれなゐふかく咲かんとす 彼方には 昨日の色のさみしき海 また此方には 枯枝の高きにいこふ冬の鳥 こはここに何を夢みる薔薇の花 いまこの庭に 薔薇の花一輪 くれなゐふかく咲かんとす”。高校生の時、耳から憶えた三好達治の詩が浮かんできた。あの頃の純粋な想いに顔赤らめる。私の中のときめきをこっそり育てながら、ときめきを食べて生きてゆきたい。


下重暁子(しもじゅう・あきこ) 作家・評論家・エッセイスト。1936年、栃木県生まれ。早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業後、『NHK』に入局。名古屋放送局や首都圏放送センターを経て、1968年からフリーに。『家族という病』(幻冬舎新書)・『若者よ、猛省しなさい』(集英社新書)・『夫婦という他人』(講談社+α新書)等著書多数。


キャプチャ  2019年11月8日号掲載
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