【中外時評】 新テスト記述式の迷宮――高大接続の理念どこに

「どうなる新テスト」「新テストに異論噴出」――大学入試改革を巡る、こんな見出しの記事を彼是書いたのを覚えている。思えば1986年、丁度30年前の騒動である。今、“新テスト”と言えば、『大学入試センター試験』に代わる新たな共通テストのことだ。マークシート式の試験だけでなく、受験生に考えさせ、書かせ、それにより深い学力をみる“記述式”問題をどう設定するかが、議論の大きな焦点になっている。しかし実は、知識偏重だと槍玉に挙げられる現行のセンター試験も、構想段階では“新テスト”と呼ばれていた。国立大学の共通1次試験を改革するのは大事業だったのだ。だから、現在の騒ぎにはついデジャブ(既視感)を覚えてしまうのだが、今度の混迷は往時の比ではなかろう。この欄では今年初めにも、記述式ありきで進む議論に疑問を呈した。しかし、その後も関係者は難物にほとほと手を焼いているようである。「記述式は採点に時間がかかるから」と、マークシート式試験と別日程で実施する案は、「流石に受験生に負担が重過ぎる」とあって、沙汰やみになった。それで浮上したアイデアが、「採点は各大学が受け持つ」というやり方だ。多くの大学が納得するなら局面が開けそうだったが、小規模校や文系学部を持たない国立大学から「待った」がかかった。私立大学サイドも反対姿勢を強めた。答案を採点する態勢がとても整わないのが実情らしい。「ならば」と文部科学省が打ち出し、今、『国立大学協会』等との間で調整に躍起なのが、国語の記述式問題を2種類作る案である。難易度が比較的高く、書かせる文字数が80字以上の“パターン(1)”と、それより易しくて文字数も40~80字の“パターン(2)”を用意し、各大学・学部はどちらかを受験生に指定する。(1)の採点は各大学に委ねるが、(2)は入試センターが民間委託で対応する。何ともややこしい仕掛けだが、そこまでしてでも文科省は共通テストで記述式を導入したいのだろう。「お手軽なパターン(2)も用意するから、私立大学も含めた多くの大学に使ってほしい」という訳だ。

しかし、この構想もハードルが高い。夥しい数に上るパターン(2)の答案を、民間委託できちんと採点できるかどうか。先ず、公平性に疑問が残る。それより何より、40~80字で本当に記述式と言えるのだろうか。40字と言えば、この記事のたった約3行の分量である。「まさに生みの苦しみ」「来春までに何とか形を作る」。文科省幹部はこう強調して止まないが、新テストが入り込んだ迷宮は深いと言わざるを得ない。元々、新しい共通テスト創設の機運は、大学の大衆化により、入試が高校段階の学力把握機能を失っている状況への危機感に根差していた。「高校と大学の接続(高大接続)を旧来の入試に頼るのではなく、高校教育の中での学力達成度を測るテストに依拠しよう」という発想である。そうした改革案作りに早くから携わっていた北星学園大学の佐々木隆生教授は、昨今の混乱について「まるで“食べられない料理”を“作れないレシピ”で作ろうとしているようだ」と嘆く。「『共通テストに記述式を盛り込みたい』という夢を描いたのはいいが、現実には行き詰まっている。このまま実施したら様々な“犠牲者”が出ます。もう一度、じっくり考え直すしかないでしょう」。佐々木教授のような指摘は、大学界で少数派ではない。それでも何故だか止まらない記述式である。いざ実施となって入試センターが問題を提供しても、個々の大学がソッポを向く可能性だってあろう。予て「水準の高い記述式を個別試験で出している」と自負する有力校が利用しない可能性もある。高大接続改革の理念が、どんどんずれていくように見える。「新テストの目的は、高校段階での学力達成度把握だ」と再確認すべきではないのか。その意味では、改革論議の中で置き去りになっている“高校基礎学力テスト”のほうが、当初の狙いに近いのではないか。このテストを含めた一体的な議論に回帰できないものだろうか。30年前の話に戻れば、かの新テストは土壇場で導入が1年延期となった。「準備が間に合わない」と彼方此方で悲鳴が上がったのだ。今回に比べても当初、スケジュールに無理はあったが、当時の文部省や政治家が現場の声に敏感だったことだけは確かである。 (論説副委員長 大島三緒)


⦿日本経済新聞 2016年11月27日付掲載⦿
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