監禁期間は実に9年2ヵ月…新潟少女監禁事件、野に放たれた犯人が千葉県にいた!

新潟という土地柄もあってか、失踪当時から「少女は北朝鮮に拉致されたのでは?」と言われてきた。行方がわからないまま経過した年月は9年2ヵ月。9歳だった少女は19歳になって、両親の元へ戻ったものの、失われた年月はあまりに重い。しかし、その監禁せしめた犯人は昨年、刑務所を出所している。男はどこで、どのような生活を送っているのだろうか――。 (取材・文・写真/ノンフィクションライター 八木澤高明)

20161206 02
今から16年前の冬、筆者は写真週刊誌の見習いカメラマンをしていた。見習いカメラマンとなって2ヵ月が過ぎた頃の日曜日、暗室の一角に置かれていたテレビにニュース速報が流れた。ウェブニュースなど今のように浸透していなかった当時、テレビのニュース速報は一大事を伝える重要な手段であった。一言一句正確な文言は、はっきりと思い出せないが、「新潟で9年2ヵ月に亘って監禁されていた少女が発見され、監禁していた男が逮捕された」という速報だった。そのニュースに衝撃を受けた筆者は、見習いの身分ではあったが「どうしても現場に行きたい」と思い、事件を担当しているデスクにその場で電話した。「そんな事件が起きたのか。そんなに行きたいなら行ってもいいよ」。日曜日ということもあり、編集部に出社していなかったデスクはテレビを見ておらず、事件のことを知らなかったのだった。犯人の男が少女を監禁していたのは、新潟県柏崎市内にある民家の2階だった。現場の家は、JR柏崎駅から歩いて30分ほどの場所にある、何の変哲もない住宅街の一角にあった。空は鉛色の雲に覆われ、小雪がぱらつき、底冷えがする寒さの中、家の前には既に警察によって規制線が敷かれていて、その周りをマスコミのカメラマンや記者たちが取り囲んでいた。規制線の外から家を見たが、どこからも事件の匂いは漂ってこなかった。しかし、暫し眺め続けていると、2階の部屋の窓にはミラーガラスが貼られ、外から中が窺うことができないようになっていたり、玄関以外にも2階に出入りできるドアがあったりと、どこか歪な形をしていることに気付いた。現場に駆けつけた取材者の誰もが感していたことだろうが、「この事件が起きた部屋の中と犯人の顔を見てみたい」という思いが、現場を見たことにより俄然、強くなった。そして、事件発覚から数日が経つにつれ、男の身辺が明らかになっていった。

9年2ヵ月に亘って少女を監禁していたのは佐藤宣行(当時28)。高校卒業後、地元の企業に就職したが、僅か3ヵ月で退職。その後は家に引きこもっていた。父親は既に亡くなっていて、母親と2人暮らしだった佐藤は1人っ子で、しかも父親が63歳、母親が38歳の時に生まれたこともあり、両親から溺愛されて育った。両親は、息子が望むもの全てを買い与えた。小学校に入ると、高齢の父親を周囲の同級生たちが、「佐藤のお父さんはお爺さんみたいだ」と言って揶揄い始めた。それにより深く傷付いた佐藤は、父親を遠ざけるようになり、次第に父親との関係は修復し難いものとなっていく。その父親も、佐藤が中学生にときにこの世を去った。母親と2人だけになった後は、母親をまるで使用人のように使い、競馬の馬券から日用品等の買い物まで、あらゆることを命じるようになる。それだけに止まらず、競馬中継や好きなアイドルが出る歌番組等、好みの番組を事細かく録画するように指示し、若し録画を間違えるようなことがあれば、容赦なく暴力を振るった。幼い時から我が儘放題で育った佐藤は、年を重ねる毎に己の欲望を制御できない怪物となっていたのだった。そして大人になった佐藤は、母親が買い与えることができないものを手に入れたい衝動に駆られる。佐藤が目をつけたのは、幼い少女だった。1989年6月13日、佐藤は柏崎市内で当時9歳の少女を連れ去ろうと画策するが、犯行に及んだ際に偶然にも被害者の同級生が気付き、学校に通報。この件で佐藤は、学校の教師たちによって取り押さえられた。逮捕された佐藤には、懲役1年・執行猶予3年の有罪判決が下された。執行猶予付きの判決が出ていた佐藤だったが、最初の事件から1年半も経たないうちに次の犯行を画策する。1990年11月13日、長岡市内の田園地帯で下校途中の少女(当時9)を見つけるや、誘拐を決意。ナイフを突きつけて脅し、車のトランクへ入れて、自宅へと連れ去ったのだった。佐藤は、少女を自宅の2階の部屋に監禁。セミダブルのべッドから動くことを許さず、少女が自分の命令に従わないものなら殴り付け、時にはスタンガンを当てるなどとして、完全に従属させていく。少女はベッドの上で食事を摂り、排泄も佐藤が用意したビニール袋にすることを強いられた。10年近くに亘る監禁は、佐藤が少女だけでなく、母親にも暴力を振るい、歯止めが効かなくなっていたことが露見するきっかけとなった。母親が保健所に相談し、同所の職員が佐藤の部屋に侵入。その際、べッドで毛布に包まった少女を発見したのである。佐藤と一緒に暮していた母親は、一般的な感覚として「少女の存在に気付いていた」と考えるのが普通だろう。そうなると、「母親も共犯者ではなかったのか?」という疑惑が、事件の焦点として浮かび上がってきた。

20161206 01
当時、この事件を担当した記者と筆者は連日、佐藤の家を張り込んでいた。「佐藤の母親と接触し、事件の真相と、現場となった部屋を見たい」と思ったのだ。その思いはどのマスコミも同じで、発生当初は家の周りを多くのマスコミが張り込んでいた。しかし、佐藤の母親は一切姿を現さず、日が経つと共に1社、また1社と減って行き、残ったのは筆者たちだけになった。佐藤の母親が家から出てきたのは、近所の人の目にもつかない早朝4時のことだった。彼女は、家の近くにある商店へと食糧を買い出しに出かけたのだ。彼女は早朝、買い物を済ますと、そのまま家に閉じこもり、物音1つ立てずにひっそりと暮らしていたのだった。息子が犯罪者として逮捕され、心細さもあったのだろう。商店を出てきたところを直撃した筆者たちを、家に招いてくれたのだった。「まさか、女の子が上に暮らしているなんて思いもしなかったですよ。宣行は、私を部屋だけじゃなくて、階段を上がることも許さなかったんです」。母親は息子の為、言われるがままに食事を用意していた。だが、「部屋に運ぶことは許されず、常に階段の下に置き、佐藤が階段を下りて食事を取りに来た」と証言した。実際、警察は佐藤の部屋を隈なく捜査したが、母親の指紋は見つかっていない。佐藤は病的な性格で、トイレを使うことを嫌がった為、ビニール袋に排泄して、部屋の前の廊下に山積みにしていた。風呂も月に1度しか入らず、殆ど母親と顔を合わすことなく生活していたのだった。母親の案内で、筆者たちは監禁事件が起きた部屋へと案内された。10年以上に亘って母親は2階に足を踏み入れたことは無く、事件が発覚したことによって、久方振りに足を踏み入れたのだった。階段を上がると、床が剥げた廊下が見えた。排泄物の入ったビニール袋が置かれていた為、表面が剥げてしまったのだ。ドアを開けると、天井に吊るされたシャンデリアとセミダブルのベッドが目に飛び込んできた。やはり、ベッドの周りの底板も表面が剥がれている。べッドの周りにも、ビニール袋に入ったゴミ等が山積みになっていた為だという。佐藤と被害者の少女は、このセミダブルのべッドの上だけで歪な生活を送り続けていた。べッドの傍らにはブラウン管型のテレビが置かれ、棚にはべータビデオで録画された歌番組等が日付毎に整理されていた。佐藤は、世間と隔絶されたこの部屋に、己の世界を作り上げていた。

何の仕事もしない佐藤がこの部屋を維持することは、母親の助け無くしては不可能だった。そう考えると、佐藤の暴力に曝された母親には酷な言い方になってしまうが、母親にも少女の人生を狂わせた責任の一端がある。「あの子には可哀想なことをしたねぇ」。事件への気持ちを尋ねると、母親はどこか他人事のような口調で言うのだった。2003年7月10日、懲役14年の実刑判決が確定し、佐藤は千葉刑務所で服役生活を送ることになった。一方、事件発覚から10年ほどが過ぎた頃、母親が亡くなった。Sは当然ながら、母親の死に目に会うことはできていない。その佐藤は昨春、既に刑期を終えて、日常の中に戻っている。果たして、彼は今、どこで何をしているのか。事件のあった家は、母親の持ち家であったが、死後に息子である佐藤が相続し、彼の財産となっている。未だに取り壊されることなく、彼の地に建っている。「ここでは全く見かけませんね。事件の後、一時期は名所みたいになって、夜中に暴走族が来たり、窓ガラスを割られたりしたんです。最近ではそんなことも無くなりましたけど」(近隣住民)。筆者も10年以上ぶりに事件現場を訪ねてみたが、玄関の扉には板が釘で打ち付けてあり、人が住んでいる気配は全く無かった。そして、更に取材を進めていくことで、驚くべき事実が明らかになった。佐藤は服役中に精神障害者と認定され、障害者2級の手帳を取得していたのだ。今は千葉県千葉市に暮らしているという。この情報を提供してくれたのは、事件取材を精力的に行っている然るフリージャーナリストである。「佐藤は母親と暮していた当時から、自宅のトイレも使えない潔癖症でしたから、刑務所では通常の食事を一切取らず、流動食を常に食べていたほどです。刑務所の生活に耐えられず、何度も八王子にある医療刑務所に入院し、精神障害を訴え、その際に向精神薬の処方を受けていました。そうしたことが服役中に考慮され、障害者手帳が支給されたんです」。障害者手帳取得には、事件を起こす前に向精神薬を服用していたことも考慮されたという。同手帳2級により、公共交通機関の利用料金が無料となり、所得税や住民税の控除、障害者枠で仕事を斡旋してもらうこともできる。更に今後、事件を起こした際には、精神病患者ということで実名報道されないことになる。ここで思い返しておかなければならないのは、「佐藤が監禁事件を起こしたのが最初の事件発生から1年ちょっと過ぎた頃、執行猶予中のことだった」という点である。あれだけの事件を起こした者が、刑務所で更生とは程遠い生活を送り、障害者手帳まで取得して出所した。全く更生していない男が、3度目の事件を起こす可能性は高いのではないか。只々、幼い女児を育てているご家族には「気を付けろ」としか言えないのが、心からもどかしい――。


キャプチャ  第21号掲載

スポンサーサイト

テーマ : 地域のニュース
ジャンル : ニュース

轮廓

George Clooney

Author:George Clooney

最新文章
档案
分类
计数器
排名

FC2Blog Ranking

广告
搜索
RSS链接
链接
QR码
QR