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絶対に触れてはいけない奥州藤原氏4代のミイラ――東北に伝わる“藤原清衡の呪い”

平安時代末期、京の都と並び称されるほどの栄華を誇った奥州藤原氏の本拠・岩手県平泉町。この町にある有名な中尊寺には、その藤原氏4代のミイラが今も棺に入った状態で安置されているという。そして、そのミイラに関し、奇妙な話が同地には伝わっている。「触れる者に災いを及ぼす」と…。 (取材・文/フリーライター 高島昌俊)

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2011年、東北地方の文化遺産としては初めて『国際連合教育科学文化機関(UNESCO)』の世界遺産に登録を果たした平泉。正式名称は『平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-』で、毎年200万人が訪れる人気観光スポットだ。数々の遺跡が残る平泉町は岩手県南部に位置し、長閑な山園地帯が広がる自然豊かな町だ。だが、現在の姿からは想像もつかないが、平安時代末期の12世紀、この地には京の都と並び称されるほどの都市が存在した。それが平泉という訳だが、当時は東北以北の地域は“蝦夷”と呼ばれ、朝廷からは蔑みの対象で、蛮族同然の扱いを受けていた。その蝦夷に出現した平泉は“理想郷”と謳われ、その象徴として今の世に伝わるのが、中尊寺の金色堂だ。そんな平泉に繁栄を齎したのが、当時の東北地方屈指の豪族であった奥州藤原氏。藤原清衡を中心に、基衡・秀衡・泰衡と4代100年に亘って栄え、“騎力17万”と伝えられるほどの兵力を持ち、中央政府の支配力が及ばない地域で半ば独立国のような権勢を誇っていた。結局、奥州藤原氏は、1189年に源頼朝によって減ぼされると、平泉は衰退の一途を辿り、歴史の表舞台から姿を消していく訳だが、その後も中尊寺やその敷地内にある金色堂は廃れることはなく残っており、同時に藤原氏4代のミイラも棺に入った状態で安置されている。しかし、藤原清衡のミイラに関しては「触れる者に災いを及ぼす」との噂があり、関係者や歴史ファンの間では“清衡の呪い”と呼ばれて怖れられている。エジプトでツタンカーメンを発見した考古学者ら関係者が次々と亡くなった“ファラオの呪い”の日本版とも言える話だが、実際、この“清衡の呪い”では何が起きたのだろうか? 「金色堂やミイラの調査が本格的に行われるようになったのは1950年のことなのですが、実は、それ以前にも密かに調べられていたんです。で、災いが降りかかったとされるのは、極秘調査に参加した3人の関係者。調査中にミイラに触れてしまい、身体の一部を欠損させてしまった。それだけなら兎も角、彼らはそれを持ち帰ってしまったんです」。呪いの発端となった出来事についてそう明かすのは、地元の歴史研究家である。調査中に傷付けてしまったり、破損することは決して珍しくないそうだが、その後の対応が拙過ぎた。これでは呪われても然りと言えるだろう。

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「3人は、仮にA・B・Cとしましょう。極秘調査を終えて間もなく、Aは列車事故に遭い、Bは階段から落ち、Cも原因不明の関節炎に悩まされるようになります。何れも故障箇所は右膝でしたが、清衡のミイラの欠損箇所というのも右膝だったんです」。詳細は明かされていないが、それ以外にも様々な災いに襲われたそうで、軈て3人は「持ち帰ったミイラの欠片が原因では?」と考え、手放すことを決意。岩手在住の作家で民族学者の山田野理夫氏(故人)に相談し、氏に引き取ってもらったいう。ところが、その後も“清衡の呪い”が収まることはなかった。「山田先生も、清衡の呪いの可能性が高いことを指摘していました。でも、今度は山田先生の身に災いが降りかかってしまいます。ある日、目が覚めた直後、急に右膝が痛み出して起き上がれなくなってしまったんです」。鍼灸師を呼び、治療してもらっても、痛みは治まらないどころか、その後の山田氏は奇妙な夢まで見るようになったというのだ。「夢の中では、1基の古碑がある荒涼とした池の畔に佇んでいたり、杉の大木に囲まれた寺の本堂らしき建物に続く坂道を登っていたそうです。恐らく前者は、平泉にある毛越寺の大泉が池、後者は中尊寺でしょう。夢の中の山田先生は、寺の本堂から更に奥に進み、軈て黄金色の輝きを放つ建物が見えて、そこで夢は終わってしまったそうです。寺が中尊寺だとすると、これは金色堂ということになります。つまり、自分の身を以て清衡の呪いであることを確認した訳です」。同じ夢を繰り返し見て、山田氏も「手元に置いておくのは危険」と判断。中尊寺に返還することを決め、同寺の貫主になる僧侶の今東光氏に相談したが、「清衡公を元の場所にお返ししたいのは山々だが、棺は今後、もう二度と開かれることはないだろう」と言われ、最終的には中尊寺敷地内のどこかに埋葬されたと言われている。「『棺に戻せない』というのが気になりますが、確かに、ミイラの棺は長期に亘って封印されたままです。ひょっとしたら、ミイラに触れたり、欠損させること以前に、抑々“棺を開けること”自体が災いの対象になるのかもしれません」。また平泉には、清衡以外にも“義経の呪い”なる言い伝えも残っているそうだ。「終焉の地とされる場所には供養塔が建っていますが、工事等で場所の移転の話等が持ち上がる度に、関係者が事故や原因不明の病気に襲われるという話もあります。平泉は歴史がある地だけに、この手の話は尽きません」。京都や鎌倉等の古都には怨念が渦巻いていると言われているが、それは、一見長閑な平泉も例外ではないのだ。


キャプチャ  第3号掲載

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88ヵ所巡礼に纏わる封印された死国のダークロード――“裏遍路”という四国霊場のタブー

年間15万人ほどが訪れるという四国遍路。通常は整備された道を徒歩や車で移動するが、それとは違う道を行き来する者の姿が嘗てあった。それは、誰も知らない悲しみに溢れた道であった――。 (取材・文/ノンフィクションライター 八木澤高明)

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40人ほどの白装束の団体がバスを降りて、礼所となっている寺へと向かって歩いていく。四国88ヵ所霊場を巡るお遍路さんたちである。白装束の一団は、寺に参拝し、般若心教を上げ、御朱印を貰うと、次の札所へと向かう為にバスに乗り込み、去って行った。観光バスが去った後の駐車場に、お遍路さんの誰一人として振り返らなかった墓石があった。長年の風雨で彫られた文字は擦れ、全てを読むことはできないが、“下総国”という文字が確認できる。江戸時代に四国への巡礼に出て、この地で亡くなった遍路の墓である。一昔前まで、四国遍路たちは、自分の足だけを頼りに全行程凡そ1400kmを歩かなければならなかった。右手に持った金剛杖は、行き倒れた場合にはそのまま墓標となり、菅笠は骨を納めるものだった。遍路たちが歩いた遍路道には、今でも至るところに生き倒れた遍路たちの名も無き墓標が残っているが、それらはほんの一部に過ぎず、亡くなった多くの遍路たちは墓石すら無く、四国の土となっていった。弘法大師空海(774-835)によって開かれたとされる四国88ヵ所霊場。四国には空海が残していった伝説が数多く残っているが、霊場として四国が開かれていったのは、寧ろ空海の死後、平安時代に寺社仏閣への寄付である勧進を集める聖たちが、四国を隈なく歩いたことがきっかけとなった。更に、四国遍路が民衆の間に広まり、一般的になるのは、江戸時代になってからのことである。徳川家康によって江戸幕府が開かれ、戦乱の時代に終止符が打たれると、全国に5つの街道が整備され、人々はより安全に旅をすることができるようになった。それによって、人や物の行き来が活発となり、商品経済が発展していく。人々の懐に余裕ができ始めると共に、四国遍路も盛んになるのである。江戸時代初期の1687年、元々高野山の聖であった真念(?-1691)によって、四国遍路のガイドブックである『四国遍路指南』が大阪の商人たちから資金を得て発行されたこともあり、それまではっきりとした寺の数は決まっていなかったものが、真念の著書によって“88ヵ所”と記された。今日の四国遍路の形が定まったのである。そうして四国遍路は、お伊勢参り等と並んで庶民の人気を集めるようになり、四国や関西だけでなく、全国の津々浦々から人々が巡礼するようになったのである。

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だが、集まった人々の中には、四国を死に場所と定めて訪れる者も少なからずいた。嘗て、“不治の病”と恐れられた癩病等の病を患った者たちである。彼らは通常の遍路道を歩くこともあったが、世間から蔑まれる病を抱えていた為、違った道を歩くことを強いられた。彼らが歩いた道は、癩病が“かったい”と呼ばれたことから、“かったい道”や“裏遍路道”と呼ばれた。自分の体が朽ち果てるまで四国を回り続ける癩病等の遍路たちは、季節毎に四国の中を移動したという。寒い冬は高知県の32札所である禅師峰寺(南国市)から程近い砂浜や、将又室戸岬の洞窟等で過ごし、春になると雨の多くなる高知を離れて、愛媛・香川・徳島に向かったという。32番札所から程近い海岸沿いの村で、乳母車を引いていた老婆を見つけた。その老婆に、冬を越した癩病の遍路たちについて知っているか尋ねてみた。「そんな人たちが冬越ししたのは知らんね。私たちの婆さんの時代のことじゃないだろうかね。だけど、昔のお遍路さんというのは、今みたいに綺麗な白装束じゃなくて、言葉は悪いけど、着のみ着のままの汚い格好をして、家の縁側とかで勝手に寝ているような怖いイメージやったな」。記録によれば、癩病の遍路たちが四国に現れ始めたのは、江戸時代初期のことである。それから、明治・大正・昭和の初期まで記録が残っている。筆者が話を聞いた老婆は86歳だと言ったが、彼女には癩病の遍路の記憶は無いという。四国では、他国から流れてきた癩病の遍路により、感染者が出るということも少なくなかった。昔から、遍路に食事や時には宿を提供する“お接待”という習慣がある。人によっては癩病患者を接待することもあり、それによって家族の者が癩病に感染し、接待した者が癩病の遍路として死出の旅に出なければならなくなるという悲劇に見舞われることもあった。『ハンセン病文学全集』(皓星社)と題された随筆に、当時の生々しい記録が記されている。「タ闇につつまれる頃、齢四十五、六の男へんろが松葉杖に身をあずけて足をひきずりながら、力の無い声で私の家を訪ねて一夜の宿を乞うのであった。日頃よりお大師様を信心している私の母は、外出した時に、宿がなくて困っているへんろに出会えば、家に連れて帰って泊める信心家であった。【中略】母が多忙の時には、いつも私が母に代わってへんろの食事や、便器の世話から外科の交換まで母に命ぜられるままに面倒を見ていたのであった。外科の交換をする時など、膿汁の悪臭に堪えかねて、息を殺してするくらい臭かった」。

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最盛期は年収2000万円、盗撮容疑で全てを失い超貧困生活に――所属グラドルの着替え盗撮で逮捕された“伝説のスカウトマン”のその後

20160725 11
思いもよらぬ薄汚いアパートに案内されて戸惑った。照明を灯しても部屋の中は薄暗い。畳が解れていて、雑多にゴミ袋が散らばっている。1年ほど前までは、原宿の一等地に撮影スタジオを構え、多数のグラビアアイドルを抱えていた芸能事務所『原宿H』元社長の樺澤潤氏(39・芸名は氷室司)は今、このボロアパートの一室を間借りして暮らしていた。樺澤氏が逮捕されたのは昨年5月15日のこと。所属タレントの着替えを盗撮して、それを『FC2動画』等の有料動画サイトにアップロードした容疑である。この件は地上波のニュースや新聞を始め、数多の雑誌やインターネットニュースでも報道された。その後、6月20日に嫌疑不十分で不起訴処分となるが、そのことを取り上げた媒体は殆ど無かった。「盗撮は部下の2人がやりました。ただ、報道されていたFC2ではなく、“Gcolle”っていう動画サイトです。自分はそのことを知らなかったんです。部下は、モデルの女の子に『着替えておいて下さいね』って言い置いて部屋から出ていき、その間に一眼レフカメラの動画機能でその様子を撮った。自分が彼らに盗撮を指示したことはあり ません」。樺澤氏は逮捕後、芸能の世界から足を洗い、『読売新聞社』の正社員として配達や営業をしつつ、『日本赤十字社総合福祉センター』で知的障碍者の介護ボランティアをした。しかし今年1月28日、嘗ての所属タレントだった藤子まい氏が『ヨソで言わんとい亭~ココだけの話が聞ける(秘)料亭~』(テレビ東京系)で樺澤氏のことを語ったことで、読売新聞社に自身の名前が知れ渡って解雇され、現在は廃品回収とリサイクル業で生計を立てているという。「藤子まいが語ったことは全く事実ではないし、それに対してテレビ東京も謝罪した。完全に彼女の売名行為です。自分はこの件で監督不足だったと思いますし、全く悪くなかったとは言いません。ですが、マスコミは逮捕の際にあれだけ大騒ぎしたのに、無罪放免って報道してくれなかった。それに、ある新聞社が出した記事は全くの事実無根で、その新聞社が記事を取り下げているのに、未だに転載された“2ちゃんねる”等からは消えない。清原和博さんの気持ちはよくわかりますよ。クスリが欲しくて再犯するんじゃない。マスコミや社会が再犯者にするんです」。樺澤氏は、うんざりしたように吐き捨てる。

樺澤氏は、セクシー業界では名うてのスカウトマンだった。嘗て在籍していたAVプロダクションでは、毎月10人以上のタレントをスカウトし、最盛期の年収は2000万円にもなったという。そして2010年頃より芸能に憧れを持ち、グラビアアイドルを始めとした芸能事務所を立ち上げたが、そこからが茨の道だった。「AVとイメージDVDのギャラだと全然違うんですね。AVだと単体は100万円以上だけど、イメージDVDだと総ギャラ10万円ぐらいを追いかけなきゃいけない。しかも、イメージDVDは最短でも3ヵ月に1本しかリリースできないから、その間、女の子を食わせる為に、動画の販売・ライブチャット・撮影会とかをやる。カツカツで苦しかったですよ」。傍目にはエロと芸能の狭間で荒稼ぎしていたようにも見えたが、そうでもなかったのだろうか。業界内でとりわけ有名だったのが、樺澤氏が主宰する撮影会だ。筆者の知り合いのグラビアアイドルは撮影会に出演した際、隣のスペースでAV女優がほぼ全裸の際どいポーズをしているところを目撃し、「グラドルとAVを一緒にするなんてあり得ない」と慣概していた。東京都内随一の過激さを誇っていた。この件について尋ねたところ、樺澤氏はこう反論した。「AV女優の彼女が過激なパフォーマンスをするおかげで、グラドルは映えることができる。グラドル単独では、自分が主宰した客1人2万円で150人を集客する撮影会は運営不可能です。このグラドルはこんなことを言うぐらいだから、碌に集客もできていないし、AV女優に対する偏見もあるのでしょう」。尚、通常の個人撮影だと100分28000円で、その6割をモデルに手渡す。団体撮影会だと、客単価2万円で30人集客して10人のモデルを起用するといった具合だったようだ。それ以外にも、逮捕容疑にもなったGcolleの動画等でも稼いでいたが、こちらは1年で390万円ほどの額だったという。「稼がないと事務所も維持できないから、グレーな仕事もやってきましたよ。団体の撮影会は最たるものでしょうね。けど、僕らのような事務所は大体同じだと思います。グラビアから着エロ、それにAVって流れだと、女の子もやる気が無くなっちゃうから、そんな中、そうならないようにってテレビや映画の仕事だったり、声優や歌手への仕事へ繋げていこうと頑張っていたんです。テレ東でも、5分枠の全力坂とゴッドタンを合わせた番組を企画し、スポンサー獲得に動いていた矢先だった。でも、逮捕を機に全部が泡になった」。インターネットを見る度に自分の名前が出回っていることに気付き、樺澤氏は無性にやるせなさを覚えるという。一度でも逮捕されると、たとえ起訴されなくても名前が出回り、再出発が厳しいのが今の日本の現状なのだ。「日本には“忘れられる権利”が必要だと思います。自分は早く過去の自分を切り捨てて、新たな人生を歩みたい。今はリサイクル業で生計を維持しつつ、将来的には、セルフネグレクト(自分をコントロールできずに食事や衛生管理ができない状態)から孤独死となってしまう都会の悲しい現実を防ぐ為、亡くなる前からケアができる“遺品整理士”の事業を行うことを目標としています。これが、今回の一連の事件に対する贖罪だと考えています」。後腐れなく再出発はできるのだろうか――。 (取材・文/フリージャーナリスト 井川楊枝)


キャプチャ  第19号掲載

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“親しき仲にもスキャンダル”精神で――『週刊文春』新谷学編集長インタビュー

『週刊文春』が政治・社会・芸能・スポーツ等、幅広いジャンルでスクープを連発している。インターネットの興隆で、紙媒体やテレビ等の既存メディアが苦戦する中、どうやって活力を維持しているのか。新谷学編集長に聞いた。 (聞き手/本誌 吉田貴文)

20160714 05
――週刊文春がスクープ連発で売れていますね。今年になって完売も3回ありました。
「週刊誌は、売れると全てがいい方向に回ります。現場の記者の士気が上がる。情報提供も増え、士気の高い現場が更にスクープを放つ。雑誌が売れて益々士気が上がる。今は、こうした好循環に入りつつあると思います」

――新谷さんは、2012年4月に文春の編集長になりました。6月に『小沢一郎 妻からの“離縁状”』と『巨人原監督が元暴力団員に1億円払っていた!』をスクープして完売。でも、その後は佐村河内守氏の偽ベートーベン等、スクープはありましたが、完売には至っていません。春画掲載が問題視され、昨年10月から3ヵ月間休養した後、今年1月に復帰して、いきなり完売を連発。何か変わったのですか?
「特に戦い方を変えた訳ではありません。ただ、3ヵ月間の休養はプラスでした。毎日、山ほど人に会う中で、週刊文春はどんな読者に支えられているか見つめ直せたし、自分がどういう人間か客観的に見ることもできた。驕り、特別な仕事をしているという傲慢さが窘められた気がしました」

――驕り…ですか?
「『これは凄いスクープだぞ』と気負い、上から目線になっていたかもしれない。文春が親しまれるより、怖がられるメディアになっていたのかもしれない。ある人から『新谷さん、何と言われているか知ってますか?』って言われ、『何ですか?』と聞いたら『狂犬』。何にでも嚙みつくって。嚙むのはいい。ただ、嚙む相手と嚙み方はよく考えることが大事。『文春が嚙むべき相手は誰か』『どんな嚙み方をするべきかを考えないといけない』と痛感しましたね」

――甘利明氏・宮崎謙介氏・舛添要一氏等、政治家のスキャンダルも数々暴きました。大臣辞任や議員辞職に追い込まれた人もいましたが。
「クビを取ることを目的にスクープを狙うのは、週刊文春の仕事ではない。我々がやるのはファクトの提示。『皆さん、知っていましたか? この人はこんなことをしていますよ』。そこまでです」

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テーマ : テレビ・マスコミ・報道の問題
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黎明期のインターネット上を騒がせた数々のタブーは存在するのか? 都市伝説『裏S区』、祟られた地の真相

インターネットを中心に、日夜生み出される状態が続く恐怖伝説・怪談の類。中でも知名度で群を抜くのが『裏S区』で、恰も実在する地に纏わる現実にありそうな話というのが、人気の理由だろう。今回、この伝説の地を特定し、実際に訪れた筆者が、物語の真相に迫った。 (取材・文・写真/吉田悠軌 -とうもろこしの会-)

20160628 01
九州のとある地域。投稿者である“俺”は、裏S区出身の級友・Aから、笑いながら殴られるという不可解な苛めを受けていた。だが突然、Aは学校に来なくなる。理由は「“俺”が怖いから」。釈然とせず登校拒否になった“俺”は、ある日、投身自殺に出くわしてしまう。それを境に降りかかる奇怪な現象。更に、Aの親族たちと関わるうちに、彼らの不気味な“笑い”を幾度も目撃することになる。裏S区の住民たちは何かがおかしい。悪霊と対する時も、その為に身内が死んだとしても、只管に大声で不気味に笑い続けるのだ。果たして、本当に恐ろしいのは悪霊なのか、それとも裏S区の人々なのか――。インターネット黎明期に流行った『杉沢村伝説』は、曖昧な目撃情報や突撃した人の証言等、細切れの情報が集合して作られた都市伝説だった。更に、パソコンが普及し、インターネット利用者が増えていくに連れ、インターネット怪談も多様化していく。現在でも強い影響力を持つ『2ちゃんねる』のオカルト板『死ぬ程酒落にならない話を集めてみない?』(通称“洒落コワ”)スレッドが始まったのは、2000年夏のこと。洒落コワの功績は、長尺に亘るストーリー性の強い怪談を受け入れ易くした点だろう。その結果、完成された1本の物語としての怪談、言ってみればホラー小説に近いようなインターネット怪談が多くなっていった。酒落コワにおいてストーリーもの怪談の火を付けたのは、共に2005年発表の『トリバコ』『リョウメンスクナ』だろう。“秘められた村の因習”“古くから伝わる呪い”といった伝奇ロマン要素が、怪談好きから圧倒的な支持を得た。これは現在でも、多くのインターネット怪談に引き継がれたモチーフである。勿論、多くのインターネット怪談は、舞台となる土地を隠して語られている。それらが実話なのか創作なのかは一先ず保留するとしても、“呪われた因習が伝わるところ”“未だに化け物が封印された土地”等のイメージを流布されるのは、地元にとってはいい迷惑だし、そこは投稿者たちもキチンと心得ている筈だ。しかし、これらストーリーもののインターネット怪談の中で、ほぼ唯一、地域を特定できる怪談がある。それが、2007年に発表された『裏S区』『続・裏S区』だ。この物語もまた、典型的な“閉鎖的な地域に伝わるタブー話”ではある。だが、“笑い続ける一族”という個性的な道具立てや、明らかに実在の地域が舞台になっているリアリティー等、突出するクオリティーがあった。恐ろしい化け物が出てくるのではなく、裏S区の人間たちの狂気性や不穏さに焦点が当たっているのも斬新だ。そんな裏S区の舞台を確定していこう。

20160628 02
九州にて“区”が付く政令指定都市は、福岡市・北九州市・熊本市のみ。更に、“S”というイニシャルが付くのは福岡市早良区のみ。しかし、“裏早良”といった呼称は無い。文中で、“裏S区”を現在では“新S区”と呼ぶみたいな記述があるが、裏から新への地名変更といえば、“裏門司”が“新門司”に変わったことが先ず思いつく。また、S区は「目の前の海を正面と捉えて」いるそうなので、そこから山を越えた裏門司が裏S区となれば合点がいく。門司区ではイニシャルがSとならないものの、この辺りには猿喰という古くからの土地があるので、Sのイニシャルは、この猿喰から取ったのではないか? そこまで推定したところで、実際に猿喰地区を訪れてみた。門司港や門司駅からだいぶ内陸に寄っているものの、現在は高速道路が繋がっている為、車なら寧ろ門司港側よりもスムーズにアクセスすることができる。新門司インターチェンジで降り、猿喰に向かって車を走らせる。地区内をぐるりと廻ってみたところ、確かに作中の描写に沿うように、高校やバス停等が点在しているのが確認できた。アニメの聖地巡礼にも似た気分で車を走らせていると、今度は大きな病院が見えてくる。更に近付いて確かめてみると…。「これ、続・裏S区で言及されていた病院だ!」。思わず、そう叫んでしまった。総合病院の精神科ではなく「独立した精神病院がある」というのは、かなり決定的な証拠である。もう1つの候補である早良区では、精神病院は博多寄りの都市部にあるのみで、それでは作中の描写と当て嵌まらないからだ。ここまで状況証拠が揃ったなら、この猿喰地区が『裏S区』のモデルになっていると断言してもいいだろう。ただ、言うまでもないが、猿喰全体はかなり近代的な郊外地区である。コンビニは勿論、先述した病院・学校・斎場等の大型施設も揃っているし、閉鎖性や因習の匂い等欠片も感じられない。また、裏S区にあるという“Aの親族が住む集落”に至っては、それらしき場所すら見当たらなかったとも言い添えておく。文中では、街灯すら殆ど無い異様な集落として描かれているが、抑々、そんな立地など見当たらない。更に、精神病院の傍と言及されているのに、病院自体は大通り近くの開けた場所にある為、ロケーションとして齟齬が生じている。つまり、『裏S区』は舞台として猿喰をモデルにしているものの、物語そのものは創作だと結論せざるを得ない(勿論、インターネット怪談の真偽を詮索するなど野暮な話ではあるのだが)。投稿者は、この付近をよく知る人間、或いは地元民なのではないだろうか。

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『伊勢志摩サミット』開催地の三重県は魅力ゼロの“未開の地”だ!

5月26日から開催される『伊勢志摩サミット』。安倍首相は、世界の首脳に“日本のふるさと三重”を見てもらいたいらしいです。しかし、三重に見るべきものなどありますか? そうです、それが無いんです!

20160627 06
安倍晋三首相の個人的なゴリ押しで開催地が決まったという『伊勢志摩サミット』。しかし、この伊勢志摩がどこにあるのか、答えられる人は少ないに違いありません。因みに伊勢志摩とは、明治初期までの令制国における伊勢国と志摩国から名付けられた地域で、三重県の南東部に当たります。つまり、伊勢志摩は三重県なんです。ところが、ここでまた我々は大きな問題に突き当たってしまいました。「抑々、三重県ってどこにあるの? 何なの?」という問題です。正直、三重県の位置がわかる人も、三重県について具体的に知っている人も、日本には皆無と言って間違いないでしょう。場所もわからなければ、何の魅力も存在しない。それが三重県なのです。これがこの原稿の結論なので、最早書くことは何もありませんが、それでは暴論が過ぎるというもの。如何に三重県が語る価値の無い搾りカスのような県なのかについて、詳細に解説していきたいと思います。先ず、安倍首相は何故、三重県をサミットの開催地に選んだのでしょうか? 開催地誘致に名乗りを上げていたのは、志摩市の他に仙台市・新潟市・軽井沢市・浜松市・名古屋市・神戸市・広島市という、全国区の錚々たる自治体です。それを蹴ってまで安倍首相が志摩市を選んだ理由は、「伊勢神宮がある三重県伊勢市を含む伊勢志摩地域が、日本の美しい自然や豊かな文化・伝説を世界のリーダーたちに肌で感じてもらえる場所」とのことですが、ここで既に1つの詭弁が存在します。安倍首相は“伊勢神宮がある伊勢市を含む伊勢志摩地域”と言っていますが、抑々、サミット開催地に立候補していたのは志摩市であって、伊勢市ではありません。『日本書紀』によれば、伊勢国は“美味し国(うましくに)”と称されていたそうで、『美しい国へ』(文春新書)という安倍首相の著書は、伊勢国、延いては伊勢神宮を意識したものであることは明らかです。つまり、愛国右翼の安倍首相は、自分の大好きな伊勢神宮があるから、伊勢志摩でのサミット開催をゴリ押しした。ただそれだけなのです。一応の建前としては、首脳会談の開かれる英虞湾に浮かぶ賢島は小さな島で、本土とは2つの橋で繋がっているだけなので警備がし易いということもあるようです。しかし、嘗ての沖縄サミットや洞爺湖サミットでは、警備のし易さなど問題にもしていませんでした。これも詭弁です。

20160627 07
扨て、改めて三重県のショボさ問題に戻りたいと思います。ここまで読んで頂いた読者の方はお気付きかもしれませんが、そう、実は三重県には伊勢神宮があるんです。確かに、“何も無い”は言い過ぎでした。伊勢神宮だけはあります。但し、この伊勢神宮にしても、実際は大したことありません。伊勢神宮は、日本全国に10万社が存在するという神社の頂点に鎮座し、神社界の総元締めである宗教法人『神社本庁』の本宗でもあります。こう書くと何か凄いような気がしますが、抑々、神道が偉かったのって太平洋戦争までのお話。大日本帝国の国教として君臨したのは、大日本帝国憲法が発布された1889年から敗戦の1975年までの僅か60年足らずです。意外なほど日本における国家神道の天下は短かった訳です。但し、本当の意味での伊勢神宮の全盛期は、『おかげ参り』(庶民の集団参詣)が盛んだった江戸時代で、明治時代に天皇が行幸して以後は、民衆の伊勢参りへの興味はすっかり失われていたようです。つまり、明治以降は戦争の道具として使われたに過ぎません。勿論、終戦後はGHQによって国家神道は解体された為、衰退の一途です。抑々、初代天皇とされる神武天皇は、伊勢神宮の主祭神である天照大神の子孫とのことですが、正直な話、「皇室は神の血統だ」と言われても常識的に厳しいでしょう。どう見ても天皇は神ではなく、只の人類です。つまり、そんな頭のどうかしちゃったような天皇マンセーの宗教施設があったところで、平成の世では何の自慢にもならないのです。しかも、サミットではそんな大日本帝国の精神的な支柱だった場所に、嘗ての連合国(イタリアやドイツを除く)首脳を連れていき、参拝させようというのですから、安倍首相は本当に頭がどうかしちゃったんでしょう。大体、伊勢神宮に行って「パワースポットだ」とか「癒される」とか「日本人の心の古里だ」とか言っているのは、他人の言葉や雰囲気に流され易いバカだけです。実態は、日本中にある只の森のひとつに過ぎません。仮に特別なものに思えるなら、それは心にお花畑が湧いている証拠です。しかも、伊勢神宮の周辺には、名物として大して美味くもない『赤福』なるあんころ餅が蔓延しています。そして、その赤福を販売する『株式会社赤福』が神宮内宮の前に作ったのが『おかげ横丁』です。このように、伊勢神宮の土産利権を全て独占する気満々の強欲企業ですが、欲の皮が突っ張り過ぎたらしく、2007年に賞味期限偽装が発覚して大問題を起こしています。この赤福は、元会長が商工会議所の会頭を務める等、三重では影響力のある企業だったりするのです。つまり、三重の代表的な企業がこのレベル…。後は推して知るべしです。まぁ、三重県唯一の全国的知名度を誇る伊勢神宮が、どれだけお話にならない施設かについて理解して頂けたかと思います。

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