【男の子育て日記】(29) ○月×日

あたし、見ちゃったんです。夫が、寝ているかずふみの小さな体に覆い被さって、顔をモフモフと埋めているのを。普段から似たようなことはしていました。家の中だけでなく、お店や新幹線でも所構わず、かずふみの愛らしい唇に吸い付いては、「俺がこんなにキスを交わした男はお前だけだ」と、恍惚の表情で宣っていました。かずふみは当然、嫌がって泣き出します。すると、夫は「そんなに嬉しいのか」と、ベッドであたしにも見せたことのないような笑顔を咲かせるのです。「止めてあげて」と嫉妬交じりに止めるのですが、夫は聞く耳を持ちません。「かずふみが大人になったら話してあげるよ。『君のほうからパパの舌を求めてきたよ』って。しかも執拗に」。かずふみは泣き叫びますが、夫は益々嬉しそうです。これまで高学歴しか取り柄がなく、ものを知らないあたしに、夫は色々なことを教えてくれました。打てば響くようなユーモアセンス、ベッドテクニックは言うに及ばず、男の人の魅力が優しさのみに非ず、怖さにあることまで。ですから、2人でいる時にかずふみが泣いていても、「俺に任せろ。俺のほうがオムツを取り替えたり、ミルクを作ったりする回数も多い。心が通じ合っているからな」と力づくで抱き上げ、あやすのですが、泣き止みません。

「そんなにパパが大好きか。そうかそうか、ムハハハ」。あたしはかずふみより、夫の満足気な様子を優先していました。そして、「これでいいのだ」と自分を納得させようとしていました。ところが、です。ある夜、あたし、見ちゃったんです。「偶には夫に奉仕しよう」と、体の隅々まで洗い、お風呂から上がったあたしは、その光景に声を失いました。ムチムチでツルツルのかずふみの柔肌に、無精髭の頬を滑らせて、夫はあの子の目を見つめて言いました。「かず、大きくなったらパパと結婚しようね」。あたし、ドアの陰に隠れて、見なかったふりをしたんです。肌蹴たバスタオルが床に落ちて、まるで何かの抜け殻のように見えました。その夜、求めることはしませんでした。翌朝も、夫は何事も無かったようにかずふみを起こして、オムツを取り替え、ミルクを作っていました。ベッドにいるあたしを起こすまいと、気を遣ってくれているのがわかります。「さ、楽しいところに行こうね」。夫はそっと玄関のドアを閉めて、かずふみを連れて行きました。「保育園に向かったのだ」と信じたいです。幸せな日々で、何の不満もありません。でもあたし、決めました。かずふみから夫を取り戻す為、「これまで以上に優しくしよう」と――。追記。あたし、見ちゃったんです。夜中にこっそり、あたしの代筆のふりをして、夫が宇能鴻一郎オマージュの原稿を書いているのを。哀れなのか、アホなのか。あたしに色々なことを教えてくれる男です。


樋口毅宏(ひぐち・たけひろ) 作家。1971年、東京都生まれ。帝京大学文学部卒業後、『コアマガジン』に入社。『ニャン2倶楽部Z』『BUBKA』編集部を経て、『白夜書房』に移籍。『コリアムービー』『みうらじゅんマガジン』の編集長を務める。2009年に作家に転身。著書に『日本のセックス』(双葉文庫)・『ルック・バック・イン・アンガー』(祥伝社文庫)・『さよなら小沢健二』(扶桑社)等。


キャプチャ  2016年12月1日号掲載
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