【憲法のトリセツ】(03) 現憲法は押し付けか…“贈りもの”と見た人々

20161209 06
「現憲法はアメリカの押し付けなのか?」の3回目です。過去2回は『連合国軍総司令部(GHQ)』主導ではあったが、日本人の声もかなり反映されていたことを紹介しました。今回は、「『寧ろ押し付けられてよかった』との受け止めもあった」という話です。『ベアテの贈りもの』(日本映画新社)という映画をご存知ですか。1993~1994年に細川護熙・羽田孜の両首相の下で文部大臣を務めた赤松良子氏らが発起人になり、2004年に制作されたドキュメンタリーです。一般向けの販売やレンタルはしていませんが、時々、女性の地位向上を訴える市民団体等の主催で上映会が催されることがあります。主人公は、ウィーン生まれのベアテ・シロタ・ゴードンというユダヤ人の女性です。世界的に著名なピアニストだった父のレオ・シロタが、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で教える為に1929年に来日した時、5歳でした。1939年にアメリカのミルズカレッジに入学するまで、赤坂のお屋敷街で暮らし、日本語が上手になりました。第2次世界大戦が終わると、日本に残っていた両親を探す為、GHQの職員に応募して、1945年12月に日本に戻って来ました。そして、GHQの民政局が1946年2月に憲法の原案を作成した際、最年少の22歳で参加しました。所属したのは人権委員会です。残る2人(ピーター・K・ロウスト陸軍中佐とハリー・エマーソン・ワイルズ博士)が男性だったので、ベアテさんは主に男女同権に関する規定を任されました。延べで7つの条文を書いて、全体を統括していたチャールズ・ケーディス陸軍大佐に提出しました。

「家庭は人類社会の基礎であり、その伝統は善きにつけ、あしきにつけ、国全体に浸透する。それ故、婚姻と家庭とは法の保護を受ける」「婚姻と家庭において、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然である。このような考えに基礎を置き、親の強制ではなく、相互の合意に基づき、男性の支配ではなく、両性の協力に基づくべきことをここに定める」「これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わって、配偶者の選択、財産の相続、住居の選択、離婚ならびに婚姻および家庭に関するその他の事項を個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定されるべきである」――。かなり長く、くどくど繰り返しもある。新しく制定する憲法に書く必要のない“明治憲法に基づく法律の廃止”が出てくる。ベアテさんが法律の専門家ではないことが窺えます。アメリカで女性参政権が認められたのが、その僅か四半世紀前ですから、女性の地位をどう書くのかの前例があまり無く、苦労したことでしょう。他方、戦前の戸主制度の下で、親に物として扱われる女性たちの姿を身近に見て、「いつか助けてあげたい」と念願していた思いも読み取れます。ケーディスはこれらを書き縮め、GHQ草案に取り込みます。これが最終的に、現憲法の第24条になりました。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦は同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」。こうして読み返すと、ベアテさんの原文の黒字部分がそのまま取り込まれているのがよくわかります。因みに、前段はベアテ提案よりも、第1次世界大戦後のドイツで制定されたワイマール憲法の「婚姻は両性の同権を基礎とする」に影響されたと言われています。

GHQの憲法作りに女性が1人も参加していなかったとしても、何らかの男女同権規定は盛り込まれたことでしょう。でも、ベアテさんがケーディスに、時に泣きながら自分の文章の採用を訴えたことで、独立した条文という形になったのは確かです。長らく社会の底辺で虐げられてきた日本の女性にとって、第24条は大きな希望の光となりました。そうした思いの結晶が、“贈りもの”という単語になった訳です。戦後、「“占領軍”という単語が持つ屈辱感を和らげよう」と、日本政府は“進駐軍”という単語に置き換えました。でも、“解放軍”という目で見ていた日本人も少なくなかった。このギャップが、憲法論争における“押し付け”と“贈りもの”の差になっていると思います。ベアテさんが書いて採用されなかった条文に、こんなものもありました。「非嫡出子は法的に差別を受けず、法的に認められた嫡出子と同様に、身体的、知的、社会的に成長することにおいて権利を持つ」。最高裁は2013年、「非嫡出子の相続権を嫡出子の2分の1と定めた民法900条4号(現在廃止)は、憲法第14条が定める“法の下の平等”に反し、違憲である」との判決を下しました。結婚によらない出産が増えているにも関わらず、日本政府は長らく、非嫡出子への差別的取り扱いを改めようとしませんでした。若しも、GHQが非嫡出子の差別を禁じたベアテ提案を採用していたら、その時点で民法900条4号は存在していなかった筈です。色々な弊害に気付いても、外圧によって追い込まれるまで改革に動かない。日本はそういう国柄です。男女同権も、その1つだったと言ってよいでしょう。


大石格(おおいし・いたる) 日本経済新聞編集委員。1961年、東京都生まれ。東京大学法学部卒。国際大学国際関係学科修士課程修了後、1985年に『日本経済新聞社』入社。政治部記者・那覇支局長・政治部次長・ワシントン支局長として、様々な歴史的場面に立ち会ってきた。現在の担当は1面コラム“春秋”・2面コラム“風見鶏”・社説等。


⦿日本経済新聞電子版 2016年11月23日付掲載⦿

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