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【輝け!世界の日本人】(02) 極寒ロシア、幸せ一丁!

20200211 02
異なる環境下で得られる食材を、培った技術で生かす。万並大介さん(54、右画像左、撮影/田村雄)と横田清一さん(43)は、ロシアとアメリカで其々、日本の食文化を伝えている。訪れる客は、分厚いコートに目元まで覆う毛皮の帽子を被って、やって来る。万並さんが厨房に立つ店は、ロシア極東のヤクーツクにある。冬は氷点下40℃にもなる厳寒の地だ。腕を振るうのは、寿司でも天ぷらでもない、ラーメン。鶏ガラと豚骨がベースのスープを啜り、寒さで強張った顔が上気していくのを見て、万並さんは「少しでも幸せを感じてくれていたらいいな」と思う。料理人としての万並さんの振り出しは、出身地の大阪だ。高校を出て製菓の専門学校で学び、ホテルやレストランで働いているうち、「菓子の本場で学びたい」との思いが強まった。25歳の頃にパリへと乗り込んだ。有名菓子店で修業後、ベルサイユに知人と共同で日本食レストランを出したが、バブル景気の崩壊で日本人駐在員が減った影響もあり、1年経たずに店を畳んだ。それからは世界を旅する料理人となった。フランスのケータリング大手の誘いで、日本企業がプラント建設に参入していたカタールに派遣されたのを手始めに、アルジェリアでも約2年を過ごした。気温50℃を超すサハラ砂漠に送り込まれた作業員たちの楽しみは、食べることだった。古里の家庭の味を出すと喜んでくれた。欧州や中国、東南アジアの料理を独学で習得した。

ロシアに来たのは2004年。サハリン沖の液化天然ガス開発現場だった。ロシア人のオリガさん(45)との結婚を機に、サハリン州の州都・ユジノサハリンスクに腰を落ち着け、ケーキの店を開いた。ヤクーツクのラーメン店は、宮城県の親会社が経営する。万並さんは請われて店長となり、昨年春から妻子をサハリンに置いて単身赴任している。ヤクーツクの川魚をニシンの南蛮漬け風にアレンジした一品等が評判を呼ぶが、食材店をくまなく歩き回って実現させた味だ。親会社代表の丹野浩行さん(47)は、「住む人の味覚に合わせた料理を作れる柔軟性がある」と万並さんに信頼を寄せる。ヤクーツクの1月は、寒さが最も厳しい時期だ。「灼熱の砂漠にいたと思ったら、今度は氷の世界。人生は面白いものだ」。過酷な環境を楽しんでもいる。横田さんは、富山県高岡市で約150年続く魚卸業者の7代目だ。過疎や少子高齢化で細っていく地元以外にも活路を見い出そうと、2011年にアメリカ進出を決めた。「自分自身の腕試しをしてみたかった」という理由もある。高校卒業後、フロリダ州への留学経験があり、卸業者の息子として、漁港のある都市を見て回っていた。ロサンゼルスを選んだのは、富山で慣れ親しんだのと同じ魚が揚がっていたからだ。イエローテールと呼ばれるブリだ。「ブリさえあれば何とかなる」と意気込んで乗り込んだものの、手続きがわからず、会社設立までに半年かかった。2013年3月、漸く富山産のブリの空輸開始にこぎ着けたが、販路は未開拓。魚の入った発泡スチロールを抱え、1日10時間、グルメサイトで見つけたレストランに飛び込んだ。「手に取ってもらえば良さがわかってもらえる」。そんな自信が、無鉄砲な営業を支えた。評判は次第にロスのシェフたちの間で広がり、取引先は約40店舗に増えた。肉食中心のアメリカで魚が広く食されるようになったのは、精々10年程度と言われるが、消費者の舌は肥え、品質への要求は高まりつつある。アメリカ人シェフの一人は、「多くの知識を伝えてくれる横田さんの存在は、ロスへの贈り物だ」と話す。3年程前からは、地元の漁港に水揚げされる魚を生け締め処理して卸すようにもなった。アメリカに日本流の魚文化を根付かせて拠点化し、「その次は欧州で」と思い描いている。 (田村雄・久保庭総一郎)


キャプチャ  2020年1月5日付掲載
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