【真珠湾攻撃・75年後の和解】(中) アメリカの為に戦った日系人

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真珠湾があるハワイ州オアフ島。観光客で賑わうワイキキビーチに近い住宅街の一角に、明るい青緑色をした建物がある。『第100歩兵大隊クラブハウス』。中には、第2次世界大戦で活躍したアメリカ陸軍の日系人部隊『第100歩兵大隊と第44 2連隊戦闘団』の功績を称える勲章や、当時の写真が飾られている。ここを度々訪れるという同連隊に所属した日系2世のケンジ・エゴ(92・左画像右)は、安倍晋三の真珠湾訪問決定を知った瞬間、頬を緩ませた。「日米は更に良くなる」。そう一言呟き、両国の狭間で揺れ続けた数奇な人生を振り返った。1941年12月7日朝、高校生だったエゴは、オアフ島から西に100㎞以上離れたカウアイ島の野原でイタチを追いかけていた。「日本が真珠湾を攻撃して、戦争が始まったぞ」。遠くで叫ぶ友人の声に足が止まった。怒り・悲しみ・絶望…。押し寄せる感情に混乱した。19世紀後半以降、仕事を求めてハワイに移住する日本人が増え、1941年頃には約16万人と、ハワイの全人口の3分の1以上を占めた。エゴの両親は山口県から移住。父は早くに他界し、母が洗濯仕事等でエゴら子供4人を育てた。「僕らはどうなるの?」。真珠湾で戦艦が沈み、多数のアメリカ兵が死亡したことを知り、戸惑うエゴに母は言った。「アメリカは貴男の国。国の為に戦えばいい」。アメリカ国内では真珠湾攻撃以降、“敵性外国人”とされた日系人への差別が蔓延していた。アメリカ軍は裏切りを警戒して、日系人の志願を一時中止したが、募集を再開すると、忠誠心を示したい日系人が殺到。エゴは高倍率の難関を突破し、442連隊の砲撃手になった。訓練場所であるミシシッピ州では未だ、食堂もトイレも白人専用と黒人専用に分かれていた。日系人には白人用施設の使用は許されなかった。連隊は苛烈を極める戦場に送られ、仲間が次々と死んだ。「『日系人が差別されている』とは思わないようにした。アメリカ人として戦うことだけを考えた」。

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ヨーロッパで転戦中の1944年10月、フランスの森の中で下半身を負傷した。アメリカ本土に搬送される為の病院船を見て驚いた。「長年、ハワイと本土を行き来した船が転用されていてね」。仲間より早く“終戦”を迎え、無念さと故郷への思いが交錯した。日系2世のゲンロー・カシワ(93・左上画像中央)とロバート・キシナミ(91・左上画像左)は、エゴの戦友だ。「怖かった。それだけだ」。カシワらはエゴの戦線離脱直後、ドイツ軍に包囲されたテキサス出身者の部隊約200人の救出に向かい、成功した。「助けた人数と同じぐらい仲間が死んだ。全滅した小隊もあった。でも、踏ん張った」。キシナミは、「ドイツ兵の銃は大砲並みに巨大。発射音は、列車が突進してくるような響きだった」とおどけた後、ぽつりと言った。「それに立ちはだかった。運命だった」。442連隊の日系2世は戦後、一転して英雄視された。ハワイでは日米関係の改善と共に、差別は殆ど無くなった。ハワイの2世は、1世の帰化と3世以降の生活安定に尽くし、医師や弁護士等といった重要な仕事に就いて、現地の経済発展に貢献する人たちも輩出した。エゴとカシワは大学に進み、エゴが漁業・水産関係の専門家に、カシワは弁護士になった。キシナミは終戦後、真珠湾で働くことを許された最初の日系人の1人となった。「ハワイの為、家族の為、戦争の無い平和な社会の為、我武者羅に働いた。戦争に行くよりはいいに決まっているから」。カシワが言った。3人は5日(日本時間6日)、442連隊を含む元日系兵士らの功績を称える記念行事で顔を合わせた。「良かったじゃないか」。安倍の真珠湾訪問決定を喜び合い、エゴは言った。「もう戦っている訳じゃない。日米の平和的な関係が深まることだから、いいに決まっている」。3人は改めて、誇りに思うある人物を思い出していた。連隊で共に戦って右腕を失い、戦後、日系人初の連邦議会議員となったダニエル・イノウエ(故人)だ。イノウエは生前、インタビュー等で「『(戦場で)家族を辱めるようなことはするな』と父に言われた」と繰り返し語っていた。エゴたちも同じことを親に言われ、戦場に立った。「何があろうと、日本人の誇り高い道徳心を持ち、アメリカの為に頑張った。それが昔も今も、アメリカで生まれた日系人の生き方だと信じている」。エゴの言葉に、カシワとキシナミが深く頷いた。 《敬称略》


⦿読売新聞 2016年12月8日付掲載⦿
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