山口県周南市連続殺人放火事件、“現代の八つ墓村”で村八分は本当にあったのか?

2013年7月、山口県周南市で5人を殺害し、住宅2軒に火を放ったとして、殺人と非現住建造物等放火の罪に問われていた保見光成被告に対し、昨年7月、山口地裁は求刑通り、死刑を言い渡した(※被告側は即日控訴)。この限界集落で起きた未明の殺人事件は、「村八分が事件の背景にあった」という噂から“現代の八つ墓村事件”とも呼ばれている。山深い平和な集落で、一体その夜、何があったのか――。 (取材・文・写真/ノンフィクションライター 八木澤高明)

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“現代の八つ墓村”とも言われた連続殺人事件が発生したのは、2013年7月。山口県周南市金峰地区郷集落という、8世帯14人が暮らす山間の限界集落が事件の舞台だった。犯人の保見光成(65)は、中学卒業と同時に故郷を離れ、成人後は神川県川崎市内で左官業を営んでいた。川崎で暮らしていた当時、好きな麻雀牌の“中”から、本名の光成ではなく“保見中”と名乗っていたほどのギャンブル狂。人付き合いも悪くなく、気さくな性格だったという。そして、事件を起こす15年ほど前に、故郷である周南市金峰に、両親の介護をする為に戻って来た。44歳で村へと帰って来た保見は、当初は村の集まりにも顔を出し、高齢者が多い村の中で農作業を手伝い、村おこしも企画する等、積極的に村人たちと関わっていたという。ところが、両親が亡くなった頃を境にして、村での立ち位置に異変が起こる。次第に、村人たちとの間にトラブルを抱えるようになっていったのだ。これにより、集落の中で孤立感を深めていき、殆ど村八分のような状態になった保見は、2013年7月21日21時、自宅から西へ50mほど離れた貞森さん宅で、同家の誠さん(当時71)と喜代子さん(当時72歳)を殺害して、家に放火。時を同じくして、隣に暮らしていた山本ミヤ子さん(当時79)宅にも侵入し、殺害後に火を付けた。その翌日には、自宅の目の前を流れる川の対岸にある石村さん・河村さん宅へ向かい、同様に石村文人さん(当時80)・河村聡子さん(当時73)を鈍器のようなもので頭部を殴り、殺害したのだった。事件発生から約5日後の7月27日、保見は郷集落の人里離れた山中で、上半身裸・下着姿でいるところを警察に拘束された。当時の報道によると、「事件は、集落の中での村八分によって引き起こされた」という見方がされた。まさにそれは、今から約80年前の1938年、現在の岡山県津山市に暮らす結核を患った1人の青年が、山間部の村々では一般的だった“夜這い”の風習の仲間外れにされたことに腹を立て、集落の家々を回って村人を殺害した『津山30人殺し事件』を彷彿とさせるに充分だった(この津山事件が、作家・横溝正史の小説『八つ墓村』のモデルになっている)。殺害された人数に違いはあるものの、「狭い集落の中で、私怨を元に事件を起こす」という構造は何ら違いはない。間違いなく、ニュースを見た人々に悍ましいイメージを植え付けたのだった。果たして、事件には“八つ墓村”宛らのおどろおどろしい背景は存在するのだろうか? 事件から2年以上の月日が経ってはいるが、筆者は事件の真相を探るべく、山口県周南市金峰にある郷集落へと向かった。

山口宇部空港から周南市金峰へ、中国自動車道の鹿野インターチェンジで車を下りて、一般道を走ると、直ぐに道は九十九折の山道へと入った。道路脇の谷に目をやると、放棄された廃田や崩れてしまった茅葺き屋根の家等、限界集落どころではなく、崩壊した集落の無残な姿が容赦なく目に飛び込んできた。30分ほど、日本社会の末路とも言うべき姿を目にしながら走っただろうか。途中、1台の車とすれ違っただけで、周南市の金峰地区郷集落へと入った。集落の入り口にあったのが、保見が暮らした家だった。保見の家は白壁で覆われ、古い日本家屋しかない集落の中では異彩を放っていた。土臭い集落の中に、どことなく都会の匂いを漂わせてすらいた。ただ、その姿は、土着の人々が暮らす集落で独り浮いていたという保見の姿と重なって見えなくもなかった。家の入り口には、警察によって張られた黄色いテープが未だにそのままになっていて、保見が植え付けた首の無い女性のマネキンが、家とは反対の道路の方角を向いて立っている。保見の家の隣は殺害された山本さんの家で、現在は更地となっていた。道路標識のポールの根元に花が備えられていたが、年月の経過によって茶色く枯れていた。更に歩いていくと、貞盛さんの家があった場所に着いた。焼け焦げた材木が、今も家のあった場所にそのままになっていた。そこから保見の家の方角に戻り、更に5分ほど歩いただろうか。川沿いに建つ石村さんの家に着いた。当然だが、人の姿は無い。集落に入ってから、人の姿を見ることは無く、川の潺の音だけが響いてくる。河村さんの家へと向かっていたら、川沿いの畑に1人の男性の姿があった。集落に入って、初めて見る人の姿だった。道路端にある幅3mほどの狭い畑には赤い唐辛子が植えられていて、男性は唐辛子を収穫しているようだった。筆者は「こんにちは」と挨拶をして、話のきっかけに「唐辛子を収穫しているんですか?」と声をかけると、男性は潺の音に消え入りそうな声でこう言った。「最近はイノシシや猿がようけ出てきて食ってしまうから、真面な野菜は植えておけんのよ。ヤツらも流石にこればかりは食わんのじゃ」。それこそ、何百人と筆者のような取材者が訪ねてきて、男性も筆者が何者かとっくに気が付いているだろうが、取り敢えず筆者は「取材に来ました」と告げ、保見についてどう思うのか尋ねてみた。「もうえぇじゃろ。何も話すことは無いんだよ」。事件のことに触れると、益々小さな声で言った。それでもしつこく食い下がっていると、男性がぽつりと洩らした。「嫁さんが殺されたんだよ」。男性は、殺害された河村聡子さんの夫だった。「事件が起きて、『加害者が村八分にされておって事件を起こした』とか、皆が好き勝手なことを書いているだろう。事件を起こした人間の肩を持ち過ぎなんだよぉ。『村の仕事を人一倍手伝った』なんて書いてあるけど、誰ともそんな付き合いはしておらんよ。あそこの家は土地も持っておらんかったし、農作業なんてしとらん。抑々、あそこのオヤジというのが、ここから少し離れた水上というところから出てきて、真面に仕事をしない“のうで”じゃった。子供はようけおったから食うに困って、人んところの米を盗んだりして、碌なもんじゃなかったんだよ」。

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“のうで”とは、この地方の方言で“怠け者”を意味する。保見一家は、水上という集落から郷集落へとやって来たものの、一部の村人との間にトラブルが発生していたのだった。保見一家は、集落の中では新参者であったのに対し、亡くなった貞盛さんや河村さんは代々、この集落で暮らしてきた家系である。詳しく話を聞いていくと、保見の父親は近隣の村から竹細工を集めて、余所の村に売りに行くブローカーのような仕事をしていたという。筆者は、保見一家が元々暮らしていたという水上集落を訪ねてみることにした。「もう、あそこには誰も住んでいませんし、道も無いですよ。集落が無くなったのは、もう40年か50年くらい前のことじゃないですかね」。郷集落から車で5分ほど走ると、1軒の民家があり、60代の男性が暮らしていた。そこの家の裏側に、水上へと繋がる道があったという。今では誰も通う者はおらず、集落はおろか、道すらも草木で覆われてしまっているのだった。家の前には、こんもりとした小山があり、そこを指差して男性が言った。「あの山は亀石と言って、『平家の落人がこの場所まで逃れてきて休んだ』という伝承があるんです」。ここ金峰地区周辺には平家の落人伝説があり、「保見一族もその可能性があるのでは?」と思い、平家伝説について尋ねてみたところ、そんな答えが返ってきた。男性によると、水上の集落は山の上にあり、竹細工を生業としていた。古来から竹細工は、大和朝廷に服属した鹿児島の薩摩隼人や“サンカ”等が代々続けてきた側面もあり、田畑を持つ常民たちからは賎業視されてきた。水上集落の人々は里の人々から差別を受け、その鬱屈も事件に繋がった可能性はなかったか。金峰地区で取材を続けていくと、奥畑という集落で岡幸生さんという81歳の男性と出会った。集落には岡さんと、その隣の家に女性が住んでいるだけで、僅か2人しか村人はいないという。

「昔は300人が住んでいて賑やかだったんだが、本当に寂しくなってしまったよ」。岡さんは、懐かしむように口を開いた。「保見のお父さんというのは酒飲みで、うちが未だ商店を経営していた頃、よく酒を届けたんだよ。事件を起こした息子は、通りがかると『おーっ』と挨拶をしてくれる気のいい男だった。村おこしも『積極的にやりたい』と言っていたが、ここに住んでいるのは老人ばかりだろ? 今更、『何かやろう』という気にはならないんだよ。それに、余所から帰ってきて色々言われても、村の人からしてみれば『何を言ってんだ?』となってしまってな。それで反感を買ったことはあったかもしれんな」。保見一族が暮らしていた水上集落に関して尋ねてみると、岡さんは「小さい時に一度訪ねたことがあった」と証言した。「あそこは平家の落人の部落だったんだよ。うちの家は1200年前からここに住んでいるが、保見一族は800年ぐらい前に水上に住み着いている筈だよ。段々と人が住まないようになって、集客は無くなってしまったんだ」。平家の落人・竹細工の職人ということで、他の村との間に差別はあったのだろうか? 「そんなことは無かった。皆、仲良く暮らしていたんだよ。水上には保見姓が多くてな。戦後になってプラスチックの製品が出回るようになると、竹細工で食えなくなって山を下りて来たんだよ。金峰に行った者や、奥畑に来た者もいる。中には村会議員を務めた立派な人もいたんだよ」。岡さんは、差別に関してはきっぱりと否定した。保見氏とは平家の落人であり、生業が不振となると、近郷の集落へと下りてきて、新たな生活を始めた一族だったのだ。郷集落の人間から、保見の父親が怠け者と見られたのは、生業を失い、新たな仕事を中々見つけることができなかったことが背景にあったのではないか。村に流れてきて、落ち武者が村人たちに騙されて落命したことから、400年に亘って呪われることになる“八つ墓村”。この保見光成が起こした事件が“現代の八つ墓村”と呼ばれた背景には、400年ならぬ800年の時を超えた因縁があったのである。ただ、土俗的な匂いが濃厚に漂ってくるこの村は、今や数えるほどしか村人がいない状況の中で、何れは消えてしまう運命にあるのだろう。言ってみれば、“最後の八つ墓村”なのである――。


キャプチャ  第1号掲載

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